さわらいど

さわらいど

ブルベ6年目の大学生→社会人。主に自転車ロングライドが中心。山形転勤おじさん。酒田の地から。

見えてきた2018年シーズンまでの展望。

昨日は陸上部の集まりがあって、長野にいた。腐れ縁で今でも繋がっているメンバー4人で飲んだ。途中1人抜けて、そのあと2次会、3次会と飲み進めるうちに、話は真面目なトーンになり、自分たちが抱えているモヤモヤを言葉にしていく。

僕はうまくそうしたモヤモヤの正体をはぐらかしながら、と同時に確かに胸の底にあるモヤモヤ自体―伝えることができなかった。というか、伝えたら全てが壊れる気がした。壊れてもいいものなのか、今の自分には答えられない。そういって、また僕ははぐらかす。

それでも、確かになったことがある。それは2018年のウルトラマラソンに向け、そこにいる全員一応なりに「やりたい」という話になった。というか、僕がただ1人で焦ってやりたいのだとはわかっているのだけれども―

終電でそのうちのまた1人を家まで送り、それこそ腐れ縁でここまでつながってきた友人の家へ向かい、そこでその日は泊まることにした。もう一度、マラソンのことを話す。どうしても僕は2人を完走させたい、と。なんて思い上がりというか、自分自身ウルトラなんて、ましてやフルマラソンは1回しか完走したことにないのに、上から目線な僕だ。

だけれども、そこで書いていて、僕は気付いた。僕は、一緒にその舞台に立って挑んでみたいのだ。まるで自分が高校生の時、インターハイに出ること自体を目標としていたように。誰かと立ちたい。もともと自分はそうしたいんだということに気付いた。誰かと一緒に、道の世界に飛び込んでいく。

実家に帰ったついで、練習日記を引っ張り出してきたときに書いてあった文章に目を引かれた。「自らを高めることで、他人がついてきたりする。」そんなことが書いてあった。つまり何がいいたいのかというと、「自分のことのためだけに頑張り続けるのは僕にとって難しく、誰かのためを思うとき、自分が頑張れるということ」だ。仕事で悩んでいた時、かつての自分はなぜ物事に対してがんばれていたのかというと、そういうことだと思う。じゃないと、みんなが引退をして、僕も引退を差し迫られるような状況になり引退するなんて、そんなことはしていないんじゃないだろうか。

「僕はその時、誰かのため、そしてその誰かと一緒になにかできることを探していた」

ということ。それは、瞬間でも僕が探し求めているもののひとつ。ブルベのスタートラインで知り合いがいなくても走るのは、ひょっとしたら途中で瞬間的な仲間が生まれるんじゃないか・・・なんてことだったり。

2年後の目標として1番可能性のある「えちご・くびき野100k」の話はしておいた。

来年の2月ごろにはスイーツマラソンをしたいなんて話がある。少しずつ、焦らずに先ずは自分、そしてなにより仲間も一緒に楽しめるようにはどうしたらいいのか、歩み寄りながら、意見を出し合いながら、この先に待ち構えている出来事に対して、自分から歴史を作っていくことを大事にしたい。無茶はなく、必要な寄り道をしながら。もちろん、2018年の後のことも考えていかないといけない。終わりにはしたくない。新しい化学反応起きて欲しい、だなんて僕は思う。

待ってろ2018年。僕は、それを迎えに行く。