【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】その7 DAY3(前)600~760km
2014年9月22日(月)AM3:45
僕が目を覚まして感じたのは、いやらしい汗のベットリ感だった。
昨日と同じ場所、そして同じ部屋。変わっているのは、目の前のテーブルに置かれているドリンクバーの飲み物がメロンソーダからホットココアに変わっていることくらい、それ以外は部屋の雰囲気も何もかも変わっていない。
僕が寝ていたリクライニングシートは最初は寝れないものだと思っていたけれど、2日も経験すれば慣れるものだ。慣れないのはカラダの変化だ。昨日より疲労の度合いが大きい。最低の足切り平均速度が緩和されたということに対する張り詰めた気持ちが抜けたということもあるけれど疲れているみたいだった。室内にいるのに寒くて、体が震える。エネルギー補給が追い付いていないことがわかる。急いで昨日寝る前に買った黒酢を飲んで、一時的な処置をとった。*1*2
さっきまで感じていた震えが次第に消えていくのがわかった。自分のカラダの刺激に対して、敏感になっている。
時計を見ると、3時50分。そろそろ出発しないといけない。次のチェックポイントは制限時間が設定されている。ブルベの制限時間は、おおよそ時速15km/hのスピードで設定されていて、600km以降は時速12km/hで換算できる。
現在、僕のいる場所は603km。この12km/hルールが適用される場所に僕はいた。
今後の計画を頭の中で考えた。小学校で出る文章題みたいなもんだ。
おおよそ4時間半前に仮想敵Aは時速12km/hのスピードで進んでいて、現時点で48km先に走っている。それに対して、僕Bは遅くとも2時半にAに追いつくために何キロのスピードで走ればいい?といった具合。
追いついても、休むことを考えるとマージンを稼ぐ必要があるのだ。僕の走力は、だいたい時速19km/hくらい。計算上では午後1時にAに追いつく計画だった。そうすれば、1時間は進むスピード分の貯金を得ることが出来る。
よし、いこう。
眠っていたリクライニングシートから離れようとした。だけれども、脚を動かすと関節が痛むのと、レーパンの衛生状態が悪くてベタついてなかなか離れない。気持ち悪かった。幸い、衛生状況的に走行には支障はないみたいだ。
お会計は、昨日と同じ900円。やっぱ安くていい。でも、ほんとは健康ランドがベストだよね。てか、会計をしている時点でめちゃくちゃな寒さを感じた。外に出たくない。
戸を開けると、猛烈な寒さ。布団で休みたい。
僕以外にも何台か自転車が。池田さんもまだ寝ているみたいだった。寝坊しなれけばいいなあ。自転車にかけた鍵を渋々外して、ライトを点灯させる。少し削れたクリートで、ペダルと一体になる。このお世話になった満喫ともここでおさらばだ。とにかく走って温まろう。
今日も長い一日になりそうだ。
クリートをはめて、寒空へと駆け進む。
走りだすと、真っ暗な道が広がる。
景色はただただ広がる一本道、それをぼんやりと照らす街灯、そして申し訳ない程度にカラフルな世界にしようと務めている信号だけ。時折、トラックと地方独特のちょっとした改造車が後ろから抜いていく。自転車が走っているなんて考えていないだろう。ぼんやりとそんなことを考えていた。
そんな退屈な道を走り続けているわけだからか、強烈に眠気が襲ってくる。あれほど寝たのに、まだ眠くなるなんて。
時折、だれもいないことを確認して歌ったりして気を紛らわす。どこかで聞いたことのある歌、懐かしい歌、・・・。*3歌っていると、気分はいいのだけれども、あまりに眠くて歌詞が思い出せない。1番と2番がごっちゃごちゃになって、もどかしくなる。信号待ちをしている間、頭を自転車のハンドルに乗っけて目をつむることにした。それだけでもほんの少しだけ、その場しのぎの回復を取ることができる。それでも、突発的にマイクロスリープが襲ってくる。ここで事故なんてしても誰も助けてくれない。あとで気づいたけど、あの眠気は寒さからくるものだったのかもしれない。
わかりにくい交差点を、事前にストリートビューを用いて予習したこともあり簡単に通過することが出来た。
立体交差点の下をくぐって、整備されたバイパスへと差し掛かった。
ここまでのペースは自分が予想していたよりも遥かに悪く、1時間で15kmしか進んでいなかった。*4
橋を渡って、いよいよ名古屋市街に入る。標識は見えないけれど、明らかに建物が高くなっていた。
名古屋市街を走って感じたことはいろいろある。
だけどひとことでいえば、「信号が多くてイラつく」で片付く。
名古屋市街の信号は、すべてなぜか感知式ではなく時間通りに切り替わる。そのため、車が全く通ってない状況だとしても信号は赤になったり青になったりする。僕はこれに悩まされることとなった。あたりまえだけど信号にとって、自転車のペースなんて全く考えちゃいない。青信号⇛頑張って走る⇛次の信号で赤 ということをエンドレスで繰り返していた。
頑張っても頑張らなくても赤信号でストップだ。次第にモチベーションが下がっていき、「ふざけんな」という気持ちと「急がないと行けない」気持ちに責め立てられる。こういう時は、ちゃぶ台を投げたくなる。1時間あたりのスピードも下がる一方だった。何度同じ景色を繰り返したのだろうか。さっきと変わったのは、街灯の数が増えただけだ。
ビルの高さが変わって、ようやく市街地の中心に差し掛かっていることに気づいた。そろそろ、ドロップバッグを預けている郵便局に差し掛かるところだ。バッグの中身はジャージ一式。
真っ黒だった街が再び色を取り戻していく。まだ濃い蒼の街は、中央市街を走っているとは思えないくらい交通量が少なかった。
反対側に郵便局が見えた。
夜勤明けの人をすりぬけ、店内に駆け込んだ。シャッターが閉まっていたけれど、「押してください」と書いてあるブザーを押すと、古い映画に出てきそうな赤色のシャッターから局員が出てきた。、府中で送る際に預かった伝票を渡すと、局員はバックヤードへと戻り、服の入ったバッグを渡してくれた。
「ありがとうございました」とお礼を言って店を出て、着替えるためにすぐさま反対側にあるコンビニへ駆け込んだ。
着替えると、柔軟剤のいい匂いが僕を包んでくれる。身体も除菌シートできちんと拭くと更に気持ちいい。
それまで着ていた服はどうすればいいか?それは、コンビニから送ればいいだけだ。自宅の住所を送り先に書いて、ミッションコンプリート。*5ついでに小腹がすいていたから軽食をとることに。ホットドックと補給食のブラックサンダーを買って、店外で簡単に食べることにした。あたりを見るとさっきよりあきらかに明るくなっていた。それでも、まだ車の数は少なく、ジョギングをする女性や、犬の散歩をしている人、ボロい自転車に乗っている、所在不明な方。それぐらいしかいなかった。ブルベライダーは、未だに見ていない。
うんざりするほど再び信号のある交差点を通りぬけると、小さな坂に当たる。このあたりは中京圏の大学が集中しているっぽい。八事という地区で、愛知県南東部に抜けるための街道に合流した。ふと左を見ると、ギリシャ風の建築物。見覚えがある。高校の頃進学候補地だった中京大学だ。しばらく物思いにふけった。
名古屋B級グルメの代表格「喫茶マウンテン」もこの近くにあるらしいのだが、時間的にもちろん営業していない。また今度にしよう。
交通量が増えてきた。トラックや乗用車の量が増えて、真横をトラックが通りぬけて、車輪がゴワンゴワンと音を立てていく。運転手がきちんと見ていることに感謝する。じゃないと今頃撥ねられた猫のようになってしまう。信号の量自体は先ほどと変わらないが、信号に引っかからなくなった。走行風を利用してペースを上げていく。同じ名古屋でも、いいところと悪いところがある。
ビルの数が少なくなってきた。そして朝が来た―
時間を確認すると、朝7時。ぼんやりとした空はいつの間にか明るくなっていた。
交差点を左折すると、いよいよビルが無くなり、市街地を脱出。信号の代わりに増えたのは、同じデザインの自動車。
愛知県豊田市。「トヨタ自動車」お膝元のこの町を、僕は初めて訪れた。時々、工場らしき建物が見える。「豊田市はトヨタの車しかない」そういう都市伝説をどこかで聞いたことがあったが、それは嘘じゃなく、僕の脇をすり抜けていく車はトヨタか、その関連企業の車―ダイハツや日野、だったりする。
僕はそんな企業城下街のようなところに住んでいたわけでもないから、なにか他の国に来たみたいなものだ。
工場の入り口周辺には、まるで街路樹のように、緑色の帽子を被った工場員たちが立っている。何をしているのだろうと一瞬考えるもなく、一昨日に似た光景を見ていたことを思い出した。
CSR活動の一環だろうか、交通安全運動は本当にしっかりとやっていた。トヨタの工場前だけでなく、交差点の至る所に、同じような緑の服を着た男女がきちっと見ていることからもわかる。正門前の人たちは皆、「通勤、通学の皆様…」と。何か標語を唱和していた。そこで、もうひとつ大事なことに気がついた。
「今日平日じゃん!」
もう月曜日に変わってしまったのか。時間は濃密に感じ、いろいろなことがあったことを思い出すけれど、そんな気持ちとうらはらにもう二日間も経ってしまったのか。なんて考えている自分がいる。何か不思議な気持ち。
このころから、自転車に乗ることが楽しくてしょうがなかった。車社会の街でも自転車が生きていけるから?それとも、ペースがいいから?今日が月曜日なのに僕は関係なしに走っているから?たぶん、全部かもしれない。
通勤ラッシュの影響で、車社会のこの街の道路にも渋滞ができていた。その脇はとても広いスペースができていて、一気にパス。「皆が通勤している間も、僕は走っているんだ!」なんて愚かな気持ち。でも、それも優越感。笑顔になっている自分がいた。まだ、走っているライダーは見えていない。
となり町の岡崎には気がついたら入っていて、通学する高校生の集団を尻目に僕はただ東へと進んでいた。幹線道路を走り、ちょっとした丘を幾つか越えていくと、高速道路が見え、その下をくぐり抜けた。
すると、前方に女性ライダーの姿が見えた。ピンクと白のウェアに、白い自転車。僕はその姿に見覚えがある。だけれども、なんでここにいるんだろう?その姿が本当か確かめるために、ダンシングをして、ゴールスプリントで差すかのように僕は脇に入り、横を見た。
やっぱり、間違いじゃなかった。けーこさんだった。
「え!? 今日も走っているんですか!?」と確認を取ると、
「そうだよ~ 昨日は平針の健康ランドに泊まろうと思っていたんだけれど、閉まっていたから別のところに泊まってたの」なんて言ってて、DNFしている人にはまるで見えない。元気だった。
「このままゴールまで走るんですか?」なんて冗談とも本気ともつかないことを聞いてみると、予想通りの答えが帰ってきた。「うん!」
インターを抜けると、さっきまでの工場の街はどこにあったのだろうと思うほど、何もない山沿いの道だった。
再び田んぼの風景に戻る。川を越え、ちょっと登ると通過チェックポイントのコンビニが見えた。ここは制限時間が設定されていない。
通過チェック 670kmには、8:40に到着。コンビニの軒下には、またこれも、どこかで見たことのある姿が。「おつかれ!」と軽やかな声で、初日のコンビニで一緒になったサカイさんだということがわかった。あともうひとりは、名古屋スタッフのいずみさんかな?つかの間のひとときだ。
「よくここまで走ってるねえ~」と褒められ、ちょっと嬉しい。サカイさんはどうやら2日目あたりでリタイヤをしてしまったようだった。ここから、リュウさんたちを待つのだという。
そんなサカイさん達に、現在の状況を話す。「PC4までここから107km。残り5時間40分を毎時19キロで走らないと間に合わなくて。」
そう伝えると、サカイさんとイズミさんはPC間のコースプロフィールを見せて、僕にこう言った。
「ここから先は国道150号だから、信号に引っかかることもあまりないし、たぶん間に合うよ!東海道は追い風気味だし」諦めかけていた闘志にもう一度火を灯す。「ありがとうございます、ここまで来たんだからなんとかしてみます!」と僕は宣言をした。
眠くなりそうなくらい、気持ちがいい。
小気味よい下りと登りを繰り返し、「岡崎ホタルの学校」と書かれた標識が差す道を進んでいく。あたりはもう田舎道。里山みたいなところの間を通り抜けていく。途中で長距離運転をしていたトラックが止まっていた。*6
ここから小さい峠を越えて、再び市街地へと合流する。
まだ峠に入る前の小さな坂道でも、斜度はぜんぜんきつくないのに、脚が回転しない。疲労を感じる。
ちょっとした森を抜けると、一面に広がる畑とその中央にぽつんとある白い建物。
「ホタルの学校」と、おそらく小学校の名前があっただろうパネルに堂々と書いてあった。どうやら去年、廃校になってしまったのだとか。そりゃあそうだろう、周り家が3軒ほどしかないのだから。
里山だ。ほんとうにただ田んぼと畑の世界。このあたりはまだ、セミが鳴いていた。
峠に差し掛かる。広告も電灯もなにもない。息が荒れる。
頂上手前に差し掛かると、それまで10mくらい幅の遭った道が一気に狭くなり、緑のトンネルが現れた。心が洗われる。綺麗な景色は、一瞬で通り抜ける。
上を見上げると、長く伸びた木々が天へと一直線。こんなところを走れるなんて、贅沢だ!
