【GPS・自転車】GARMIN COLORADO 300 を使った感想とか。
先月から、自転車用のGPSとして、GARMIN COLORADO 300を使い始めました。
(現在生産終了しています。)実は2014年の8月になーちゃんさんから貸していただいた、*1にも関わらず、最近までほとんど使わなかったのです。GPSが高級デバイスだから、下手に使って壊したらどうしようとかそんなことを考えていたのですが、実際一ヶ月使ってみてどうだったのか。
ひとことでいうと、「ワレなぜ使わんかったんや!!!」と
※私はこれまでGARMIN製に限らず、GPSの類を一切使わずにサイクリングをしてきました。なので現行モデルとの比較や少々足らない知識ですが、未経験者がGPSを使用してみてどうなったのかについて書いていきたいと思います。なのでPOIがどうとか、トラッキング機能がどうとか殆どわからないことだらけですが、ご承知おきを。
GARMIN COLORADO 300 についてー製品の位置づけ編
もともとGARMINは携帯用ハンディGPSナビゲーターとして有名なメーカーですが、そのGARMINが出していた機種のひとつがCOLORADO 300です。
現在ガーミンのGPSは自転車用に開発されたEDGEシリーズや、主に登山でも使われるOREGONやeTrexシリーズ(eTrexがブルベでは1番有用だって話を聞きますね)が発売されていますが、それらが発売される前―OREGONの前身となるモデルがCOLORADOでした。
COLORADO 300は2008年の6月に発売されたGPSで、先程も述べた通り、OREGONの前身モデルということで、主な用途はアウトドアやトレッキング―登山用の開発です。
登山用といっても、当然ながら他のGPSと同じく自転車用のマウントがあれば、*2自転車用GPSとしても使うことができます。
GARMIN COLORADO 300 ー製品の特徴について
この製品最大の特徴は、なんといってもロックンローラーホイールの採用でしょう。
ソニーのジョグダイヤル的な*3感じで、このホイールをくるくる操作することで地図の拡大、縮小などが出来ます。OREGONが確か現行ではタッチパネル方式になっていると思うのですが、個人的には雨天や汗をかいて反応しにくそうなそれよりも気に入っています。
ショートカットボタンとジョグダイヤルで操作。
現行モデルと用途も機能もだいたい一緒です。GPSでログをとったり、引いたルートを転送して、それをGPS上に表示させること、その他諸々も一緒です。
ディスプレイがデカく、4.0cm×6.5cmというのがとても助かります。*4
そのため、サイズはチョイ大きめです。
動力は単3電池2本。ランタイムは10時間程度です。バックライトの灯りを最小限にすればそれなりに長く持ちます。GPSはずーっとガン見するものでもないので、適宜明るくすればいいのでそれほど困ることはないでしょう。
このランタイムだと、ブルベに使うには途中で電池交換が必須になってしまいます。まあ電池が切れる前にPCで電池交換すれば、ログが途中で切れるとかは問題ないのでそこが気になるくらいかも。
重量は実際に計量してみたところ、メーカー表示とほとんど同じ211g(電池込み)。OREGON650が209.8gだと考えるとあまり変わらないのかなーなんて思っています。(eTrex20Jの148gには全くかないませんが。)
勿論防水です。IPX7規格に適用しているので、雨天時にも使えます。というか、登山で雨天の時に使えないとどうしようもありませんからね。
実際に使ってみるとどうだったか
<良い点>
- 動力源が単3電池・・・これはこの機種で1番良いところです。ランタイムは10時間とeTrexシリーズには遠く及びませんが、(むしろ30時間以上ランするようになっているガーミンの技術力が凄い)近くのコンビニでも補給できたり、予備を備えていればすぐさま満タンまで回復するようになっているので心強い味方です。PC間で電池交換すれば、一旦ログが途絶えても帰宅後にGPSのデータを結合してしまえばいいのですから。あとはstravaもありますしね。
- フリーズしない・・・全然フリーズしません。登山用に開発されたのでフリーズとかは生死を左右するでしょうし、そこらへん、信頼性は担保されていると思います。
- ディスプレイが非常に大きい・・・満喫相模湾応援の帰りに、兼定さんに「ディスプレイが大きくて見やすいね」と言われて、どうなんだろ?と思ってちょっと調べてみると、eTrex20が3.5cm×4.4cm、OREGON650が3.8cm×6.3cm。それに対してCOLORADO300は4.0cm×6.5cm。確かにちょっと大きいです。
