さわらいど

さわらいど

ブルベ6年目の大学生→社会人。主に自転車ロングライドが中心。山形転勤おじさん。酒田の地から。

2018北海道マラソン参戦記 

人生初の北海道。海鮮丼や富良野やオホーツクなどの延々と続く海岸線や牧草地帯…小樽でLeTAOのチーズケーキを買ったり旭川動物園で日本最大級の広さを体験する…そしてジンギスカン!!*1なんでことはほとんどなかった。僕が北海道でやったことはフルマラソンだ。

 

 北海道マラソンに出ようなんて言い出したのは高校のときに駅伝部だった同級生だった。LINEで出るきっかけの会話でも残っているかなと思い遡ったものの無く、年明けにホテルを確保したという会話が有るだけ。そうだった、年末に長野で会った時に誘われたことを思い出した。小江戸大江戸にエントリーしたと大きな抱負を語ったあと(なんとか完走した)、北海道に行こうということを切り出されたのだった。

 エントリーは3月、そこからホテルと航空券の確保をしなくてはならないのだが完全に後回しにしたことで後々僕は後悔することになる。とはいえ、6月には僕が急遽転勤となるなど、航空券を取ったとしてもキャンセルしなくてはならなかったし、まあよかったよかったなどとうつつを抜かしていたら北海道マラソンまであと1週間を切っていた。

 まずはホテルを急いで探したが、札幌駅前のアパホテルをはじめ周辺のホテルは最低価格でも19,800円~。満喫?健康ランド?とブルベでもないのに24時間営業の健康ランドサイトを調べようとした矢先。楽天トラベルに4.200円/泊の文字が目に飛び込んだ。

ハイシーズンの北海道、ましてや1周間前に1泊4.200円?誤情報じゃないの?と物色しても字面通りの価格。よく見るとユースホステルで相部屋価格。相部屋…と一瞬悩みが浮かんだが札幌駅からも近いのでとりあえず2泊抑えた。

 移動経路については結構悩んだ。庄内空港は羽田までの直通便しか無いため、山形空港まで移動して新千歳空港ルートを検討。でも移動時間の割に価格が高い。そりゃ直前じゃ高いのは当然。JRで行けば新幹線や特急、在来線で10時間…陸の孤島と地元の人が毒づいているのもなんとなく納得。他には…と物色していたところ秋田7:00で苫小牧17:30なんてフェリーを発見!これなら7.000円と安いし鉄道とそれほど変わらないのに乗り換えがいらない…これは!と友達に連絡を入れたら

「前日受付8時までだけど大丈夫?」とぽつり。言われてからその存在に気づいた。長野マラソンでも前日受付は有るのにがっつり忘れてた。苫小牧東港からバスが出ていてなんとかギリギリ間に合うかも…という状態だったので友人のアドバイスを素直に受け取り鉄道での移動決定。後にこの判断が功を奏することになる。

 事前練習は例によって何もやっていない。一度気持ちがバッドに入るとなかなか抜け出せないまま、とりあえず当週の月曜日に10KM、火曜日に5KM走った。翌日から腰がめちゃくちゃ痛くなって走ることができなくなった。これが歳を取るということか。昔から準備体操せず走れば同じ症状出ていたろ、と嘘かほんとかわからないことを自分に暗示しまくった。

 移動前日の金曜日は面倒くさがって何も準備していなかった。土曜の朝に起きてやばいやばいとなんとか準備。友達と会う予定だけ立ておいて直前は面倒になる性格だけど今回はけっこう間に合うかやばかった。 酒田駅に車を置く方法がよくわからなかったので以前通った際に止めやすそうだった遊佐駅の利用駐車場へ車を止める。遊佐駅は前任地のお客さんで遊佐出身という方がいて、どんなところですか?と質問をしたものの

「なにもない」と言われてしょげた記憶がある。実際なにもなかった。

駅の構造は僕の実家である長野の最寄り駅と同じで、ピークタイムのみ有人で、どれまでをといえば良いのかわからないけど閑散としている夜・朝早い時間帯は無人対応だ。無人の場合は乗車するときに「どこの駅から乗った」という証明券がだいたい有るイメージなのだがそれは多分長野だけの話で、遊佐駅にはそれはなく、どうしようどうしようとアタフタしていると僕と同じ電車に乗る御婦人がいたのでどの御婦人と同じように動くことにした。結局、電車で巡回している駅員さんにきっぷを求めて買ったのだけど、都市圏の生活に慣れてそういう発想ができなくなっている自分を思い知った。

 あとはのんびり携帯をいじいじしている内に秋田駅秋田新幹線に乗りかえる。金足農の甲子園準優勝記念で、応援ボードが駅の改札前に設置されていた。吉田君凄いよねとしか言いようがない。本当にお疲れ様でした。