名もなき峠をパスし、集落へと降りていく。
前方に、道に迷っているライダーが一人。ちょっと声をかけて会話をする。8時スタートの方だった。赤い自転車がやたら似合うひとだった。協力して、一緒に街へと下った。僕のほうがペースが速いみたいで、「また次のPCで!」と声をかけて別れた。
姫街道が見えて、左折する。再び交通量の多い道に合流した。
確かに姫街道も信号は多い。だけれども、それほどストレスにはならなかった。
豊川の中央市街も、よくある地方都市みたいなところ。サイゼリヤがあって、ガストがあって、時々ゲオがある。嬉しいのは、片道2車線だということ。さすが車社会。モーターリゼーションバンザイ。
JR飯田線の踏切を渡り、この街の由来であろう豊川沿いを走る。僕は景色を楽しむ余裕なんてどこにもなく、ただ流れていく時間とにらめっこをして、随時頭の中で計算をしていた。そのあたりで”点A”に追いつくのか。この一時間で、8km差を詰めたことはわかる。足切り40分前の場所で追いつく計算ができた。このままだったら。
もちろんそんな順調に行くわけもなく、ミスコース。しかも2kmほど。急いでミスし始めたところから復帰するも、さっきまで稼いでいる時間がムダになってしまった。
手すりが錆びついた鉄橋を越えて、愛知県の東端へと再び向かう。
豊橋市に入る。どうやらこの街では、路面電車が活躍しているようだった。
生まれ育った街に路面電車がないからちょっとワクワクする。電車のデザインも古いやつから新しいやつまで、様々なタイプが走っている。道路の真ん中を堂々と列車が通過していくのは、面白い。
「コーヘー!」
声が聞こえた。
幻聴か、それとも車の音なのだろうか?
「コーヘー!!!」
ようやく誰かわかった。すーさんだ。
「コーヘー!がんばれー!」
「あざす!!」
僕は止まることができなかったので、それしか言えなかった。
後で知った話だが、すーさんはこのあたりにある実家を訪れていたようだった。
ブルベ中に実家を訪れること、それはロードレースで自分の生まれ育った街を凱旋するような感覚に近いのかもしれない。
風は西から。よし、行ける!という確信を持てた。時速33kmぐらいでだだっ広い道をひたすらに走る。
今、走っている僕に見えるもの、それはビニールハウスだったり雑草の生えまくった田んぼだったりする。信号はめっきり減った。「静岡県」の標識を横目に、ここから平地ボーナス区間のスタートだ。
自転車と僕を邪魔するものがない。時折見える信号は全て青になり、自転車と身体が一体になったような感覚。それにしても、ここまで700km走っていて身体に痛みを感じない。これまでだったら、ここで限界が来ていてリタイヤをしていたのだろう。これまでの準備は、嘘をつかない。前へ、前へ。
だれけども、暑さの対策は想定していなかった。思ったよりも気温が高い。照りつける太陽が容赦なく僕を焦がしていく。イライラするほど暑い。感情が高ぶっていた。些細なことで、喜怒哀楽が激しくなる。
変わらない景色に再びイライラしている。投げやりになりたい。まったく、どうしようもない気持ち。
そんな感情を変えたのは、浜松市にたどりついた時。右に見える青い海。浮かぶ鳥居に見覚えがあった。
浜名湖、弁天島だ。2年前に電車で見た覚えがある景色。2回めの景色は、自転車から。自分が今いる場所が明確になったことで気持ちに落ち着きが生まれた。
それでも、相変わらず僕は、時間を気にしている。なにもかも流れていく景色。僕は前しか見ていない。スピードメーターを見て、前方に信号があるのかないのか確認を繰り返す。走行風と追い風を利用して、ひたすらに前の”点A”を追いかける。僕はレーサーにでもなったような気分で、逃げ切りを図ろうとしている”点A”を追いかけている。信号が赤になるたび、現実へ引き戻されるけれど、信号が青になれば再び追いかけっこは始まる。交通ルールはもちろん守って。
点Aまで20㎞の差まで追いついた。おおよそ1時間ほどの差。死んでも追い抜いてやる。なんて。PCまであと30km。
自分との対話はつらい。間に合うのか間に合わないのかもわからない。いいかげんにしてくれ。自分だけしか周りにいない。静岡県は広い。それだけだ。
写真を撮る暇なんてどこにもない。どうにかなりそうだった。ついに信号も建物もなくなり、登っているのか下っているのかよくわからない。似たような看板が連続して、幻覚でも見ているようだった。
暑さと空腹からエネルギーが切れて、ふらふらしてきた。
「どこかに自動販売機はないか…。」朦朧とした意識の中で走っていると、目の前にダイドーの自販機があるのを見つけた。炭酸ゼリー飲料を飲んだときの美味しさは今でも忘れない。
PC4(第四チェックポイント)のコンビニが見えた。ランドヌールが大勢いる。
「まだ間に合うぞ!!」と誰かが言っているのが聞こえた。シンさんの声だと思ったけれど、誰だったのだろう。昨日と同じように、再び店内に駆け込む。
大丈夫だろう。とりあえずおにぎりも掴んでレジへむかった。打刻されている数字を見てホッとした。クローズ(足切り)7分前。またギリギリ隊だ。
それにしても、店の正面で休むにも太陽の直射日光が眩しい。店の裏が広そうなのでそちらへ向かってみた。見ると、十数人くらいのライダーが横にくたばっている。
うなだれている人たち。ここは戦場なのか・・・。
僕はその横に座り込み、ご飯を食べることにした。食べていたけれど、僕も次第にうつろうつろになっている。なにやら目眩もしてきて、身体が熱を帯びている。熱中症に陥っているかもしれない。食べ終えて力を抜いた瞬間、パタリと横に倒れこんだ。
もう精神も限界に近づいているのかもしれない。地面が冷えていて気持ちいい・・・。
…1時間ほどして目が覚めただろうか。
身体はさっきよりも熱を帯びていない。熱中症の症状だろうか、ややだるさが残る。
筋肉は、ほとんど回復していない。そろそろリカバリーできないところまできたということだろう。
今まで、こんな距離を連続して走ったことがないから、わからないことばかりだ。
よれよれの身体を地面から引き剥がし、表へ出ると、池田さんとすーさんの姿が。どうやら、ふたりとも僕と同じようにクローズ数分前にたどり着いたみたいだった。「もうだめだって思ってたら牽いてくれた方がいたんですよ。R東京のジャージを着た方だったかな?」と僕に話しかけた。イケダさんも、あのあと漫画喫茶で寝過ごしてしまったのだという。そしてすーさんときちんと話すのは、初日のスタート前に会った時以来だ。「コーヘー君、元気してた?」と疲れ知らずの顔をして、すーさんは僕に声をかけた。
「いつごろ再スタートしますか?僕も一緒に走りたいです」と言うと、
「他にも女性2人と一緒に行くけど、大丈夫?」とすーさんは言った。
「それでもいいです」と僕は言い、このトレインに乗ることにした。
イケダさんも同じくトレインに乗ることになった。
PC到着から1時間半は経っただろうか。こうやって寝ている間にも、”点A”は相変わらず時速12km/hで、走っている。18㎞前を走っているのだ。
これから再び追いかけっこが始まるのだと思うと、ちょっとわくわくする。追われる方より、追う方が僕は楽しいのだ。今度は静岡県の東端、函南を目指して走る。
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】 その6 DAY2前編 伊勢→愛知
伊勢の街を抜け出し、北へ北へとペダルを回す。
宮川を越えたあたりで、小学校の次の交差点を曲るはずが、それに気づかず僕はミスコースをした。
「おーい、そっちじゃないよー!」
後ろから声がして振り向くと、#nikonikoBのがんちょさんだということに気がついた。おかげで復帰することができた。先ほどフィリップさんががんちょさんに僕の状況を話してくれたらしい。
「牽いていただいて助かります」「いやいや、そんな大げさなことないよ。それより、今は追い風になっているみたいだね。これ、神風かもね!」
太陽がついに沈み、2日目の夜を迎えた。昨日の夜より気楽だ。フロントライトを付けようとしたら、光量が弱い。電池を買わないとだめだということだ。これでは夜中は走れそうにないので、ここまで牽いてくれたがんちょさんにお礼をしてコンビニへと向かった。
電車で一緒になったOさんがぐったりとしている。眠いのだという。エールを送り、僕は先を急ぐ。
そして、旧伊勢街道を走っていた時、アクシデントは起きた。
小さな路地にさしかかり、ゆるやかに左折しようとした。その時、進路上に段差。時速10kmぐらいまで落として、ゆるやかに小さく飛んで転んだ。*1
ぐは、痛え。
自分のケガより、「自転車は大丈夫だろうか?」と考えてしまうのは自転車乗りの習性なのかもしれない。幸い僕自身ケガはないので、すぐさま時点スアの下へ。ホイールがフレたとか、パンクが発生していないだろうかとチェックをした。幸い、特にそういうことはないみたいだった。
だけれども、STIの左シフトワイヤーが完全に内側に傾いて曲がってしまった。ディレイラーとワイヤー自体には特に問題はないようだ。すぐさま、力を入れて元の形に戻ろうとするけれど、なかなか戻らない。
そうしていると、後ろから「大丈夫?」と声をかけられた。穏やかなその声は、たったさっきコンビニであったOさんだった。どうやら転ぶ前から僕の動きを見ていたようで、焦りきっている僕にOさんはこう言った。*2
「焦ってばかりいるとゴールに辿り着く前に命を落としかねないよ!さっきから君のペースを見ているけれど、きちんと走れば大丈夫!一旦深呼吸していこう。」
僕はハッとなった。確かに焦っても、信号一つ止まれゆっくりでも同じだ。
深呼吸をして、もう一度ペダルを回す。ようやく冷静になることができて、こころにちょっとだけ余裕が生まれた。
その方と、ちょっとだけ一緒に走った。名前を知りたい。
先ほどのアクシデントで冷静になれた。「家に帰るまでがロングライド」だ。
「もう間に合わなくてもいいや、とにかく走ろう…」
信号待ちをしていると、後ろから眩しい光。後ろを振り返ると、何台ものの自転車の隊列だ。
奇跡なのかもしれない。
Oさんが、先頭を引っ張っている男性に何か話している。僕はその男性に見覚えがあった。確か、5月一緒に走ったことがあるけど、誰だろう。そう考えていると、その男性が通りすぎていく時、僕にこういった。
「おう、若いのだったか!時間やばいんだって?いいよー。ついてきなー」
僕はかつてリュウさんのトレインに着いていこうとして、最終的にちぎれてしまいリタイヤしてしまったことがあった。それが、5月の山陰北陸1000だった。
「とにかくこのトレインに乗らないといけない。」
駆け込み乗車をするように、僕はトレインに合流した。
そしてメンバーをよく見ると、よく知っている顔が。
なんと、イケさんだった。どうやらリュウさん達とばったり会ったらしく、そのまま一緒なのだとか。とにかく、久々の再会だ。
走っていると、改めて感じる。そのペースの速さと、このトレインの凄さが。
信号が青になって、リュウさんを先頭とするトレインはジェットエンジンのように加速していく。僕は前から4人目、つまり4両目を走っている。集団=トレインになる理由はシンプルで、縦一列になると先頭は風よけとなり、後ろを楽にしてくれるのだ。リュウさんはその空気を全身に受け止めて、後方が楽になるようにハイペースで走っている。
リュウさんが先頭を引っ張っている理由として、オダックス埼玉の女性メンバーをフォローしているということもある。できるだけ女性陣の負荷を抑えるため、リュウさんはそれを引き受けている。カッコイイ。全身がしびれるのを感じた。
不思議なことに、このトレインに乗っていると目の前の信号がすべて青になる。30分ほど走って、ようやく信号が赤になり止まった。
一息ついてリュウさんが、「若いの、今日はついてきてるじゃないか」と言う。僕は息を荒らげていて、笑うくらいしか返事ができなかった。
スピードメーターを見ると、常時33km/hぐらいを前後している。脚に乳酸がたまり、体の自由が少しづつ効かなくなる。心臓のバクバクという音がやたら響き、キューシートの上に汗が滴る。時折めまいと吐き気を催して、視界がゆがむ。それでも、それでもこのトレインから脱落したらもう終わりなんだということを自分に言い聞かせる。諦めたら、前に進めない。ここで終わりなんて嫌だ!