- ロックンローラーホイール・・・雨天時には抜群に効果を発揮します。現行のGPSがタッチパネル式なので、スマートフォンと同じように濡れると操作しにくくなります。ロックンローラーホイールだとアナログなのでそこらへんの心配をせずに、楽チンに操作できるのでいいのです。なんでなくなったんだろう、と考えてみると、やっぱりそれなりにスペースを取ってしまうので、利便性を考えると取り除かれても仕方ないよなあ、なんて思いますが。
今回なぜCOLORADO 300についてきっちり書いたかというと、当然ながら今使っている人殆どいないので、記事の量もそれほどないんですよね。この製品をまだ使っている人がここにもいるということを。
BRM313満喫相模湾300のゴールにお邪魔しました
というわけで、土曜日はR東京の満喫相模湾300のゴール受付におじゃましに行きました。写真もほとんど全く無い内容ですし、ひょっとしたらブルベ名を検索して誰かもう完走記をアップしているんじゃないかと思ってアクセスした人も1人くらいいるかもしれませんが、それを期待している方がいたら、ゴメンナサイ。
本来は朝方のスタートということで(スタートは午前5時!)ということで、三時半には自宅を出て応援に行こう!と意気込み、布団へ。
ガバッと布団から起き上がった途端、確信しました。
遅刻した。うわあああああ!
やってしまった・・・別に応援だからDNSということはないけど、時計は午前7時を指していました。このまま何もせずに、失意のまま1日を虚無感の中でウンウンさせながら過ごすのもいやなので、家を飛び出て向うことにしました。幸いにもスタート受付は終わったあと、スタッフがデニーズで朝食をとっていることをTwitter経由で確認したので、ターゲットを絞り、出撃。
うおおおおおお!と飛ばし、意気揚々と(?)デニーズのある武蔵中原まで向かいました。着いた途端、はっきりしたことがひとつ。
誰もいねえ・・・
Twitterで呟いたら、@yoon575さんが「あれ、ニアミスだった」と返事が。失意のまま帰宅しようとしたら、「ゴール受付で待ってるよ!」とひとこと。有難い。救いの言葉。そうだった、それがありました…
ということで、もう一度夜に訪れることにしました。夜は友達のアカペラサークル引退ライブが下北沢であるので、行けるか全く見通しが立っていなかったのですが、そこは頑張っていくことにしました。
そして午前中はせっかくここまで来たということで、帰りは尻手黒川道路で新百合ケ丘とか王禅寺のほうを経由して帰ることにしました。R246に間違って一瞬入ってしまったけど、あそこは入るもんじゃないですね。デンジャラスエリア。あそこ危ないっていう意味がようやく理解できました。
というわけで午前はこんな感じ。
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【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】最終話 ラスト60km。
2014年9月23日(火)AM5:30 神奈川県真鶴町 930km地点
残り78km 横浜へのタイムリミットまで、4時間30分
ルートはこちら
突然のハンガーノックから立ち直ることができた。とはいえ、補給したのはブラックサンダー一つ。いつ燃料が切れるか予断が許されない状況であった。頑張らないと、時間内完走ができない。僕は必死になってペダルを回し続けていた。限界を攻め続ける。
10円のフーセンガムのような、丸く赤い太陽が昇ってきた。
最終日にふさわしい。
理想的な空の色。疲れとはなんだったのだろうか。一瞬、時間のことなんてどうでもよくなった。
真鶴半島のあたりの道は、僕がブルベを初めて走ったコースだったりする。
2月のあの時は、右も左もわからない状況で、仲間なんていなかった。
だけど、今は違う。勝手知ったる道だ。今のほうが十分心強く走ることができる。
このあたりの道は好きだ。信号もないし、何より海沿いの道はキレイだ。
この日に走ることができて、幸せだと思う。
残りの距離は60kmぐらいまできた。
ここまでくると、たった60kmだ。
ハンガーノックではない。けれど、もう力が入らない。今度は睡眠不足からくる疲労なのか。25km/h以上のスピードが出なかった。信号を含めると、だいたい15km/hくらい。横浜市街地あたりの信号多発地帯で引っかかることを考えると、10時までのフィニッシュに間に合わない確率のほうが高い。
間に合うか、間に合わないかよくわからない。それでも前に進んでいけば、間に合う確率は高まる。ほんとにあたりまえのこと。間に合うことを信じて進めば、何かが起こるのかもしれない。
小田原の市街に入った。
ここまでくると、ホームのように感じる。道を間違える心配はない。
信号待ちをしていると、後ろからランドヌールがやってくるのが見えた。
主催クラブ、R東京のジャージを着ていた。クラブ員の方だろうか?