 秋田・北海道新幹線では立席指定席制(自由席で買った人はどこの指定席に座ってもいい代わりに指定席で購入した人がやってきたらその場を譲らないといけないシステム)のおかげでさながら無賃乗車をした問題客に間違えられないかと犯罪者のように若干ピクピクし(とはいえちょっと寝た)盛岡から青函トンネルを抜けて北海道へ。

新函館北斗駅は想像していたよりも遥かに田舎だった。ここから札幌まで3時間以上特急でかかると乗り換え案内で知り途方に暮れつつ、スーパー北斗の車窓から眺める北海道にちょっとテンションは上がっていた。北海道は町と町の間は何もない森や道路だけだ。多くの日本の一般的な風景で見られる、家が散見的に点在している情景は車窓から眺めることはなく、僕の頭の中で勝手に想像しているフランスの景色そのものだった。来年にPBPが控えていることを頭の片隅に思い浮かべる。

 とはいえ、そんな想像だけで3時間半を埋めることはできず結局途中で寝て、ランニングスパッツとパンツを忘れたことに気づきテンションが下がり、想像以上に都会だった札幌駅に着いて、”大泉洋だー!!”とややテンションあがりつつ、受付の前にモンベルで上記2点セットを買って受付へと向かった。

 受付が終わったあとに友人と合流する流れだが、すでに同行の方とスープカレー屋に並んでいるとのことだったので食後に合流しようという話になり、僕も夕飯を食べることにした。友達が並んでいるスープカレー屋は自分のいる場所からちょっと遠いので別のスープカレー屋に向かった。北海道マラソン参加者はラッシーサービス付きと入り口との立て看板に書いてあってテンションUP。ごちそうさまでした。

友人とは時計塔の前で合流した。戦場で再開した同志、はたまたストリートカルチャーのようなヒップホップ調の挨拶から始まる。正直よくわからない。明日は良いコンディションで走れそうだという再確認と、参加賞で貰えるシャツが妙にダサいというバカ話をしてその日はそれぞれの宿に着いた。

 宿は高原学校のような宿舎で寝室は2段ベッドだった。僕以外のベッドスペースには北海道マラソンの参加者(一部輪行泊の方はいたが)などですでに埋まっており若干ムサイ空間だった。高原学校というよりは簡易宿泊所に近い雰囲気。風呂は特別に終日開放となっており助かった。寝れる宿がしっかり有るだけでも最低限幸せは確保している。12時くらいには寝た。

 

  朝は6時くらいに起床。こそこそと部屋を抜け出してロッカーに荷物を預けてユースホステルを出て近くのファミマで朝食を済ました。この店舗の店員が個性的すぎていまだに頭から離れない。ちなみにファミマから宿舎まで徒歩1分くらいなのも良い。スタート会場について荷物を預けて、友人と合流してしばし雑談。ここでもアホ話をした記憶が有るのだけどあまり覚えていない。友人が緊張していたのは覚えている。あとは、左側から抜いていくからキープレフトで走ってほしいと言われたことも。

 8時30分。号砲が鳴りスタート。テレビ等の時刻表示がカウントダウンと連動していたことに少し感動したが、すぐに現実に引き戻される。あしがうごかない!そりゃそうじゃ、練習していないからなと自分に悪態をつきながらどこまで行けるのだろうと試してみることにした。札幌の市街地ど真ん中を突っ走りながらそう思う。

 ところで、北海道マラソンはいわゆるシティマラソンだ。北海道の雄大な景色を楽しむというよりは札幌市街周辺の散策でコース的には他の都市マラソンと同じような景色が広がる。でも、スタート1km地点でススキノの繁華街を駆け抜けるとは思っていなかった。なかなか風俗とかソープランドとか書いてあるいかがわしい街中を走るマラソンはないはずだぞ、と思いつつ先を急ぐ。

 2~3kmぐらい走ると郊外の風景へと変わる。雑居ビルから公園やアパートなどが並ぶ住宅街へ。このあたりの雰囲気はとても好きだった。自分の考えている都会的な風景に一番近い。こういう感性はいつまでも持っていたい。走っているときの思考は、意外と他のどうでも良いことばかり考えていることが多い。でも今回は走ることでいっぱいいっぱいだった。5km、または2.5kmごとに設置している関門を通過するたびに生き延びたという喜びであふれるし、なんとか先に進んでやろうという心意義だった。

 それでも途中で治療していない(これからやる)虫歯が痛みだして20km地点あたりで止まりそうになったり、後半特に見たのは「痛いのは気のせい」と書かれた応援ボードに対して悪態を心の中でついたり、足がつりそうな手前で立ち止まってストレッチをしてやり過ごす作戦でなんとか30kmまでは走りきった。