僕は意地でも超えたかった。できるだけ前へ。スタート前に走り切ると決めたのだから。
そんなA埼玉トレインは、ささやかに街灯が光る静かな町を快速で通過していった。
田舎道をしばらく走り、交通量の多い三重バイパスに再びさしかかり、再び高速道路のような道へ戻る。途中、左手にミニストップが見えた。リュウさんたちは休憩をとると言い、店内へ。僕もハンガーノック気味で辛かったので自分も休憩に入ることにした。
イートインのスペースに10分ほど座る。まだ息が荒れていて、ウエッと胃からこみ上げてくるのをこらえて、エネルギー摂取だ。
座り込んでいたいけど、やっぱり急がないといけない。僕はリュウさんたちより先に出発することにした。「気をつけて!」というリュウさんの言葉が背中を押してくれる。
なにもない、畑だけが広がる三重の田舎町。そのど真ん中に作られた、真新しい幹線道路。照らしてくれるのは、自転車ライトと街灯と、車のライトだけ。黒と赤と黄色の世界が覆い尽くしている。
ふたたび、鈴鹿サーキットまでやってきた。
ほんとに午前中に通ったのか?そう感じるくらい、濃密な時間が流れていた。エンジンの音ひとつもしない静かな場所だった。
えっちらおっちら登っていると、埼玉女性トレインの姿が。
牽いて走るミドリさんをパスするとき、「みんな早すぎるよ~!笑」と言われてしまった。*5
鈴鹿市街を抜けるとき、久しぶりにチームメートのけーこさんに会った。
なんでここにいるのだろう?聞くと、昨日のシークレットPCでリタイヤしたのだという。が、走りたいので輪行をして伊勢を拝み、復帰して走っているとのこと。ただただビックリだ!自転車の楽しみ方はブルベだけじゃないっていることを改めて実感する。
僕の事情を説明すると、けーこさんは「前に速い人がいるから、その人に引っ張ってもらうように言うよ!」と助けてくれた。ありがたい。支えられている。*6
けーこさんについていくと、前方にAJ群馬ジャージの方が。ジャージには「AJ群馬」と書いてあって、小さくぐんまちゃんの絵が。火山峠で一緒に走ったあの方だ。その方に、「大丈夫だ、きちんと走ろうね!」と言われ、ちょっとホッとした。一緒に目指すことにした。
けーこさんとはここで別れ、ただ先へと急ぐ。
▼ 迷子の兵隊
川を渡り、朝走った道をたどる。たったそれだけのことなのに、眠気が襲ってきてミスコースをしてしまう。自分に苛ついていた。
あいにく、ぐんまちゃんジャージの方もGPSを持っていないため、2人でキューシートを照らし右往左往、アタフタしながら少しづつ攻略していく。
それでもミスコースは続き、クローズの時間は着々と迫っていた。
うまくいかなくて、更にイライラしていた。一度とりもどした時間が、再び借金になっていく。「どうするんすか~!」なんて口走っていた。今思うと申し訳ない。*7
▼「乗るぞ!!」
そうこう悪戦苦闘して、ようやく夜明け前に走ったみちまで辿り着いた。
残り1時間の時点で19km。これが平坦なら、次のPCまでなんとか間にあうが、このあたりから登りが始まる。一人では絶対無理だと悟った。
マイナス思考に陥り、「もうだめだ」とポツリと呟いていた。
僕はなんとも言えない気持ちになっていた。申し訳ない。
登りは続き、残り時間は40分。残り11km。クローズタイムより+6分くらいのギャップ。ここから一番キツイのに・・・。諦めそうな気持ち。
そうやって、信号にまたひっかかる。星川の交差点は長い。
速く青になれ、そう思っていると、僕らの後ろから声。そしてライト。先程より人が多い。リュウさんトレインが追い付いてきた。ふたりにとって、救世主がやってきた。
「乗るぞ!」とぐんまちゃんジャージの方に言われ、すかさず乗った。
先ほどより人数が増えている。12~14台の自転車が、ライトで自分の居場所を主張している。さながらロードレースくらいの数。PIPIさんの姿も見えた。*8
登りがキツイ。歯を食いしばって登る。「ここで諦めたら終わり。そんなのいやだ!」必死でしがみついた。
登りの終わりが見える。30分近くは登っただろうか。2灯のライトと反射ベストたちが、真っ暗なバイパスをホタルのように駆け抜けていく。
夜明け前に通った県境にかかる橋に差し掛かり、18時間ぶりに愛知県。見覚えのある景色へ。やけくそで、最後は全力のロングアタック。
PC3が見えた。昨日泊まった満喫隣のコンビニ。クローズは23:21。急いで店内に駆け込み、目の前にあったブラックサンダーを取り、レジへ駆け込む。並んでいて、焦る。「お待ちのお客様どうぞー」と店員さんが声をかけ、いよいよ僕の番。
会計を済まし、レシートをおそるおそる見る。
よし!!!間に合った。クローズ7分前、首の皮1枚つなぐことができた。
どこに泊まろうか。30km先に健康ランドがあるみたいだけれどもう身体が動かない。オールアウト状態。イケさんと話しているうちに「ここで泊まりますか?」という流れになり、目の前にあるこの建物に。*9
昨日と同じ宿、同じ天井。
24:00ちょうどに満喫へ入り、昨日と同じリクライニングシート席を確保する。外は寒く体が冷えてしまったので飲み放題のドリンクサービスでホットココアを2杯すすってから一息つく。
ここからチェックポイントの制限時間が緩和されて、15km/hから12km/hに換算できる。というのも、ここは600km地点。とりあえず、3時間寝よう。隣の客はなにか音を立てている。気にしない。外的要因も、このシートに座った時からシャットアウトされた。
明日のことを考えてるうちにうつらうつらとしてきた。やがて騒がしい外の声が聞こえなくなり、つかの間の夢を見た。
つづく。
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】その5 DAY2(中編) ようやくお伊勢詣り
2014年9月21日(日) PM1:15 三重県南志摩町 スタートから30時間経過
残り、550㎞。
それまで好きだった晴れている天気が一気に嫌いになった。
途方にくれて立ちすくむ。
というのも、シフトワイヤーが切れて、替えのワイヤーはないから。
シフトワイヤーが切れたら、変速することができない。だから、ギアが重すぎて坂を登ることができない。
「もうだめだ。終わった。」ここからあとゴールまでは500km以上あるのに。ここで挑戦のドアは閉まったんだって、そう感じていた。
ぼんやりとここまで来た一本道を眺めて、現実逃避をしようとしていた。だけれども、変速が出来ない限りこの先の道を走ることなんて到底不可能。泣きたいような、笑いたいような。そうやってぼんやりと道を眺めていると、
ピンクのジャージを着た人が近づいている。僕の前で、止まった。
「大澤さん、どうしたんですか?」池田さんは僕にそう話しかけてくれた。
イケダさんは、僕が立ち止まってるのを心配してか、目の前で止まってくれた。事情を説明すると、「換えのケーブルがあります、手伝いますよ」と。
だけど、ほんとにいいのか?池田さんだって、ここまで稼いできた時間があるはずだ。それを、僕が奪っていいのだろうか。たまらず僕はこう言った。
「こんなことで池田さんがここまで稼いできた時間を僕が奪うのは申し訳ないです。」すると、その穏やかな顔を一つも変えずに、こう返した。「私は時間ありますし、いいんですよ!ここまで走ってきたのに、走れなくなっちゃうなんてもったいないですよ。誰かが困っていたら、その人を助けてやればいいんですよ。」
そう言うと池田さんは、すぐに僕の自転車のシフトレバーのカバーを開けて、交換に取り掛かった。僕は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
作業に取り掛かったけれども、なかなか抜けない。ワイヤーが奥に入り込んでいた。いったいどうしたらいいのだろう。しばらく、シフトレバーの変速をガタガタ押していると、少しだけ、切れたケーブルが顔を出してきた。「もうちょっとですよ、大澤さん」と顔をニッコリさせて僕を見た。僕はというと、額から砂時計のようにボタボタと汗が滴り落ち、焦りを感じる。「ガチッ!」ワイヤーに工具が引っかかった音がした。抜き取れる!ググッという感覚がして、引っ張るとスポッと一気に抜けた。
その瞬間、池田さんと僕は周りも気にせず、「やった!!」と2人で声を出して喜んだ。急いで新しくケーブルを差し込み、動作チェックをして修理完了。終わった時、嬉しさと申し訳無さで泣きそうになった。合計の停車時間は1時間ほど。この時点で借金は1時間半に達していた。いまの自分の実力だと、次のPCまで間に合うか間に合わないかギリギリのボーダーライン上だ。
「ここでリタイヤして、電車で帰るか?」そんなことも正直頭をよぎった。
だけれども、ここは東京から500km離れた三重の港町。ここで電車で帰るなんてうんざりだ。結局帰るのなら、途中で電車になっても「その時」が車で自転車の上で走っていたいじゃないか。池田さんがこのピンチを助けてくれた。何かあるのかもしれない。どうせなら、行けるところまで行こう。
「本当に、ありがとうございます!」池田さんにお礼をすると、池田さんはもう一度僕に言った。「うん、次から誰かが困っていたら、その人を助ければいいんですよ。」と。
そうならないための準備、あと直すスキルをつけないと。
再スタート。90分のビハインドを取り戻そう。
▼海沿いの道を右折し、いよいよ本日のメインディッシュ「剣峠」に。
標高は0mから一気に350mまで登る。もし修理ができなかったら到底登ることが出来なかったはず。この峠を登ることができるのも、さっきの修理のおかげ。斜度自体は、それほど厳しくない。
海沿いにあるこの峠は、片道一車線しかない上に、路面には大量の落ち葉や石が落ちていて、走るスペースは限られている。車が作った轍を通りぬけ、上へ上へ目指していく。
前方を走っているライダーをひとり、またひとり抜いていく。ケイデンスを上げていく。
いいかげん疲れた。ヘアピンの先にモニュメントが見える。頂上だ。
出発したときにいっぱいだったスポーツドリンクが入ったボトルが、すっかりカラになってしまった。喉も、気持ちも乾いている。だけれども、ふと後ろを見ると山々の間から見える南伊勢の海、そして島々。ここまでのライドでも有数の景色だった。時間も疲れも置いといて、景色をひたすらに眺めた。
時間を忘れ、眺めていると、うしろから何人かやってきた。イケダさんもいるし、がんちょさんも登ってきた。この2人は8時スタート。いかに僕がピンチに立たされていることがわかるであろう。
みんな「きつい」と言っていたが、僕はそれほどでもなかった。多分、さっきので脳内物質が出まくっていたし、そもそも僕がコンパクトドライブにしていたからだろうと思う。
伊勢側へ向かう峠の下り。神秘的で、ひたすらにきれい。
下りも登りと同じで、自転車の通れるスペースは轍だけ。しかもその轍にも、石が落ちている時があって、油断は許されない状況。ちょっとでもミスったら即パンク、ここで僕の長旅は終わる。でも、そんなスリルも今では楽しい。すっかり自分に酔っているみたいだった。我ながら、少しきもちわるい。
5人位の高校生か中学生が、反対側からママチャリで登っていくのを見た。
ここに登っていくのも、彼らにとっては冒険なのかな。僕が中学生のころ、隣町へ行くことが冒険だったように。今考えると、誰かが言った「ロングライドは心の状態」という言葉はほんとうに、その通りなんだろうと思う。後ろから池田さんがやってきて、一緒に下る。やがて段々斜度が緩くなり、峠の終わりが近づいている。
そしてカーブを左に曲がった途端、前方が突然開けた。道が広くなり、出てみると目の前にはものすごい人だかりが見えた。観光バスと観光客。そしてどこかで見たことのある鳥居。昨日トンネルをくぐったらワープした感覚のように、僕らは急に飛び出した。
「伊勢神宮ですよ」と池田さんが僕に教えてくれる。
え!?ここなんですか?
▼伊勢神宮
伊勢神宮内宮。日本史ではおなじみの天照大神を祀るこの神社は古くから存在し、江戸時代には「お伊勢参り」が流行し、全国各地から多くの参拝者が訪れた。「御蔭参り」という周期的な集団参拝の時には何百万人もの人が伊勢神宮まで歩いてきたというから驚きだ。僕も時代を飛び越え、「御蔭参り」の一員として伊勢までやってきたのだ。
そんな伊勢神宮内でお参りをしたかったのだけれども、制限時間に間に合いそうにないので、外の写真を一枚撮り、神社の方向を向いて参拝をした。
いま見ても、ポーズが意味不明
赤福の文字が頭にチラつくけど、そんな時間はどこにもない。おかげ横丁をスルーした。伊勢神宮を通りぬけ、PCへと急ぐ。
夕焼けに雲が絶妙に重なってて綺麗。後ろからやってきたライダーたちと一緒に運動公園沿いの交通量が少ない道を走る。
すっかり秋空。
イケさんはまだまだ元気そう。
おとといの石和温泉駅で挨拶したシラカワさんをパス。「おお、元気だったかい?」なんて励まされた。
夕焼けが差し込む中 490km地点 夫婦岩のサークルKには16:30に到着。池田さんはここで長い休憩をとるとのことで、再スタートはバラバラに。
つかの間の休憩。ふと前を見るとどこかで見たことのあるMTBが2台。
フィリップさんとチャリモさんだ。「元気?」と声をかけられた。
ペースは違えども、ここまで同じ500kmを走ってきたライダーだ。
それにしても、普段の2人のペースならもっと速く走っているのでは?