「おはようございます!」僕は小さいころから挨拶をしっかりすることを教えてもらったことが染み付いているみたいで、声だけは元気だった。
「おはようございまーす!」と同じくらい元気な声量で返してくれた。
50代くらいの、元気のある方だった。
仲間が欲しかった。最後のひと踏ん張りを一緒に走ることができる人が。
「何時スタートですか?」と僕はいつもの質問をする。
「7時スタートです」だったら一緒に頑張りましょう。といえるのだが。
返ってきた答えはある意味予想通りだった。
「9時スタートです。あなたは?」
ああ、まただ。ペースが違う人だろうなあ。
「7時スタートです。」
そう言って、諦めかけたその時。
「えっ!?7時でしょ。マズイじゃん!うーん、途中まで引っ張ってあげるよ。」
ぼくの方こそ、「えっ」と思った。何かの聞き間違いじゃないのか?
「だって、もう時間ないじゃん。離されないように、ついてきて!オジサンから離れちゃだめだよ!」
なぜか知らないけれど、僕のことを知っているようだった。よくわからないけど、諦めなければチャンスが目の前にあるということだけはわかった。
いけるかいけないではないかわからないけれど。「はい!」と言えば何かが起きる。
「わかった。よし行くぞ!」
信号が青になる。あれ、こんなこと、おとといにあったぞ。デジャブなのかなんなのか。
ぶっ飛ばし始めた。
もう止まらないのか。くそ。
ペースが一気に上がった。
僕は頭の片隅で「これ、離されたらもうだめなやつだ」と感じる。
息が上がってあぜあぜしている。脳みそが「動け!走れ!」と命令しているから動くことができるだけだ。さっきまでの”限界”ってなんだったんだ?ペースが2倍位早くなっている。流れ星のように、グイグイと進んでいった。
不思議なことに、先ほどから信号が全て青のままだ。どこも赤にならない。僕らの目の前で、すべて青になる。魔法でも使っているんじゃないかと思った。なにか不思議な力が働いている。たぶん。意志のおかげだ。そういうことにしておこう。
R1に合流した。景色がすべて、流れていく。後何キロ走れば休めるかもわからない。引きずり回されているようだった。吐きそうになるくらいだ。全部の信号が青、青、青。「いつ赤になるんだよ!」って思うくらいだった。ピンチだけど、体力的にも限界が来ているんだな。
蒲鉾屋の横をスルーして、大磯の駅前を最高速でぶっ飛ばす。周りの人たちは通勤をしている。その脇を、2つの反射ベストがスルッと通り抜けていく。非日常と日常の狭間は殆ど無い。長者町の交差点で一旦赤になった。
「大丈夫?」Kさんという牽いてくれたその人は、心配をしてくれた。
ゲホゲホ咳き込みながら「大丈夫です…」と答える。
「飛ばしていくよ!」それだけは聞き取ることができた。
また、加速していく―
「くそう!!」もう一度、加速する。
R134に合流し、茅ヶ崎方面へとひた走る。
相変わらず時速30km、再び息が荒れる。
「おじさんに置いてかれちゃダメだよ!」そう言って、先へ先へと進む。
どうにでもなれ。脳筋になってついていけばいいだけだ。
馬鹿になれ。そう思って走る。
「大丈夫じゃなさそうだね。どこかでちょっと休むかい?」
Kさんがそう言ってきた。救いの言葉だ。
「はひ…。できれば…休み、休ませてください。」
分かった。休もう。そう言って、コンビニへと入っていった。
この1時間で、平均時速はなんと22km/hを記録していた。いかに驚異的なペースだったか。
ヘルメットを脱ぐと、汗でびっしょりになっていた。
茅ヶ崎のコンビニには、通勤客が朝食のパンを買ったりしていて、これから何気ない朝の1日が始まるということをさりげなく告げる。
とにかくここまで引っ張ってくれたお礼の言葉を。
「ありがとうございます…。なんとかこれでギリギリ間に合うところまでやってくることが出来ました。」
