さわらいど

さわらいど

ブルベ6年目の大学生→社会人。主に自転車ロングライドが中心。山形転勤おじさん。酒田の地から。

(競技)人生がストーリーだとしたら

2、3日前に近畿大学教職部の教員である杉浦健さんのホームページを見ていたら、こんな記事を見つけた。

燃え尽き症候群 -何が燃え尽きてしまったのか?--すべてのトップ選手へ-

http://www.kyoto.zaq.ne.jp/dkaqw906/spopsy19.htm

 

本文では、競技人生の中で燃え尽きてしまう選手に対して、「燃え尽きているのは、選手にエネルギーを与えてくれる物語のネタ(筋書き)である」と論じている。高校生の時にこのホームページを見ていた自分に対して、もっと早くからこの意味を噛みしめることができたら、現役生活を続行することができたのかなあなんて感じている。

 

高校2年の時、引退するチームメンバーのために全力でプレーした結果、北信越新人のリレーで2位になった。当時の僕にとって、それはある意味競技人生というドラマのクライマックスだと思い込んでいた。だから、ここからは「落ちていく」ことしか考えることができなかった。このまま勝ち進むようなドラマを僕は想像することができなかった。最終的にどうなったのかというと、どん底に落ちていくというイメージ通り、成績も落ちた。悔しいと思う反面、「ああよかった」とホッとした自分もいたことを覚えている。

 

落ちるところから再生したのは、高校3年生のリレーで、アクシデントによって県地区予選で失格となってしまい、リレーでのインターハイ出場が叶わなくなった時。顧問の先生が「団体の悔しさを個人で晴らせ!」という言葉が発破になり、練習に集中できるようになり、最終的に男子全員が個人種目で北信越ブロックに進出することができた。

 

これをストーリーに言い換えると、高2の北信越でいったん栄光へのストーリーが完結し、それ以降はしばらく暗黒編のストーリーを生き、リレーの失格、先生の言葉を機に自分が「再生」していくというストーリーを頭で描けるようになったからこそ、目標を明確に持って練習に励むことができたんじゃないか、と僕は思った。

 

「人生はストーリーである」という解釈で進めるのであれば、選手達(顧問など含め)は、夢中になっている間にもそのあとのストーリーを考えていかなければならない。

 

燃え尽きから回復するためには「なんのために」を考えることが大事だと杉浦さんは述べている。ドラマでいうと、新しいクールまでの製作期間でもあるし、次のストーリーのプロローグにも当たる作業をこなしていく。 ひとつのストーリーが終わって燃え尽きたとき、新しいストーリーを始めるには「なんのために」を考える期間を作りだす。

ひとつの長編物語というよりは、クールで区切られる新作ドラマのようなイメージで物事に取り組む。または、長編物語の中にいくつかのミニエピソードがあるような感じ。