2人に夫婦岩のある場所へ案内してもらった。
コンビニを出て、夫婦岩がある海岸沿いの神社へと向かう。通路端に自転車を置き、砂浜を歩いているカップルや家族連れを横目に参道を進む。
しばらく進むと、さざなみひとつもない海に浮かぶ、大小2枚の岩が見えた。うーむ、彼女が隣にいたらいいのに。
確かに「寄り添う夫婦」に見える。岩と岩の間はしめ縄で結ばれているそれを見るために、周辺は大勢の観光客で賑わっている。「夫婦岩」。僕が一番見たかったものだ。彼女は欲しいけど、まだ出来ない。思いをはせて祈ってみた。
実はPCに着いた時、こんなことをチャリモさんから告げられた。
「フィリップさんはここで仕事でおわり。」
「それで、俺はブヨに刺されちゃってめっちゃ痛すぎてどうしようもない。」
チャリモさんは健気に振舞っているけど、悔しくて仕方がなさそうだった。
ふたりとも目の前でDNFの連絡をし、2人の1000kmはここで終わった。
そんな僕も先に行かないといけない。次のチェックポイントまでの制限時間はそれほどない。急いで自転車にまたがり、出発をしようとした時、肩を叩かれてこう言われた。
「ゴールの制限時間、横浜にあさっての10時までだったっけ?」と。
時間を告げると、
「わかった、じゃあ俺たち明後日のその時間、フィニッシュ地点に迎え行くから、絶対完走してよ!俺らの分も託したよ。ゴールで待ってるから!」なんて約束をした。まいったな。そんなことを言われると頑張らないといけないじゃん。よし、やってやろう。
「ゴールで待っててください。約束通り絶対横浜に戻ってきます!」
残り500km。約束ひとつ、飛び出した。
チャリモさんとフィリップさん。本当の夫婦みたい?笑
携帯を見ると午後5時。依然、借金は1時間半のままだ。
つづく。
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】その4 DAY2 前編
2014年9月21日(日) AM03:45
むくり。
予定通り、起きることができた。起きていた周りの人たちは、ぐっすり寝ているみたいだった。
たった1時間半の睡眠だったけれど、室内で寝た分回復している。そんな人を横目に、会計をするためにレジへ向かう。
890円。一泊でこんな安いなら、満喫に泊まるひとが多いのも納得。*1
満喫の外でPIPIさんと合流しあ、ちょっと早い朝の挨拶
「寝れましたか?」「ま~ま~じゃない?」
といつもの脱力系な感じでPIPIさんが答える。
気温は、15℃まで下がっていて寒い。体がガタガタするから自転車に乗って走ったほうがあたたかい。さっさと出発しよう。
2日目の出発だ。
この日走るコースは以下のとおり。橋を渡り三重県に入ったら四日市、鈴鹿、津を経由し三重県南部へ下りPCのある志摩へ。そこからこのコース最大の目的、伊勢神宮・夫婦岩を訪れたあとは走ってきた道を戻り、再びこの満喫の隣にあるPCまで走る280km。
まずは、130㎞先の志摩のPC2まで12:47までに到着しないといけない。
峠は志摩の帰りにある剣峠しかないものの、
全体的にアップダウンが連続し、地味に苦しめられることが予想された。
ルートはこちら
スタートして間もなく、橋を渡った。木曽川にかかる愛知と三重の県境をまたぐ長い長い橋。
今日の午後11時21分までにここに戻ってくる。そう心の中で誓う。
午前4時という時間は、散歩をするにはまだ早い。大抵夢をみる時間だ。
ところどころ街灯の明かりが見えるだけ。あとは川のせせらぎくらいか。
途中で大きな鳥居をくぐり、多度大社の脇を通った。
「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」と
古くから言われているらしく、つまり、
「伊勢神宮だけじゃなくて多度神社もいかないといけない」
のだけれども、僕はそんなこと知らなかったから、行きも帰りもお祈りせず行ってしまった。
それにしても今日の朝は、やたらめったら寒い。*2
多度大社前の交差点信号はやたら長く、まったく車が通らないのに2分以上待っても青になる気配がしない。体が冷えてしまった。
「寒い~まだかな、突破したくなっちゃうよね~」とPIPIさんがポツリ。
「突破したいっすね~。僕らを感知してないのかな?」と僕も答える。
それでもお互いに、きちんと信号を守るというのは当たり前だけども大切なことだと僕は思う。見てないから信号無視。そんな非常識は通用しない。
冷えた体を温めるには絶妙なコース。
上ったり下ったりでいい発汗運動になる。
この町の幹線道路なのだろう、県道をひた走る。
空が少し青くなり、ライトが照らした世界以外のものが見えるようになった。
田圃の間を走っている。電柱が、はるかかなたまで続いていてそれ以外は何もない世界。まるで北海道の台地を走っているかのように感じだ。
しばらく走っていると、前方に赤く動いている物体が見えた。
ライダーだ!結構ゆっくり走っている。眠いのだろうか。
「誰かな?」と思い、前を追いついて顔を見てみると、
なんと同じチームの大先輩、池田さんだった。
僕は池田さんのことを親しみをこめて、「イケさん」と呼んでいる。
かつて日本縦断の時、池田さんと400㎞を一緒に走ったことがあり、
いろいろ助けてもらった。いわば勝手ながらも師匠のような存在。*3
池田さんも、どちらかといえば「鉄人」だと思う。
たとえ途中でタイムアウトになったとしても、最後まで走りぬくことがある。*4
「認定」がすべてでないということを教えてくれた方だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今回イケさんは、僕より1時間遅い8時スタート。
ちょっと眠そうだ。いつもよりちょっと低いトーンで池田さんはこう言った。
「おお!大澤さんとPIPIさんじゃないですかぁ、眠くて眠くてしょうがなかったんですけど…ここで会えてよかったです。眠気が飛びました。」
あの寒空の下、コンビニの近くで30分くらい仮眠していたようだ。
そんな池田さんが透明なサングラスをつけていたのを見つけた僕が、
「そのアイウェアどこで買ったんですか?」と聞いてみた。
すると、予想外の答えが返ってきた。
「ああ、ホームセンターで急遽買ったんですよ、結構いいでしょ?」
そんなこんなで、3人に増え、チーム亀太郎トレインのできあがりだ。
後ろの青いジャージが池田さん。前はPIPIさん。
3人になったことで心強い。引き続き、四日市のアップダウンを淡々と進んでいく。ちょっとディレイラーの調子が悪いのか、うまく変速しない。
何かもやもやする。
この時点で、足きりのペースより1時間ぐらい遅い。お昼までに間に合うには平均18㎞/hぐらいのペースで進まないといけない。
ロードバイクで走ると、だいたい時速30km/hぐらいならだれでも出せる。
だから18km/hと聞くと、一見楽勝に見える。だけれど、これは信号で止まっている時間も含めての18㎞/h. 実際は19~20㎞/hぐらいで進んでいるのだ。
現段階だと、一回でもパンクしたらお昼までにPCに間に合わない可能性があった。
そんなリミットに間に合うように、3人でトレインを組んで進む。
かわるがわる先頭に立って、二人の空気抵抗をできるだけ減らすべく頑張る。
それにしても、朝方はなかなか体が動かない。からあくびが止まらない。眠気は日がでるまでの辛抱だ。明るくなれば目は覚める。
長距離ブルべの悩みの一つとして筋肉疲労とエネルギー不足がある。昨日あれほど登ったからだろうか、身体に疲れがきている。胃の調子はぼちぼちだが、時折胃酸が喉まできて気持ち悪くなる。カロリーの消費と補給のバランスが追い付かず、パワーが入らないのだ。今回は3人で話し合った結果、50㎞に1回、10分ほどのコンビニ休憩を入れつつ走ることにした。ずーっとがんばって走っても、限界がきて休んだほうが速い。経験上そうだったからだ。
いよいよ西から気持ちのいい太陽の光が差し込み、二日目の朝が来た。いよいよ、第2ラウンドの本格的なはじまりだ!
▼ 鈴鹿サーキットと旧伊勢街道
四日市というと地理や社会の授業で出た四日市工業地帯を連想する人が多いかもしれないが、あれは海沿いの話。僕たちは内陸部をぐいぐいと進んでいった。
R東京のオフィシャルフォトより。けっこう田舎道。河川敷を走っていると、大量の気球。カラフルで面白いデザインがいっぱい飛んでいる。
写真を撮りたかったのだが、撮り忘れてしまった。
再び県道に合流し、鈴鹿へと向かう。
鈴鹿といえば、F1が開催される鈴鹿サーキットを思い浮かべる人が多い。
小学校の時にレースの応援で鈴鹿に行ったことがあったなと当時の光景を思い出す。もちろん、サーキットの中を走ることはできない。
遠くから、S字コーナーのあたりを眺める。
なんとサーキットの真下を県道が開通していた。贅沢なコース。立体交差の下をさらにくぐるっていうの。ヤバいな。
そして池田さんは元気そう、すっかり回復したみたい。
サーキットの周りは田舎だ。やっぱり、騒音とかのことを考えるとね。ホンダのお膝元の街、鈴鹿。やっぱりホンダ車が多かったのを覚えている。*5
間違えて高速に入ってしまったのでは?と思うほど、中勢バイパスは交通量がすごかった。自転車が走っていいのだろうか?なんて考えるほど。
先頭に出て、2人を引っ張ろうとするのだけれど頑張りすぎてPIPIさんたちを置いてけぼりにしてしまうことも…(―_―) 反省。写真は撮る暇がない。
1時間ほど走っていた。すると前方に常夜灯が。江戸時代、「お伊勢参り」のルートだった旧伊勢街道に差し掛かった。
趣のある家々が軒を連ね、道路の色も街道沿いだけ変わっている。常夜灯が立っていて、昔はここを経由して伊勢神宮に向かってたのか。ここだけのどかな時間が流れている。タイムスリップをしたように、そこだけが。
信号待ちをしていたら、反対側から反射ベストを着たランドヌールを見つけた。100㎞先にいるってこと? 見たことがあった方なので、声をかけてみた。「もしかして、hideさんですか~!?」「そうですよ~! コーヘー君だっけ?」を返事が来て、ブルべ界最速の一人、hideさん*6その人だということがわかった。青になってすれ違いざま、「お気をつけて!」と言われ「ありがとうございます!気を付けてください!」と返す。
独走状態だった。
▼彼岸花と最後の激坂
旧伊勢街道沿いを離れると、再び景色は田舎道に。
ここら辺の地域ではコメの収穫が終わっていることに気づき、西日本と東日本の気候の違いを感じ、ここまで走ってきたんだなという実感が湧く。
道端にはいたるところに彼岸花が咲いていて、茶色だった景色の中に彼岸花の紅色だけが存在感を発揮する。
しばらく走っていると、「赤福」の看板が見えた。
至るところで「赤福」「赤福」…。しまいの果てには通りすべての電柱に「赤福」とついているところまで見た。これって「水曜どうでしょう」でも見た覚えがあるわ。
「赤福氷」とか食べてみたいなあ。ここらへんで、借金していた時間を取り戻すことができた。「伊勢で時間あったら食べられるかも!」とこのときは期待していた。
そして、PCまであと20kmのとこまで辿り着いた。いよいよ志摩に入る。
「100mくらい上りは2回くらいあるって書いてあるけどそれくらいなら楽勝だろ」…そのときは、そんなことを思っていた。
登りに入るや否や、急にそり立つ壁が現れた。10%近い斜度でしばらく登らされたけどもう大丈夫…ではなかった。
勢いよくまっすぐ下り、それと同じぐらいまっすぐ登る一本道が目の前に。
しかもそれは一回だけじゃない。何回も繰りかえされている。
山陰北陸1000を思い出すアップダウン地獄。斜度の緩いアップダウン。赤福看板が見えるアップダウン。ジェットコースターのようなアップダウン・・。永遠に感じるくらいのアップダウンが続いた。*7
気がめいるほど上った。そしてあるトンネルを抜けたとき、ようやく視界が変わった。
海が見える‼
目の前に広がる蒼い海を見ながら水分補給していると、8時スタートのすーさんとすれ違い、PIPIさん達に追い抜かれてしまった。
急いで合流。なんとか足きりまでには間に合いそうだ…。
伊勢海老の巨大な案内模型が道端に堂々と置かれている。チェックポイントのコンビニが目の前に見えた。うれしくてたまらない。
447km地点 PC2、志摩 12:20到着。
貯金は20分程度。何かトラブルがあったら即終わりだった。
仮眠スペースには、くたびれたランドヌールたちが天日干しされていた。
その中に、ジロウさんがいるのを見つけ、ここで28時間ぶりに会うことができた。どうやらすーさんと一緒にここまで来たらしく、一睡もしていなかったのだという。起こさないで、静かに休ませよう。
そしてここで、今回の亀太郎では唯一の女性ライダー、けーこさんは昨日のシークレットの時点でDNFとなってしまったようだ。残念・・・。
ここのPCでパスタ等を補給。気を抜くと眠気が襲ってくる。20分くらい横になり、再スタートまでに1時間かかってしまった。
借金は30分ぐらいだ。だけれども、次のPCは600km。ここから150km離れているから、十分なマージンを持って挽回できると考えていた。
「亀太郎集合!」の写真を撮ってもらった。今回の一番のショットだと思う。
左から、池田さん(イケさん)、僕、ジロウさん、PIPIさん。 最高の写真ですなあ
ジロウさんと一緒にイケさんは行くみたいだ。僕は先にPIPIさんと出発することにした。
13:10 行動開始。今度は伊勢神宮をターゲットに進撃だ。
<次回>
・・・走り始めてすぐ、サドルバッグの固定部分がふらついていることに気づいていったん停止。待っているPIPIさんに「すんません、30秒で追いつきます」と先行させた。
サドルバッグをチェック。・・・止め金具がゆるんでた。慌てて直し、出発しようとしたその時、トラブルは起きた。
「ガゴヅッ!!ガガガッ! バキバギャッ!」
自転車後方からとんでもない音。明らかに異常な音だ。
シフトレバーを押してみても、スカスカで全然反応がない。
「え、ワイヤー切れた???」
しかも最悪なことに、ギアはトップに固定されていた。
変速ができないと、これから登る山なんて、到底登れたもんじゃない。
さらに僕は、交換するケーブルも無ければノウハウもない。ここまで走ってきて、こんな終わり方もあるのか、やはり1000kmは甘くないのか⁇
つづく。
*1:まんが喫茶は山ん馬 立田店でした。ちなみに愛知県・岐阜県を中心に展開している漫画喫茶とのこと。
*2:15℃だった。
名古屋の過去の実況天気(2014/09/21) - 日本気象協会 tenki.jp
*3:亀太郎ジャージを貸してもらったり、引いてもらったり、いろいろ・・・。
*4:イケさんは、山陰北陸1000のDNF後にそのまま一週間近くかけて三条燕まで走っていました。病院から帰る時あたりにその記事をfacebookで見た時は都市伝説だと思っていたのですが、どうやらマジみたいです。
*5:この近くにはホンダの工場があったというのも理由のひとつなのかな?