「9時フィニッシュだよね?」
「いや、10時フィニッシュなんですよ・・・」
「えっ!9時フィニッシュじゃないんだ!?」
どうやら1時間間違えていたみたいだ。ある意味ラッキー。
Kさんはここで先に行くとのこと。「また横浜で!」を合言葉に去っていった。*1
補給食を買って、簡単に朝食を摂る。
エネルギーがカラダに染みわたる。少しずつ力が入ってくるのがわかる。
救われた。小田原で引っ張ってもらわなければ、タイムアウトだっただろうな。
店の外には、かつてのブルベで一緒に走った仲間がいた。Qさんだった。
まだまだ元気そうだ。
「ここまでよく間に合ったね。最後トラブルなければもう大丈夫だよ。」
その言葉を聞いて、ほっとした。
Qさんは先に行き、再び僕は一人で走ることになった。
茅ヶ崎のコンビニを出て、快調に片道2車線の道を走り抜けていく。
さっきまで恐ろしいペースで走っていたけれど、一人だとあれほどのペースではいけない。それでも先ほどよりはいい感じで走ることができている。いい。
天気もいい。雲ひとつない晴れやかな空模様は、僕達を祝福しているかのようだった。先週の時点では台風がやってくるという話だったのに、しらばっくれたかのように、この4日間天気が悪くなることはなかった。
右側に、ポツンと浮かぶ小さい島が見えた。普段よりも、緑のトーンが明るいように感じた。江ノ島だということに気づいたのは、しばらく走ってから?
歩道にはこれからサーフィンをするのであろう、ダイオウイカみたいなサーフボードを持った人を何人か見た。
東南アジアの国で見るようなタクシーや、キャリーも見た。
やっぱりここだけ時間の流れが違う。
朝日が最高に気持ち良い。期待はずれの気持ちを塗り替えていく術を知った。
茅ヶ崎の海岸通りを途中で曲がり、いよいよ鎌倉へと入る。曲がってすぐ、目の前には激坂が見える。最後の最後にこんなものがあるなんて。キツい坂なんて、もうこりごりだよ。インナーローにギアを下げて、宇宙飛行士が月を歩くように一歩ずつ、確実に登っていく。
頂上にたどり着くと、穏やかな道の端っこに休憩所のようなものが見えた。ドリンク補給をしていなかったのを思い出して、ここで買うことにした。タイムロスだけど、セーフティゾーン圏内だ。ミニサイズのコーラを買って、一気に飲む。気持ちいい。缶をゴミ箱に捨てて、再出発だ。
いったん登ったと思ったら、再び降りる。鎌倉はそういうところばかり。
モノレールはのんきにスイスイと上を通過していく。
きついのだけども、「帰ってきた」感じがして不思議とストレスはかからなかった。登り切ったところで、鎌倉大仏らしきものを遠くに見えたのを確認して、スイスイと下る。
「横浜」の文字が見えた。この73時間、待ち焦がれていた場所。比較的走りやすいところなのだろう。保土ヶ谷と戸塚あたりを走るより、1000倍マシなコースだ。おかげで人は多いけれど、気をつければ問題ない。
一軒家が軒を連ねていたのに、いつの間にかビルに変わっていった。あと10km。
ここまでくれば、パレードランだ。
ゴールまで、あと5km。
信号のストップ・アンド・ゴーに巻き込まれる。
そのおかげで、ちょっとマージンがない。少しだけ焦る。
みなとみらいの港へ下っていく、その途中。左の歩道に手を降っている人が見えた。
止まれない。
「こーへーくーん!!ラスト頑張って!!」
その女性の声ですぐ誰だかわかった。
ユメさんだ。手を振って、「ありがとうございます!」
とだけ声をかけて、僕はゴールへと急いだ。
沿道で応援されると、やっぱり嬉しくてたまらない。
突然のことだったので、ちょっと泣きそうだった。
気づいたら、距離計は1000kmを超えていた。
残り3km。交差点を右に曲がるつもりが左へと曲がり、ミスコース。
復帰するのに手間取って、10分ほどロスをしてしまった。
