袋小路
自分がやる前に負けると思っている時は、負けるための理由を探すことに終始してる傾向があることに気づいた。
例えば面接なら、自分が行きたくないとか、絶対受かってやろう!って意識で力んでいたりしていると、うまくいかないことのほうが多い。よし、いけると自分が納得できる状態にあればいいのだが、そんな調子のいい状態をキープできるなんて簡単なことではない。
「勝ってやる!」って発言は、裏を返せば「勝てる可能性はない基本負け試合」であるということ。マイナスからのスタートでも、失うものは何もないという感じではなく、言い訳的に「でも優れてないから」という気持ちがついてくる時。これはパフォーマンスを存分に発揮できない時の僕の状態だ。
僕は願掛けみたいなのをすることが多いのだけど、「この柄、この色のネクタイなら面接をうまくやることができる。つけなかったら面接に落ちる」みたいなことをよく考える。第一印象というところで多少なりとも影響はするかもしれないが、それが面接の時に言いたいことを言えるか言えないかはまた別問題だ。
そうして願掛けを幾つも増やしていくと、いずれ「願掛けで今日はこの腕時計は着けたけど、この服は着てこなかったから落ちる」といったように、自分の中に失敗の保険をかける癖がついてしまう。
んで、そういう時に負けそうで悩んでいる時は、「勝ち負け」とは別の視点を自分の中で持つことができるかどうかが鍵を握ってると思う。
何かひとつのロジックで袋小路に迷った時は、別のルート(価値観や評価水準)があることを思い出す。そういうふうにして、少しでも自分が大丈夫であるということを理解できると切り開けるものがあるのかもしれない。
為末さんの本で、スポーツや日常生活に遊びや成績以外の価値観を考える内容の本がある。(「ホモ・ルーデンス」だったけな?)アスリートが勝負至上主義にならないことと、その心構えとして「遊ぶ」という身体感覚を持つことが大事とそこには書いてあった。
物はパフォーマンスを発揮するために必要なモノではあるけれど、モノだけで結果が決まるわけではない。