*6:本当にブルベ界最速のひとり。中山道キャノボを達成したり、大阪→東京を21時間で走ったり、そのエピソードは数知れず。
*7:PIPIさんに言わせれば、「アタック日光&ビーフの広域農道みたいな感じ」
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】 その3 DAY1(後) 中津川→愛西
9月20日(土)PM6:00 スタートから12時間経過 200km地点、岐阜県中津川市
▼ついに岐阜県へ!!
暗闇の道を下っていると、遠くにキラキラした街が見えた。あれが中津川かあ。実感が全然わかない。*1
街に降りても、そこで泊まることはできない。
再び集落がある山奥の集落へ抜けていく。
集落は危険な道ばかりだった。
軽自動車が一台通れればいいくらいのスペースの道。ガードレールもないよく見ると、真っ暗で遠くから水の音が聞こえる。落ちたら二度と戻ってこられない、なおさら誰もいない、死んでしまう。更にグレーチングに引っかかり落車しそうになった。*2
ようやくここで先行していたPIPIさんと合流することができた、200.1km地点、通過チェックのセブン-イレブンに18:38に到着。ようやく全体の1/5の行程を終わらせ、2時間ほどの余裕を確保することに成功した。
この時点で気温は14℃。 凍てつく寒さが襲う。
またコンビニ飯。ジャンパラヤだけでは飽きたらず、カップヌードルのチリトマトも買って外で食べていた。めっちゃ寒い。
久々にフィリップさんたちと会った。いつもと違う険しい顔。
「つらさしかねえ」と吠えている。
他の参加者からは
「蛭川峠って一番ヤバイとこなんだよね?今までの峠なんて前菜だよ」とか
「ここから山道だし、熊も出るし、キツイから。俺ここでやめようかな~」
という言葉も聞こえてくると、さすがにテンションが下がっていく。
コンビニで30分休憩し出発。
真っ暗な県道を左折し、ここまでは順調だった。だけど、さっきから「熊」というワードが頭にちらつく。街灯もない道に差し掛かった途端、ついに恐怖で一歩も動けなくなってしまった。なさけない!
後続を待つことにしたけれど、なかなか来ない。10分ほど待つと、後ろから眩しい自転車のライトが見える。「いくぞ!」と思い、トレインに乗った。
3人位だったトレインはしばらくすると分裂し、僕ともう一人だけになってしまった。元気で優しい印象の男性はシンさん*3という方で、なんと僕のことを知っていた。どうやら同じチームのナオキさんやしほさんと繋がりがあるらしく、そこから知ったとのことだった。しばらくご一緒させてもらうことに。いよいよ最終関門にして今日のメインディッシュ、蛭川峠の入り口に差し掛かった。
▼魔境、蛭川峠
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=1dc34531fcfbd3fd7675bdbb5e87ff49
距離3.2km。 平均斜度10.6% 片道一車線の林道。それが蛭川峠。
県道を左折すると、それまであった街灯はひとつもなくなり、闇の世界が広がっていた。と、急に勾配がきつくなり、ペダルの回転数が落ちていく。
真っ暗で見えないけれど、どうやらもうすでに峠の入口に差し掛かっているようだった。林を切り開いて作った道路は狭く、車一台が通れればいいほうだ。道路脇には車が捨てられていて、窓ガラスは割れ錆びついていた。
「ここで足をつけたらマズい、マズイ予感がする。」
僕はそう思った。
写真はR東京。*4
シンさんに「そろそろ終わりですよね?」って言ったら、
「まだまだここからだよ。」なんて言われた。もう帰りたい。
ついに錯覚を見始めた。平坦だ!と思ったら斜度が緩くなっただけ。
ほんとに帰りたい。けど、帰ったら半年の思いがムダになるだけだ。
カーブミラーが増えてきて、頂上に近づいているのがようやくわかった。できるだけ前に進むために、浮き上がってウィリーしそうな前輪をこらえて押さえつけ、全力でペダルを踏み続ける。
傾斜がゆるくなった。今度は幻じゃない!!
僕の声が、静寂の峠に響いた。
「よっしゃあ! 終わりだああああ!!」
子供のように大声を上げて、シンさんと喜びをわかちあった。
最大にして、最高の難所。215.9km地点、蛭川峠。
20:08、山頂到着。 出せるパワーを全部出しきった。
▼救い
地獄から這い上がってきたような峠を攻略したら、今度は下り。
シンさんのダウンヒルについていく。自転車がすれ違えばいいくらいの道。時速40km。ライトが照らす光だけが見える。
突然、道路の落ち葉にタイヤをとられた。目の前は右ヘアピン。コントロールを失い、とっさにブレーキをかける。ブレーキレバーを握る手に力が入り、ボロい自転車みたいな摩擦音がする。制動できない。ギリギリのところで踏ん張り、闇の向こうへ落ちていくことだけは免れた。呼吸が乱れる。
一息つく暇もなく、今度は野生動物が横切る。
下手なジェットコースターよりスリルがある。今度スリルを求めたい人がいれば、ぜひ夜に自転車でダウンヒルをすることをオススメする。
そこでは、自分の想像以上にとんでもないことが待っているはずだ。
ようやく峠を脱出することができた。しばらく平地だ。前にいた集団と合流し、その中にピピさんを見つける。観光地の坂折棚田は、真っ暗闇で何も見えない。意地で真っ暗な写真を撮って
「これが日本棚田百選に選ばれた 坂折棚田だ!!」とツイートする。
もはや、ここに来たという証明はこれしかなかった。*5
中津川市境のキツイ山道をやっと通過したら、今度は山奥の県道に入る。
もちろん、街灯なんて存在しない。あるのは、自転車のライトだけ。
この世の終わりのような気分、精神的にボロボロになっていた。
しばらく進んだだろうか、真っ暗な農産物直売所の脇に光るテント。
なんだろう…シンさんが喜んだ顔で言った。「シークレットPCだ!!」
テントを仮設して作られたシークレットPC。まこたさんやバッキーさんがいました。
まこたさんのファイティングポーズ。やったね!
スタッフからココアを一杯貰う。全身が内側から暖かくなっていく。
この時のココアがブルベ中1番美味しかった。こんな寒いところで待ってるR東京のスタッフさんたちに感謝。
右端はシンさん、真ん中青のジャージは「チーム亀太郎」のチームメイト、PIPIさん。
そして端っこが僕。顔が死んでます(^q^)
▼ついに、愛知県へ。
チョコとココアを補給して、シンさんとPIPIさんの3人で再スタート。酷道の代わりに新しく作られたバイパスを経て、街へ下る。
10kmのストレートだ。
冬季凍結防止のために道路に縦溝が作られていた。それにハンドルを取られてしまうと全然コントロールができない。転落しそうになってヒヤヒヤ。
時速60km出てます(^q^)
バイパスの駐車場には、その走りやすさからか、走り屋の車が何十台も止まっていた。その脇を時速60kmで通り抜けると、誰かが「うおーっ!!!」と叫んでいるのが聞こえる。
確かに深夜に走ってたらびっくりするだろうな。
ようやくふもとの町に降りることができた。暖かい。ようやく寒さ、暗さから開放された。着ていたウィンドブレーカーを脱ぎ、戦闘モードへ入る。前を走っていた二人組を吸収して、ここから可児までPIPIさんとシンさんたちの爆走に付いていった。残りは32kmぐらいなのだけれど、眠くてしょうがない。
11時くらいに、愛知県に入っていることに気がついた。
今朝山梨を出発して、今愛知県にいること自体が信じられない。
「0時までに一宮に着きそうだ」という会話のとおり、280km地点、一宮のPCには23:52に到着!当初の予定よりも1時間ほど速くつくことができた。この近くにホテルを確保しているシンさんとはここでいったんお別れ。お礼を言った。同じ満喫に泊まるPIPIさんにも「4時に満喫を出発」と約束して先に行ってもらうことにした。
▼ピルクルに救われる
実は、相当このとき胃の調子が悪かった。街へ下る時に寒くて内蔵を冷やしたうえ、先ほどの爆走列車に付いていく時に胃が荒れてヘロヘロになっていたのが多分原因だろう。ブルベでは、固形物が食べられなくなると完走は難しい。エネルギー補給が追いつかず、エネルギー切れなんてことだって考えられる。どうしよう、焦る。そんな時、以前黒澤さんが「ピルクル」という乳酸菌飲料を薦めていたことを思い出した。効くかわからないけれどとりあえず飲んでからしばらく休んでみると、「あれ?楽になったぞ?マジか!」と動けるようになった。固形物も食べることができる。恐るべしピルクルパワーを実感しつつ、再スタートを切ることができた。
▼おはようからおやすみまで
爆音をかき鳴らすバイクが多い深夜の一宮市街は、信号が多い上に単調で眠くなる。市街を抜け出し木曽川沿いを走ると、真っ暗でひたすら寂しい気分になる。この河川敷沿いの道がなかなか油断のできないモノで、自動車通行防止用のバンプで転びそうになって気が抜けない。おまけにどこで曲がればいいのかわからず迷子になったりした。
満喫*6に着いたのは午前2時10分ごろだった。PIPIさんの自転車がきちんと置いてある。リクライニング席を選び、アラームを午前3時50分にセット。これでやっと長いこの一日が終わるのか・・・。
ウィンドブレーカーをかけて、1時間ほどの眠りについた。
つづく。
*1:実は、この時のブルベでも有数の景色を眺めることができる場所でした。写真を撮ろう…と頭の片隅で思いながら、結局自分が止まるのがいやで撮影ポイントを逃してしまったということを今でも明確に覚えています。写真を撮りたいと思ったら撮ったほうがいいです。マジで。
*2:ここでリアライトが脱落した時に気づきました。ほんとにやばかった。
*3:sin3だった。今では千葉ジャージを着ている印象だったけど、この時も千葉ジャージだったような記憶が…
*4:))
重力とのケンカが始まる。
登って早々、後ろからシンさんに「登り始めで13%入った~ヤバイ!」と情報が入った。斜度を聞けば聞くほどツラい。斜度なんて聞かなくても、この峠はツライことはわかっているくらいだ・・・。
脚に力が入らないほどキツく、ダンシングでも精一杯だ。
頭がいたくなる。乳酸がたまって視界がゆがんできた。
スピートメーターは1ケタの数字を指している。
写真はR東京の提供。僕じゃないけれど、蛭川ってこんなとこ。
恐怖の度合いは、標高が高くなればなるほど増していき、ついに「熊注意」の看板が見えた。冷や汗なのか暑いのか、もはや全然わからない。
怖くて、普段では出ないくらいのパワーが出ているのだと思う。
終わりのない生き地獄だ。
時折、「ガサガサッ!!!」という音が森の向こうから聞こえる。
これが風の音じゃないことだけは、わかる。
そこから逃げたい一心で、ペダルを回し続けた。
寒いのにヘルメットから汗が落ちる。一人で走っていたら発狂していた。((「R東京のスタッフがおばけとして出てくるかも」とかそんな会話をしていた記憶がある。しゃべらないと精神的に持たなかった。
*5:後日、ズッチャさんが日中走って通過した時の写真を見せてくれた。綺麗なところです。
*6:ちなみに、
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】その2 DAY1前編 スタート→中津川
ぱちり。
寒さで目が覚めた。周りは数時間前と同じ、真っ暗。
時計を見ると、午前5時、予定通りの時間に目をさますことが出来た。周りを眺めると、他にも何人か寝ているみたいだった。寝間着からジャージ姿に着替え、戦闘モードに入り出発の支度をし、部屋を出る。いつもより時間の流れを遅く感じている。緊張してるみたいだ。
チェックアウトするために、カウンターへ向かうと、僕が所属している「チーム亀太郎」のすーさんとけーこさんに出会った。
ふたりとも「規格外」という言葉が似合うようなランドヌールで、すーさんはフォースSRを獲ったことがあるし、けーこさんは寝ないで走り続ける。そういう意味で「規格外」なのだ。
すーさんは8時スタートだけど、速いからいつ追いつかれるのだろうか。「リラックスリラックス!お互いに頑張ろう、まだあとでね!」と励ましてくださった。けーこさんとは、合宿以来だ。けーこさんにも「緊張してるね、夏休みけっこう走ってたよね、早くなったんじゃないの?」なんて励まされてしまった。