材木店ジャージの方2人が目の前を走っていたので、ついていくことにした。
「ここまできましたね。もうちょいですよ。」長髪の男性は疲れを感じさせない笑顔だ。
「帰ってきましたね。気をつけていきましょう。」僕はそう言った。
人混みをかき分けながら進んでいった。
思えばいろんなとこを走った。日本は広い。狭くなんてない。
交差点の反対側にコンビニが見えた。あれか。
さっき僕を助けてくれたKさんが外のテラス席にいた。
「急いでレシートを!」と心配してくれた。
そう、最後まで急がないと。
コンビニに入って、おにぎりを買う。レジに並んで、会計を済ます。
店員さんにとって、それはあたりまえのこと。だけど、僕にとっては特別なレシート。
タイムリミットは10:00。打刻されている時間は、どんな数字になっているのか。
09:57。
リミットまで、あと3分しかなかった。
74時間57分。1005km地点。横浜の最終チェックポイントに到着。
僕は、1000kmを認定完走した。
間に合ったのだとわかった瞬間、自然とガッツポーズが出た。
「おめでとう!」
完走した、といっても、ここはゴール受付ではない。
ここからあと3km離れた、みなとみらいの健康ランドに設置されている。
実質的な制限時間はない。あとはそこまで行けばいいだけだ。
コンビニの外にベンチがあるので、そこで休憩することにした。
Kさんとお互いの健闘を讃え合った。先にゴール受付に行くとのこと。
僕はすーさんと池田さんを待つことにした。
2人が来るのを見届けたい。
10分くらい待っただろうか、Kさんがちょうど出発するタイミングで2台の自転車がやってきた。ピンク色のジャージで誰だかわかった。僕は声を上げてその到着を喜んだ。
ハイタッチをして、握手をした。全員間に合った。
携帯を見ると、夫婦岩で別れたフィリップさん達から連絡が来ていた。
「ゴール受付にいるから、速く来て!」
ほんとに来てくれたんだ。冗談とかじゃなかった。
「向かいます」とだけ、メッセージを送信した。
亀太郎の3人で一緒にゴールへ向かうことにした。
本当のゴールは、もう少し先だ。
パレードランのように、少しだけスピードを緩めて走ることにした。どうせなら手を振りたくもなる。もう終わってしまうのが、ちょっとさみしい。
北東へしばらく進んでいくと、道幅が広くなった。並木通りの交通量は少なく、僕らはこの道路を独り占めしたかのようだ。
海が見えた。
港湾沿いに出た。空は青く晴れ、街を彩っていく。
恋人たちで賑わっている赤レンガ倉庫を脇目に、僕たちは交差点を走り抜けていく。
ジェットコースターから聞こえる叫び声。
清水で見た観覧車よりもはるかに大きい、時刻付きの観覧車が見えた。横浜のランドマーク。
ようやく、辿り着いたんだという実感が湧いてきた。
ゴール受付の健康ランドが見えた。
交差点を横断して、信号が青になるのを待つ。
信号が青になる。僕は歩行者を気にしながら反対側へ渡った。そこまでは冷静でいれた。
反対側で手を振っている人たちがいる。誰だかわかったその瞬間、それまでの感情が爆発した。本当に待ってくれたんだ。
吠えた。ありったけの力で吠えまくった。ハイタッチをするその手にも力が入る。
「ホントよくやったな!!」なんて声が聞こえた。細胞から喜んでいる。興奮で震えが止まらなかった。こんなに感情を爆発させたのはいつぶりだろうか。
待ってくれた2人―フィリップさんとチャリモさんに握手をする。
「もうだめだと思っていたよ。」なんてことを言われた。僕もそう思っていたのだから。
夫婦岩で交わした約束を破らなかった。それでよかった。
ゴール受付に向かうと、同じ亀太郎のしほさんとナオキさんがスタッフとして待ってくれた。レシートも、全部ある。問題ない。
しほさんの一言でようやく終わったということを実感した。
「お疲れ様でした!おめでとう!」