 やっぱりそこで限界は来た。もう足がつりそうでさっきまでの動きができなくなっていた。ストレッチをする頻度も1kmの中で3~4度くらいまで増えて、歩くことがいっぱいになった。次の関門までに待ち合わないだろう、という自分の予測通りのペース。結局、32km地点で僕はストップすることにした。

 立ち止まって膝に手をかけた場所は、ちょうどコンサドーレ札幌のユニを着ていた応援の夫婦がいるところだった。自分からそこを選んだのかたまたまそこだったのかは正直前者だったのかもしれない。だって次の関門までは2.5km以上あるのだから!今年の長野マラソンで同じような状況に陥った際に歩いてとんでもなく辛かったし。その夫婦にポカリスエットをごちそうになって、山形から来たことを話したりしているとちょっと楽になった。「来年も同じところにいると思うから」と言われたら来年、それか再来年にでも行かないといけないのかなあなんて思いつつ、回収バスに乗ってその場を離れた。

 回収バスに乗っていると、僕らにスタッフなどが手を降ってくれた。完走できたらそれはそれで嬉しいけど、これはこれで嬉しいもんだ。完走できなくなったらそれで終わりじゃない。ゴール地点ではしっかりフィニッシャーとDNFの人は区分けされて、完走証を並ぶ長蛇の列を隣から眺めていただけだけど。それは大会だから。

着替えを終えてから友人に連絡が取れた。しっかり完走できたようだ。マメができて血がシューズに染み込んでいたものの、一番心配していた足が抜けるという症状が起きることはなくしっかりと4時間台で完走していた。もうホテルに戻っていたので今晩会うことにした。勝利の美酒。

 会場を後にしてからとにかく腹が減ってしょうがなかったのでセブンでパスタとザンギ(北海道ではからあげ棒という名称じゃなかった!)*2を買ってユースホステルの1F食堂で食べた。ちなみにそこでも参加者の奥さんと会話。奥さんは走っていないけど旦那さんは前年リタイヤの雪辱を晴らし今年は完走したとのこと!翌日は小樽に観光だということで、マラソンと旅行をしっかりと満喫している感じが将来なりたいなあというイメージぴったりだった。とりあえず風呂に入って部屋で撃沈。

 部屋に戻ると、この日も泊まる参加者の方と雑談をした。その中でも一番印象に残っているのがオホーツクマラソンの話だ。聞くとこの方は北海道マラソンは前年DNFだから走ったけど普段は沖縄と北海道の大会しか走らないという経歴(!)で、曰く「北海道マラソンは景色的には楽しくないでしょ」とのこと。それよりも・・・と言って提案写真を見せて頂いたのだが、まさに北海道!という自然の連続で正直羨ましくなった。洞爺湖ラソンも走ったことがあるがとても走りやすく良いマラソン大会だったと紹介されて、いつか走りたいなあと思った。名前も知らないけどこういう出会いは、いい。

 夜、友人とそのお連れ人と合流してお待ちかねのジンギスカン!!さっきの参加者の方に紹介されたジンギスカン屋(だるま)は軒並み1時間待ちだったのでテレビ塔の真下に構えられたジンギスカンガーデン!!走った後の肉とコメが美味い…。

90分コース、ごはんしっかりおかわりして3人で舌鼓を打ちました。最高。結局バカ話をしていた記憶しかない。

 二人とは泊まるホテルが別なので解散し、ユースホステルまで戻る間、音楽を聞きながらフラフラと帰還。完全にDREAM WALKだった。

結局その日は12時就寝。翌日は有給を確保しているので完全に余裕なのだ。あく

 

月曜日、朝6時くらいになんだかんだ目が覚めて、ようやく帰りの移動手段を決めてせめて北海道らしいことをしようとした僕は、二条通りの海鮮丼をキメることにした。朝10時なのに人気店がとてつもなく行列だった。海鮮丼は刺し身、白身魚が最高に美味い。カニの味噌汁にしてしまったし、大フィーバー状態。

 その後は12時まで時間があったので久しぶりのビッグカメラで物色ののち、札幌駅前でお土産を買ってスーパー北斗に乗車。そこからは新幹線と在来の旅が続いて遊佐駅に着いたのは22時10分ごろだった。ちなみに友人からは4時ごろに「長野に着いた」と連絡があった。僕はそのころ青森にいたはずだ。

 遊佐駅に降り立つと辺りはしんと静まり返っており、雨の後の土のにおいとそよそよと冷たい風が吹いていた。金曜日まで有った夏は出かけている間に無くなっており、いつの間にか酒田にははっきりと秋が訪れていた。

 

 

 

 

 

*1:北海道の面積からしてたぶんすべて短期間で実現はできないと思う。僕の想像している北海道

*2:この1週間前にとりさんも北海道2400のツイートで同じことを書いていた