チェックアウトをして外に出ると、うっすらと雲が全体にかかっていて寒い。スタート地点の駐車場へ向かうとすでにスタートの受付を始めていて、僕と同じように黄色い反射ベストを着た人たちが集まっていた。妙な緊張感と、高揚感を感じる。
この日は、一日中山を登り続ける。
ルートはこちら。
峠だけでも富士見峠、杖突峠、火山峠、飯田峠、大平峠、馬籠峠、蛭川峠…と7つの峠を超えなければならない。全行程で最も厳しい登りが続き、この日だけで4200m登る。山梨⇛長野⇛岐阜⇛愛知の4県。
この日僕が仮眠ポイントに選んだのは320km地点、愛知県愛西市、立田大橋近くの漫画喫茶だ。ちなみに、PC3が隣にある。
漫画喫茶に着く時間は、理想として午前1時ごろ。そこを4時に通過することは決めていたので、3時間の睡眠時間は欲しいところだ。その睡眠時間は、僕がこの日走った分だけ作ることができる。飯田峠から蛭川まで、マージンを稼ぐのは絶望的、それ以外の区間でどうやってマージンを稼ぐかが今日の勝負だ。
テントが設営されていた。この日はR東京のスタッフとして活動している、しほさんとナオキさんたちに挨拶をして、スタート受付を済ませた。新しいデザインのブルベカードは、水色で格好いい。
前日に切れてしまったサイコンのタイラップも、ナオキさんが一本持ってくてくださったお陰で無事治すことができた。ここで同じ7時スタートでチームの仲間、グルべライダーPIPIさんと、ジロウさんとも挨拶できた。「コーヘーくん、元気してた?」今日はジロウさんも緊張しているのかな。
主催者によるコース説明、ブリーフィングが始まった。7時スタートの参加者が一斉に集まる。50人くらいか。R東京代表のチャーリーさんが説明をする。「前半の300kmを速く通過すること、つまり一宮に遅くとも4時までに通過できるかが、この1000kmを完走するカギ」だそうだ。その他は路面の注意事項などについて、いつものブルベと同じだ。
参加者の記念写真を撮影して、車検へ。
さあ、終わらせたら出発だ・・・。と思っていたけれど、なんと前日に買ったリアライトがうまくはまらずに。直しているうちにみんな車検を終え、結局最後尾あたりからのスタートとなった。
そんなこんなで、やっと自分も車検を終わらせて、いよいよ出発だ。正面には昨日も見たあの「伊勢夫婦岩START!!」の横断幕が。緊張で背中に汗を書いていた。でも戸惑っている暇はない。とにかく行こう。
20日午前7時、横断幕の下をゆっくりと抜け、75時間、1000kmのロングライドが始まった。
▼スタート~茅野
スタートして間もなく、後ろに2人ライダーがいることに気づいた。
「あれ、俺より遅くスタートした人いたんだ?」と思い後ろを振り返る。速い。ちらっと後ろを見るとMTB。あの人しかいない。でも、もう一人もMTB。
誰だろう?甲府駅近くの踏切で追いつかれた時、ようやく誰かわかった。僕はちょっとぎこちなく、話しかけた。
「フィリップさんと…チャリモさんですか?」
髭を生やした方が答えた。
「あ、そうですよ!コーへーくん…かな!?」
フィリップさんは髭がダンディーなナイスガイ、チャリモさんはとても若く見える好青年。ふたりとも、気さくな方で話しやすい方だ。前者はMTBランドヌール、後者は聖地巡礼ライダー。この2人に共通しているのが「4ケタ」を走っていること。とんでもない人達だった。
挨拶をして、2人に僕はついていくことに。でも、それもほんの一瞬だった。
MTBなのにめちゃくちゃ早くて、*2僕が坂を登るのに苦労していると後ろから何食わぬ顔で僕をパスし、その後視界から消えてしまったからだ。
再び一人旅だ。
やたら今日は交通量が少ない。そうだ、今日は休日だったんだ。時々通る車のエンジン音以外は、びゅうびゅうという風を切る音だけ。自転車に乗ってて一番楽しい感覚かもしれない。
盆地の甲府の街を抜けだすには意外と坂を登らないといけない。
アップダウンを経て、郊外に飛び出した。ここから長野県まで一本道だ。
▼沿道の応援
スタートから1時間くらい経っただろうか、甲州街道に差し掛かった。それまで甲州街道というと都内の狭くゴミゴミしたところしか走ったことなかったけれど、さすがに山梨も西の方まで出ると快適になる。進路を北西にとり、前へ進んでいく。
それにしても、道路の周辺はなにもない。コンビニも、ファミレスも、スーパーもショッピングモールさえも。あるのは畑と田んぼ、そして周辺を囲むような低い山々だけ。天に登っていくみたいだ。人工物で目立つのは「仮眠室アリ」という標識と「廃棄物処理場反対」の看板。川を横目に進む。
次々と、先にスタートしたライダー達をパスしていく。ひとりづつ、淡々と。途中、ジロウさんもパス。ピースサインをするほどまだまだ元気みたいだ。
韮崎を通過。とにかく50km先の杖突峠は10時に着きたい。そうすれば1時間ほどのマージンを稼げるからだ。それを目標に走り続ける。
貴重なマージンを稼ぐために、僕は「ガンガンいこうぜ」作戦だ。
先ほどと同じ景色。だけど少しずつ斜度がきつくなり、標識には長野県の街「茅野」の文字が出てきた。早くも脚がつらい。頑張っていないのに汗が出てくる。ダンシングで登っていると、犬の散歩をしていたおじいさんの「がんばれ!」という声援が聞こえた。手を振って応える。
▼富士見峠
スタートから2時間ちょっと。47km地点、橋を通過するときに「長野県」の標識が見えた、富士見峠へのアプローチが始まった。バイパス道路だからか、トラックの交通量が多く、僕の腕をかすめていく。僕は斜度のきつさとかより、こういう交通量の多い峠が一番苦手だ。塩尻峠とか大嫌いだ。
悪態をつきながら登っていると、前方にピンクのジャージを発見。けーこさんだった。いつもよりゆっくり走っている気がする。「あれ、けーこさんっていつもこのペースだっけ?」と思った。ちょっと心配だ。でも声をかけると「大丈夫」というので、僕は先を急いだ。
ダンシングをして峠を超えた。そしてすぐ下りに入り、今度は重力から開放され、遠く続く一本道の果てに小さく見える街へと惰性を利用して降りていく。スピードが上がり、景色が流れていく。車と同じくらいのスピードで走っているのが信じられないくらい。
茅野へのダウンヒル
諏訪湖沿いにある茅野という街に入った。ここまで頑張った甲斐があってか、目標どおり、10時ジャストには杖突峠手前にあるコンビニまで辿り着いた。ちょうど1時間ちょいの余裕を確保。
下りからお腹がペコペコで死にそうだったので、そのコンビニで朝食を食べることにした。外に座り込み、買ったおにぎりを一口ほおばる。頑張ったあとのおにぎりがおいしい。のんびりしてるとサカイさんとジロウさんがやってきた。「お腹すいたー」といいながら店内に入っていくのを見送り、再スタート。10分ほど休めただろうか。
▼プロの走り
いよいよ第二関門、杖突峠へのアプローチを開始する。700m登り、標高は1300mまで達する。平均車度は6%。どちらかといえば、走りやすい。
甲州街道をはずれ、明るいトンネルを抜けると、本格的な登りに入る。8月に亀太郎の夏合宿で走ったということもあり、それほどキツさは感じない。足に重力がかかり、スピードメーターは1ケタの数字を指す。ゆっくりと、無理をしないペースで登り続けることが大切なのだと自分に言い聞かせて登り始めた。走っていると、ロングタイツが蒸れて暑くなる。足元のジッパーを膝上まで上げて体温を落とす。
そんな矢先。突然後ろからものすごいペースで一人のローディが登ってきた。ブルベを走っている人ではなさそう。「ここらへんに住んでいる人かな?」なんて最初は思っていた。でもよく見ると反射ベスト、元プロのランドヌール、ズッチャさんその人だった。「ひっぱってくれてもいいんだぞ、若者~~」*3と言いながら、僕との差を更に広げていくズッチャさん。追いつこうと思ってダンシングをするも結局追いつけず、視界から消えた。そんなことで、ヘロヘロになりながら僕は峠を登り続けた。
頂上近くまで登った時、駐車場の近くに展望台があることを思い出し、そこに立ち寄ってみることにした。展望台入り口には入場料100円を入れるようにと書いてあり、コインケースが置いてある。お金は払わなくても大丈夫っぽさそうなのだけれど、一応入れておいた。
ギシギシ音を立てる展望デッキに出ると、さっきの下りで見たよりも雄大なパノラマが目の前に!青い諏訪湖、となり町に向かう電車や車は豆粒サイズで、よくできたジオラマを見ているようだった。
▼デコイ
杖突峠を超えると、緩やかで長い下りに差し掛かった。山あいに挟まれた集落の間を走り抜ける。中央構造線の沿いに走るこの区間は、集落があるにもかかわらず、信号がない。それほど、人がいないのかもしれない。
何もしなくても時速40kmに達し、するりするりと景色が流れていく。笑ってしまうほど楽しい。ジェットコースターに乗っているみたいでいい。途中見た車は、農耕車だけ。
気分が高まり、誰もいないのを確認した後「ふぉーーー!」と叫んだのは内緒。
そんな浮かれた気持ちを一気に引き戻したのが、道中行われていた取り締まり。秋の全国交通安全運動期間中だったため、警官も多くいた。別に何か悪いことはしているわけじゃないけど、その横を通るときは一応スピードを下げていった。警官が立っていたので、軽くお辞儀をする。全然反応なし。よく見ると警官に似せて作られたデコイ(作り物)だった。
ちょっとびっくりして「なんだよ、本物じゃないのかよ!笑」とひとりごとを言っていたら、今度は本物の警官が目の前にいて「わっ!」と声に出してしまった。はずかしー
そんなこんなであっという間に、桜が有名な高遠という小さい町に入った。高遠城址公園を通りぬけ、通過チェックポイントへ。時間制限のないチェックポイントだ。
スタートから4時間39分。
最初の通過チェックポイント 91km地点のセブン-イレブンに11:39に到着。
マージンは1時間ほど。
急いでコンビニに入ろうと駐車場を見ると、よく見たことのある車が。車の中をみると、なんと母親が!わざわざ、応援に来てくれたのだ。「大丈夫、ありがとう」と伝え、家族に無事を伝えるため、2人並んだ写真撮影をした。
ここでは簡単にきゅうり巻きと鮭おにぎりを頬張り、エネルギーゼリーを補給をして再スタート。近くにローメンという、鹿肉を使ったラーメンみたいなご当地グルメの美味しい店があるのだけれど、今回はスルーせざるをえない。
▼火山峠
PCをすぐ出発して、再び伊那谷の集落沿いを南下する。右手には駒ケ岳の山々が見える。季節柄、通りかかった近くの小学校では運動会が行われていて、お馴染みの「赤も、白も頑張ってください」と言うアナウンスが響き渡り、あたりの田んぼではトラックほどある大型コンバインが稲を収穫している。夏が終わったことに、ちょっとノスタルジックな気持ち。
「かざん峠」ではなく「ひやま峠」なのです。
しばらく走ると、再び登り。第三の峠、火山峠へアプローチ開始だ。ちょっときついと感じる。だけれども、一緒に走っていたAJ群馬ジャージを着た方が「これくらいの坂で峠って感じるんだろうかねえ~」と言ってグイグイと先に登って行ってしまった。今回はマイペースを守りきって登った。、
火山らしさを全く感じない火山峠を12時半ごろに通過。全体的にそれほど斜度はないのに、足が張っている。距離を2倍したくらいの疲れが襲ってくる。昨日それほど眠れなかったからなのか、体は正直だ。
▼伊那谷
火山峠を降りたら、今度はアップダウン。下ったら、また登り。これを何回も繰り返す。相変わらず田舎道はなにもない。コンビニさえも。こういうところは、コンビニより個人商店のほうが多かったりする。自分の地元に似た景色だった。
しばらく走ると、突然片道一車線まで道幅が狭まり、対向車とスレスレになった。キューシートには「落石・パンク注意」の表記。道には沢山石が転がっている。この辺りはブリーフィングでも言われていた危険スポットだ。
だけれども、それとは引き換えに景色は綺麗だった。長く伸びた木々が緑のトンネルを作り上げていた。上ばかり見ないように気をつけよう。
反対側に流れている大きな川はおそらく天竜川だろう。
コース自体は楽しいんだけれども、時間とのにらめっこは続いていく。この比較的平坦なところでマージンがどれだけ広げることができるのか。TTだ。