「完走おつかれさまでした!かんぱーい!!!」
完走から3時間後、ゴール受付の健康ランドに用意された打ち上げ会場では、ここまで一緒に走った仲間同士の健闘を讃え合うべく懇親会が催された。
大勢の人が集まった。窓ガラス越しにみなとみらいの街を上から望める。ビールがうまい。こんなにビールって美味しいものだっけ。
参加者用に用意されたオードブルは、ものの数分で無くなった。
急いでスタッフがケンタッキーからチキンを調達してくるほど大盛況だった。
ここまで話したこともない人と、握手をしたり、お礼の言葉を伝える。なにか戦友のような気持ちだった。
懇親会は1時間半くらい開かれていたらしいのだが、僕自身はものの30分で寝落ちをしてしまい、周りのみんなにイタズラをされてしまった。笑*2
目を覚ますとみんなに爆笑されていた。
最後は人間アーチを作って、完走者なひともそうでないひとも、その間をくぐった。
その後はR東京のスタッフについていき、デザートとピザの店へ。
皆さんと別れたのは、夕方のころ。
観覧車を眺め、名残惜しいのか、軽くお辞儀をした。
「終わったんだ…。」ぽつりとつぶやいて、僕は横浜駅へと向かった。
結果をまとめると、フィニッシュタイムは74時間57分。制限時間は75時間だから、結局足切りの3分前にゴールしたということになる。全完走者中、最も遅いタイムだった。*3
だけど、ブルベは速さを競うスポーツではない。その制限時間のなかで完走することを目指して頑張る。そのなかでグルメをしたり、協力したり、観光をしたりするものだから別に遅くても構わない。それよりも、完走を目指すための過程でなにをしたかのほうが大切だと僕は感じてる。事前に建てた計画をトレースしつつ、修正するようなことがあれば臨機応変に対応したりする能力があれば、最低限の脚力は必要だけど走ることはできる。この1年間、ひたすらにブルベに出てみてわかったことだ。
今回の1000kmは、たくさんの失敗があってこそ完走ができたのだと思う。低体温症になったことでウェアに関して気をつけるようになったし、”擦れ”が問題になった時はシャモアクリームを買うことによって対策を取ることができた。失敗があってこそ気づくことができたことばかりだ。
でも、僕が完走出来た本当の理由はそれじゃない。改めて、いろんな人からの支えがあったからこそ、僕は走ることができたことを実感した。
例えば、物理的な距離の支えとして、1日目の蛭川峠ではシン3さんと一緒に走ることが出来たから暗闇を超えることができたわけだし、それから鈴鹿まではPIPIさんや池田さん、その帰りはリュウさん達がいなければ無理だった。すーさんにも助けてもらったし、最後はKさんに牽いてもらったからこそ間に合った。PCで声をかけてくれた人や峠の登りで話しながら一緒に登ってくれた方にも。
それだけじゃなく、ツイッターの「頑張れ」といった一連のメンションにも。この場を借りて御礼を申し上げます。
やっぱり走って良かった。怖気づいて何もしなかったら何も得ることができなかったのだから。楽しい1000kmでした。
稚拙な文章ながら、ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
*1:後にかカッチンさんだということが判明。というか後日参加者のブログを見ていたら、僕の記述がされていたことで知ることができたのです。直近ではAJたまがわの足尾300で再会することができました。
*3:
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】その9 DAY4 熱海峠(900km)
2014年9月23日(火曜日)AM2:25 静岡県函南町
スタートから67時間25分 908km地点 制限時間、残り7時間35分。
真夜中の道をたったひとりで走れるか?