134km地点、チェックポイント(PC1)の豊岡のセブンには13:45に到着した。貯金を2時間に広げることができた。ここで先行していたPIPIさんと合流することができた。ちょうど出発するところだったので後で会いましょうと話し、一旦別れる。登りで追いつけるかなあ。
さて、ここを出たら飯田以降、峠という峠を越え、長野県から岐阜県へと向かう。途中に補給できる店は一切ないとのことだった。
ここできちんとご飯を食べようということで、結局コンビニ飯。カルビ弁当とスプライト、レモンウォーターと天然水を補給する。レモンウォーターのボトルは900mlなので、ボトルを持ってくるのを忘れた時に役立つ。これで一安心。
余談だけれども、セブン-イレブンは弁当系が最高にうまい。ファミマもうまい。ローソンは、あまり良さがわからないのだけれど・・・。
もぐもぐしてると。女性ライダーのSさん*4がやってきた。
「もー疲れちゃったよ!」なんて2人で話す。「ここからが勝負だよ(^_^)」なんていうけど、ほんとにそうだからしょうがない。
女性のランドヌール、意外と多いんだなあ。
合計25分くらい休んで出発。気を引き締めていこう。
▼日常と非日常
PCを出たらいきなり直登が始まった。息が乱れ、胸がバクバクする。まっすぐ続く登りがにくたらしい。
でも、その登りを楽しんでいる自分もいる。たぶん、どちらかといえば僕はマゾだ。
写真を今見ると、めちゃくちゃ顔が顔がぐったりしている。2kmくらい登ると、飯田という街へ向かう。汗がポタポタ滴って、目に落ちてくるのが邪魔だ。登り終えていつのまにか、後ろを見ると5人位のトレインができていた。
飯田市街に入り信号街をしていると、部活帰りの高校生が話しているのが目に入る。ふとその時、自分が非日常な感覚にいることを思い出せられた。日常と非日常の間は意外とないのかもしれない。
▼究極の山岳ステージ。
その交差点を右折し、県道8号線へ。第四関門、飯田峠への登りが始まった。
標高300mから一気に1200mまで登る。さっきまで縦一列だったトレインは一瞬で分裂しそれぞれがそれぞれのペースで登り始めた。*6林道のような細い道、ガードレールの向こう、はるか下には渓流が流れている。いよいよ携帯も圏外になり、GPSで何処にいるのかわからなくなった。今自分がいる場所を確認するには、道路脇にポツポツと立っている観音様と地元住民が作った地名入りの看板くらい*7しか手段はなかった。
途中、こんな地名も。今ならダメだろう。
10km以上登り続けると、なにか禅修行のような感じで心が無になる。
サクソバンクジャージを着た方とペース的に同じくらいだ。一緒に進むことにした。人と話すと辛さも紛らわすことができる。
1時間半ほど登っただろうか。頂上の手前で「ここは勝負平」という標識看板が見えた。
そこだけが平坦になっていて、昔は合戦でもあったのだろう。
僕にとってこの登りを諦めるか、それとも頑張るか。まさに勝負だった。
迷わずダンシングで通過する。心が折れたら終わりだ。
158.7km
第五関門飯田峠の頂上には16:06に到着した。もう戻れないところまできてしまった。
▼大平宿の出会い
登りはここで終わりじゃない。100mほど下ったら今度は大平峠を登らないといけない。どうせなら一回で登り切りたいのだけれど、そうはされてくれないみたいだ。軽自動車が軽いクラクションを鳴らして、通り過ぎて行く。
車の中からおばちゃん達が「がんばれ~!」と声をかけてくれた。
山の中腹に差し掛かると、廃村となってしまったかつての宿場街、大平宿に。かつては住んでいたであろう建物がポツポツと見えた。
明治時代には宿場街だったという、大平集落。
1軒だけ、人が住んでいそうな建物を見つけた。よく見ると、さっきのおばちゃんたちだ。「大変だったでしょ~、ここですこし休みなよ~」と声をかけられた。だけど僕はここで休むと後が休めなくなる。「ごめんなさい。でも、声かけてくれてありがとうございました!」と言い、再出発。
帰ってから知ったのだが、ここはボランティアが整備している建物らしく、今でも宿泊ができるとのことだった。
おばちゃんの隣にあった樽には、川の水でキンキンに冷えたビールがあったのを今でも忘れられない。あそこでやめても最高だろうなあ。なんて。*8
そうこうしているうちに再び上りにさしかかり、息が再び荒れる。
「なんのために登っているんだろう? 」*9
164.6km地点。第5関門大平峠には16:35に到着。標高1300mまで登ったのか。めちゃくちゃ寒い。ウィンドブレーカーを着た。
目の前の土管のようなトンネルが。山の下をくぐるためのトンネルでもない、なぜか道路のど真ん中、そこにポツンと”あった”。
トンネルをくぐると、それまで鬱蒼としていた緑だけの世界にオレンジが差し、やがてすべて開放され、一面オレンジの世界へ。太陽の温かいぬくもりが寒さで震えていた体を癒してくれた。
あれは、ワープトンネルだったのか!
1200mからのダウンヒル。木曽谷へと降下していく。途中のお茶屋さんでスタッフカーを見つけたので、いったん休憩。ビューポイントからの景色がいいというので見てみると、どこまでも続く山のシルエットとその間を通り抜ける道が見えた。
スタッフカーが途中で譲ってくれた。迷わず先行する。
ツールの選手になった気持ちだった。
ジェットコースターのようにうねうねとしたヘアピンを降りるのは、ちょっとしたテーマパークのアトラクションみたいだ。ブレーキを掛けて対向車両に気をつけて走ればいい。
オレンジ色の木漏れ日が指し、地面には落ち葉や、トゲトゲとした栗の皮が落ちている。この山に住んでいるサルが食べたのだろう、中には食べ散らかした跡もあった。
やがて広い道に出る。あたりはすっかり暗くなり、視界には山だけが見える。しばらくすると、「馬籠峠左折」の標識を確認し、第6関門、馬籠峠へと差し掛かった。
▼空はなんて一面のマーマレイド!
ギアを一番軽いインナーローにして10km/h程度で走れば、問題ない。キューシートには「激坂注意」と書かれているだけあってなかなかつらい。段々暗くなり、焦りが増す。途中誰かを抜いたのだけれど、それがPIPIさんだということはあとで気づいた。
そして184.8km地点長野と岐阜の県境、馬籠峠には17:48に到着。
まだ1/5も終わっていないのか・・・。
先に峠にいた人にちょっと話してみよう。
「何時スタートですか?」
「9時スタートなんですよ、ちょっと遅いんですけれど…」
( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン 速い。あまりにも早過ぎるよ。
「僕7時スタートなんです」って言えなくなっちゃったじゃないか。笑*11
今日はやたら速い人と話をする気がする。そんな脚があったら観光もできるんだろうなあ、とポツリ思う。
ところで、馬籠峠という名前の通り、ここは中山道の宿場街、馬籠宿が下りの途中にある。暗くなってきたが、無事見つけることができた。
江戸時代は交通の要所で、江戸からやってきた人がここに泊まり、京都を目指していた。結局、僕も似たようなことをやっている。
一面マーマレイドのような空。忘れられない。
次第に青黒く染まり、伊勢1000は初めての夜を迎えた。
つづく。
*1:早々たるメンツ。チャリモさん、フィリップさん、A埼玉な人たち、などなど・・・
*2:しかもめちゃくちゃ雑談をしながら
*3:「若者」は出走前のAJ中目黒で会話した際についた名前。
*4:@pon_noripiさんのこと。
*5:ちなみに、ばっきーさんが公開した写真だと、この僕の目の前にがんちょさん(@gan_tyo)が走っていました。完走後にそれに気付いたのです。
*6:事前情報だと、事前部分試走していたPIPIさんの「ここらへんに猿がいて、襲われなくてよかった」という話を耳にしていて、ピリピリしながら登っていたのを思い出しました。汗タラタラで登っています。
*7:情報求む。
*8:更に言うと、おじさんに「自転車降りてビールでもどうだい?」と薦められた。丁重にお断りしたけど、最高であることには変わりがない。
*9:このあたりで1回だけPIPIさんと遭遇。
*10:写真、これもがんちょさんだったことに気づく。今考えるとがんちょさんペースで走っていた自分って…
*11:Iさんだった。
ロードバイクで1000km 72時間でお伊勢参り! 甲府スタートのブルベ 三重県で折り返し横浜まで (ローラー台のお供) - YouTube
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】その1 プロローグ~出走前日まで
以下日記は、筆者が21歳時に参加した1000kmブルベ、
「BRM920 東京1000 ええじゃないか伊勢夫婦岩」を振り返った日記である。
日が沈みはじめ、澄み渡っていた青い空をオレンジ色の太陽が包み込んでいく。秋の訪れは思ったより早く、だだっ広いこの道に植えられている街路樹の葉は茶色に変わり、時折見える田んぼの稲は全て収穫されていた。
僕は、海に向かい走っていた。どうしても見たいものがあった。
左手にコンビニが見え、それまで先頭を引っ張っていたライダーが手信号を出し、コンビニに入るサインをする。通過チェックポイントだとわかった。軒下に立てかけられた多くの自転車、見回りに来ているスタッフ、疲労困憊でぐったりしている反射ベストを着た人たちの姿。しばしの休憩だ。他のランドヌールがそうしているように、僕もコンビニの軒先に店を広げて、店内で買った鶏めしとビックルを食べてカロリーチャージする。胃酸が逆流しそうだ。でも、こんな疲れた時でも食べることのできる胃に感謝したい。
しばらく休んでいると、スタートの時に話した2人のライダーと再会することができた。ペースは違えども、ここまで同じ500kmを走ってきた仲間だ。ここまでの状況報告をお互いに話した後、彼らは僕にこう話してきた。
「そーいえば、伊勢まで来たなら「あれ」見ていかないの?案内するよ」
そうだった。僕は彼らについていくことにした。コンビニを出て、「あれ」がある海岸沿いの神社へと向かう。通路端に自転車を置き、砂浜を歩いているカップルや家族連れを横目に参道を進む。カツカツと音を立てるビンディングシューズは、とても歩きにくい。しばらく進むと、さざなみひとつもない海に浮かぶ、大小2枚の岩。確かに「寄り添う夫婦」に見える。岩と岩の間はしめ縄で結ばれているそれを見るために、周辺は大勢の観光客で賑わっている。「夫婦岩」。僕が一番見たかったものだ。僕には嫁さんはいないけれど、せっかくなので祈ってみた。好きな人がいるけれど、言うのが遅すぎた。でも、もう一度と祈る。何か形に残したかったので2人に声をかけ、写真を撮ってもらった。もう思い残すことはない。
「無事カエル」ということなのだろうか、境内にはいたるところにカエルの石像が置いてあった。頭をポンポンと叩いて安全祈願。目的を達成し、さあ帰ろうと参道を折り返し帰ろうとした時、突然2人からこんなことを言われた。
「実は、ふたりともここでリタイヤすることにしたんだ。走りたいんだけれど、僕の足が痛くてどうしようもない。これ以上走れないんだよ。」
僕はショックだった。ここまで走ってきた仲間がリタイヤするのを目の前で見たことが無かった。できれば、一緒に走りたい。でも「無事カエル」ことが旅では一番大切だということを、僕自身知っている。命あってこそ、旅をすることができる。何かあってからじゃ遅いのだ。
彼らと一緒にいたいけれども、先に行かないといけない。次のチェックポイントまでの制限時間はそれほどない。急いで自転車にまたがり、出発をしようとした時、肩を叩かれてこう言われた。
「ゴールの制限時間、横浜にあさっての10時までだったっけ?」と。
「そうです、多分ギリギリに着くと思いますが」と言うと、彼はこう続けた。
「わかった、じゃあ俺たち明後日のその時間、フィニッシュ地点に迎え行くから、絶対完走してよ!俺らの分も託したよ。ゴールで待ってるから!」
それを言われたとたん、胸の奥から熱くなるような、締め付けられる感覚がした。俺が2人のぶんもゴールしないと、なにか報われない気がする。
僕は大声でこう伝えた。
「ゴールで待っててください。約束通り絶対横浜に戻ってきます!」
沈みゆく太陽の方向へ、約束を守るために僕は走りだした。
▼リベンジ!!
今年の2月から、僕は「ブルベ」というサイクリングの遊び方があることを知った。*1*2自転車で長距離を制限時間内に走る、それがブルベだ。一般的に距離は短くて200kmから、最大で1000kmや1200km。
そんな距離を走るなんて、初めて知った時は到底信じられなかった。だけれども、実際ブルベを始め、そんな距離がほとんど走れるようになってしまった。初めて2ヶ月で残りは1000kmのみとなった。
「今年中に1000kmを走りきってみたい。」
そう思って走った初めての1000kmブルベは、GW期間中に開催された「日本縦断2700km」*3の第2ラウンド、「山陰北陸1000」だった。「600kmを走れたんだから、1000kmもいけるだろう。」だけれども、所詮それは幻覚に過ぎなかった。
言ってしまえば、それまで走ってきた環境が良すぎたのかもしれない。今まで経験したことのない、昼夜問わず降り続ける雨と股ずれに対応出来なかった僕はペースを落とし、睡魔、幻覚。そして最終的に寒さにやられ、京都のとある小さな街で低体温症にかかりリタイア。*4
救急車に運ばれ、4日間入院という最悪の結果となった。まだブルベを初めて2ヶ月、ノウハウなんて全くない、「体力だけでいけるだろう」なんていう根拠の無い自信だけで挑んだことが、すべての失敗の理由だった。*5
山陰北陸1000のトラウマを払拭し、しばらく経ったある日、今度は山梨発着の1000kmが9月にあることを知った。それがランドヌ東京というクラブが主催するブルベBRM920「ええじゃないか伊勢夫婦岩」だった。
このコースのテーマはずばり「お伊勢参り」。前半は長野県や岐阜県の豊かな緑が映える山々を抜け、天照大神のお膝元、伊勢神宮と夫婦円満の象徴、夫婦岩を目指す。その帰り道は名古屋経由で東海道を走り、箱根の山を越えて神奈川へ。横浜・みなとみらいがゴールだ。
制限時間は75時間。 およそ4日間の旅だ。
なんでこのブルベを走ることにしたかというと、もちろんこの前のリベンジを果たしたかったということもあるけれど、ホントのことを言うと、お伊勢参りができて、その帰りは横浜ゴールって素敵じゃん!って単純に思ったからだ。*6開催がブルベシーズン後半の9月ということで、これを今年最大の目標とすることに決めた。
コースが公開されてからしばらくして、ある日のこと。何気なくルートを調べると、とんでもないことに気づいた。1日目、最初の300kmが本格的な山岳コースだということに。内訳は、1000m級の峠が2回、小さい峠を含めればなんと7つの峠を連続で越え、獲得標高は4000mに達することに気がついた。つまり、1日で富士山を海抜0mからてっぺんまで、自転車で登るようなもの。クレイジー。自由に走って泊まるツーリングなら問題ない。
だけれども、これは「ブルベ」だ。のんびり走っていると、次のチェックポイントの制限時間を考えると、睡眠時間を十分に確保できない。それが問題だった。
先程も書いたように、ブルベでは絶妙に制限時間が設定されている。それは寝る時間を問わず、スタートしたらゴールするまでその時計は止まらない。そして通過証明のためのチェックポイントにも足切りの時間は設定されている。なおさら1000kmのように3日間以上走り続ける距離となると、自分が寝るための時間も走って稼がないといけない。登りで苦労していると、時間をかせぐことができず、睡眠時間を十分に確保できないのだ。
それの対策を取らない限り、今度の1000kmはとても完走できない。そのため僕は本格的に取り組むことにした。8月の頭にあった、自分の所属しているチームの夏合宿を皮切りに、仮想伊勢1000km前半区間として望んだBRM830相模原200kmへのトライ。更に平日は時折尾根幹を走ってトータルの脚力をつけ、結局週3回、毎回50~100km程度を走っていた。
伊勢1000km練習チーム。PIPIさんとなーちゃんと3人でヤビツで練習。*7*8
それでも不安でいっぱいだったのだけれど、このころには僕なりに、それなりの手応えを感じていた。「夫婦岩を拝むことができるかもしれない。」と。
3 はかどらない準備・・・。
7月のエントリーも無事に終わらせ、走力やノウハウ的な準備はそれなりにできているのだが、キューシートの印刷、予備チューブの購入…といった準備は全くしていなかった。追い込まれないと準備しないタイプなのだろう、僕は前日から準備を始めたのである。しかも前日の午前中は後期授業のオリエンテーションに行っていたので余計あたふたすることに。
装備面の話をすると、
・自転車…GIANT TCR2(2013 アルミ)
・サドルバッグ…ORTLIEB Lサイズ(3㍑ぐらい?)
・タイヤ…IRC JETTY(23c)
・トップチューブバッグ…TOPEAK
・ボトルゲージ…TOPEAK(ペットボトル・ボトル併用可能モデル)
・ライト…キャットアイEL-540(乾電池併用可能タイプ)、
・ウェア…亀太郎ジャージ(ピンク)・ハーフレーパン(TIGORA製)・ロングタイツ(MIZUNO製)・ウィンドブレーカー。
・サドルバッグ…ノースフェイスのゴアテックスパンツ、Lowe Alpineのゴアテックスウェア、空気入れ、23cチューブ1本、タイヤレバー2本、オイル(フィニッシュライン)、タイヤパッチ、ボルダースポーツ、抗菌シート*9、お守り。ペンダント。*10
装備面で一番ミソなのが、ボルダースポーツ。ロングライドにおいて避けられない股ずれの問題をカバーしてくれるスグレモノだ。*11ワセリンに代表される保護クリームの一種だけど、ベトベトしないので使いやすい。あとは、抗菌シートは汗をかきまくるブルベ中は本当に役立つ。汗臭さを抑えてくれて、衛生上もよくなるのでストレスを減らしてくれる。
さらに、今回は初めて「セルフドロップバッグ」なるものを試してみることにした。つまり、郵便局から郵便局へ荷物を送り、自分でそれを受け取りに行くことだ。郵便局で荷物の受取をするサービス「郵便局留め」のお陰でできる裏ワザだ。*12なぜそんなことをするかというと、長距離サイクリングで荷物を背負い続けると、体に負担がかかって腰痛等の原因となるからだ。これは荷物を預かれない施設への宿泊、つまり満喫や健康ランドに泊まる人とかには、特にオススメの方法だ。受け取った服を着替えたあと、それまで着ていた服は同じ袋に入れて家に送ってしまえばいい。
今回僕は、レーパンとジャージが入ったドロップバッグを630km地点、2日目か3日目に通過するであろう名古屋市昭和区の郵便局にへ局留めで送ってみた。昭和郵便局は24時間対応の「ゆうゆう窓口」なので何時でも取りに行くことができる。*13
ルートの計画を考える。
DAY1は とにかく山岳超え。320kmの立田大橋の満喫まで18時間で走ることを目標に進む。
DAY2は、満喫をスタートし、三重県へ。四日市、鈴鹿のアップダウンを乗り越えて志摩のPC2へ13時までに間に合うよう走る。伊勢を折り返し、PC3まで走る。
DAY3は、交通渋滞の多い名古屋の市街を深夜または夜明けに通行し、東海道へ。東海道で貯金を稼ぐプラン。890km地点の駿河健康ランドで2~3時間ほど仮眠をとる。
DAY4、寒さが厳しいであろう箱根を越えて横浜のフィニッシュというプラン
ついに前日になった。学校の帰り、まずはリアライトとチューブをあさひで購入。家に着いて装備の確認をし、予備タイヤの準備やセルフドロップバッグの服で悩んだりしているうちに日が落ち、ドロップバッグの整理をしてアタフタ。
結局スタート地点、甲府方面行きの電車に乗ったのは午後8時ごろになってしまい、到着は10時半ごろになってしまった…。各駅停車の車内は、ほとんど人がいない。帰宅途中のサラリーマンが、シートの一番端でグーグーいびきをかいていた。
大月で乗り換え、端っこの席に座る。僕以外にいないだろうと思って横を見ると、隣のシートに輪行姿で座っている40代ぐらいの男性がいた。
「ひょっとして、伊勢1000を走る人かな…?」と思い、声をかけてみることに。*14
「明日どこか行くんですか?」と遠回しに聞いてみると、
「遠くに行きます。あなたと同じとこかもしれないですね(笑)」と返事が。聞いてみると、やっぱり伊勢1000の出走者で、自分と同じ7時スタートだということがわかった。Oさんというその方と、明日のコースについての話題で盛り上がった。
東京から電車で2時間。山梨県甲府市。スタート地点の最寄り、石和温泉駅に到着した。10kgほどの鉄の塊を運び、プラットホームに出た。
他の参加者も何人か同じ電車に乗っていたようで、挨拶をする。*15輪行解除をして、今日の宿へ。Oさんとは泊まる宿が違うので、一旦ここで別れた。
スタート地点でもある石和健康ランドに到着したのが午後11時。駅から自転車で5分というのかいい。駐車場に特設された自転車置き場に預け、とりあえず着いてホッと一息。ふと前を見上げると、白い横断幕。「ええじゃないか伊勢夫婦岩 START!」と書いてあるゲートを発見して、テンションが上った。ようやく、明日走るんだという実感が湧いてきた。
健康ランドのオーナーが作ってくれたとのこと。他にも配慮があり、感謝。
チェックインをして、即効風呂。いや~きもちいい。健康ランドの一番の売りはやっぱり風呂。ついつい楽しくなって長く入ってしまった。12時半くらいまで入っていたのかな。遅すぎだわね、どう考えても。薬湯とかで疲労を取る前に普通に布団に入ってたほうがそりゃ疲労とれるわ。
さーて、寝よう。睡眠スペースは、R東京がブルベ参加者のために、仮眠室を確保してくれた。すごい配慮だ。部屋にはいると、真っ暗でよく見えないが、ズラーっと布団が一面に敷かれているのだから。端っこのスペースで、携帯のバックライトに気をつけて操作をした。
日が変わった午前1時。布団教の修行に入った。だけれども、神経が高ぶっていて眠れない。気持ちを抑えるため音楽を聞く。この日は何を聞いていたのだろう。不思議だ。
夢をみたのか見てないのかわからない。
意識が飛んだ・・・。明日は、出発か。
つづく
*1:ちなみに初めて出走したブルベはBRM220金太郎200。実際は直前の降雪により、金太郎から真鶴半島をぐるっと回って戻るブルベになりました。後の真鶴200。
*2:アルミホイルを巻いた反射ベストで出走し、完走してきました。これはスタッフのT名人に感謝しなくては。いやマジで。
*3:GWでBRMを繋いで2700kmを走ろう!というコンセプトから生まれたブルベ。
*5:途中、休息を1日挟んだ状態ですが、リタイヤした場所で走行距離は950kmくらいでした。
*6:更に言うと、亀太郎の合宿下見の際同行+伊勢1000の下見をしていたミクロンさん夫妻から、飯田峠とか大平峠が凄い傾斜だったという話を聞いて、更にモチベーションが上がった記憶があります。
*7:伊勢1000の練習を兼ね、ユメさんたちと練習という予定でした。
*8:この帰り道、なーちゃんからGARMIN COLORADO300を頂いたのです。御礼申し上げます。
*9:BRM705アタック日本海600で、雨で濡れたレーパンで走っていたら酷い股ズレによってDNFした反省から。あとシャワーを浴びることが難しいと判断し、衛生的な観点から持って行きました。
*10:佐渡で購入したコークスクリュー状のペンダント。何かと僕はゲン担ぎをするタイプです。
*11:これは@barubaru24さんに教えてもらった装備品。ロングライドはbaruさんの影響を結構受けています。
*12:これも@barubaru24さんから教えてもらったテクニック。本当に役に立ちました。
*13:勿論、ゆうゆう窓口でなくとも荷物の受け渡しは可能です。だけれども、自分の走行計画に従って走れる自身が無かったため、臨機応変に対応が可能なゆうゆう窓口を利用しました
*14:丁度このころ、Twitterで「輪行袋を持った人がいる!」とツイートした僕に、ナオキさんが「会話してみよう!」と背中を押してくれたことで声をかけることが出来ました。ありがとうナオキさん!
*15:コンサルランドヌールのSさんともここでお話することができました。