「ここから熱海峠のピークまで、それほどきつい坂はない。だらだらとした登りだよ」
僕達の先頭を引っ張っているすーさんはそう言って、最終チェックポイントのコンビニを出発した。
フィニッシュまで残り100kmを切って、制限時間はあと7時間40分程度。ここからコース後半最大の難所、十国峠が待ち構えている。およそ600mを、10kmぐらいかけてダラダラと登っていくこの峠は、走る前からいいイメージの話を聞かなかった。とにかく、こんな900km地点に峠を設ける主催クラブの意地の悪さに対して、僕は笑うことしか出来なかった。
でも、これを越えれば熱海だ。神奈川県はすぐそこにあり、後はほとんど勝手知ったる道ばかりだ。モチベーションが少し上がった。
出発して間もなく、登り坂が僕達の前に立ちはだかった。まだ峠の登りには入っていないだろう?なんでこんなにきついんだ。あまりにも突然のことできつかったので、ニコニコ笑ってしまった。完全に壊れてきているのが、自分でもよくわかる。
「十国峠」の案内看板が見え、疲れた目で確認する。矢印通りに進んでいく。
「頑張り過ぎると疲れて寝ちゃうから、寝ない程度のペースで頑張りましょう」とすーさんは提案した。僕も池田さんも賛成で、このまま寝ないでゴールを目指していくプランで走ることになった。
十国峠の登りが始まると、それまで寒かった身体が少しずつ暖かくなるのがわかった。キツい峠ではないが、どこまで気持ちが持ちこたえることができるのかが心配ではある。人気は更に無くなり、住宅は道路脇にあって人がいるはずなのに、全く気配がしない。昔は人がいたのだろうか、入り口が堅そうな門で閉ざされていたところもあり、ちょっとしたお化け屋敷にいるような気分でワクワクとドキドキが交錯する。
そんなところにいても、すーさんと池田さんの2人は相変わらず元気だった。これまで走った過去のブルベの話題で盛り上がっていた。
「あの○○を走るコースはよく凶悪だとかいわれているけど、実はよく考えられているんだ」とすーさんが言えば、
「そうなんですよね。景色のいいところをピックアップしているわけですからね。別にいじめるためじゃないんですよ。」*1と池田さんが優しげのある声で答える。
2人の会話が面白いのでじっくりと聞いていると
「こーへーくん、いつか一緒にそこ出てみない?」と突然池田さんに振られた。
僕はそのコースを知っていたが、とても出来ないという言葉を周囲から聞いていた。
「ええ、でも…」と僕がためらいをみせていると、すーさんがもう一言言った。
「こーへーくん、やらないでそんなことを言う前に、やってみてからどんなものか味わってみないかい?うわさ話ばかりに惑わされてやらないよりも、実際やってみてどんなものかを知ること、それが君にとって大事なことだと思うよ。」
どんな表情ですーさんは僕に話したのかは、暗闇なのでわからない。けれど、その言葉から自信を感じた。自分がそこに行くことや、やってみることの大切さ。21歳の僕にとってみれば、まだまだ知らないことばかりの連続だ。そんな年齢だからこそ、すーさんと池田さんはそんなことを伝えてくれたのかもしれない。
その言葉を、最近改めて実感する機会が増えた。
「やれる」ことを「やらない」ということは、実はとてももったいない事かもしれないと。
峠を登り始めて2kmほど走ると、それまであった街灯の道しるべがなくなり、自分の自転車のライトだけが頼りとなる。古ぼけた消費者金融のホーロー看板や、今はおそらくない商品の案内看板がうっすらと見える。そういう看板には芸能人の顔が描かれていることもあり、暗闇に突然人の顔が映し出されてビックリしてしまうようなことが2回ぐらいあった。
僕の自転車はここまで順調に動いてくれている。チェーン、変速、ペダル、ライト、スプロケット、これといった問題はここまでシフトワイヤーのトラブルひとつくらいだ。
サイコンのメーターもイカれることもなく、信頼を置くことができている。速度は相わからず1ケタを指しているが、それで問題ない。きちっと登って後は降りればいい、この時はそういうふうに考えていた。
僕らの後ろから、1台の自転車が上がってくるのが見えた。反射ベストを着ている。ランドヌールだ。軽快なステップとはいえず、少しフラフラしている、僕らを追い抜いていく。どうやら先ほどのコンビニでちょっと会話をしたライダーの方だということがわかった。これまでのダメージで首に負荷がかかっているのだろうか、少しでも軽くするために白い布のようなもので上に吊り上げているのがよくわかった。そこまでして、走ろうとする覚悟に驚きを感じる。
池田さんがよく知っている方らしく、しばらく会話をしていた。その女性は先にいってしまい、僕らは再び黙々と登り続ける。
それにしても、少しずつ変な汗がでるようになってきた。恐怖、とかではないけれど、圧迫されるような気配を感じる。ペースが落ちてきて、池田さんから少しずつ遅れるようになってきた。眠気なのか、なんなのか。すーさんも眠くなってきたのか、僕と同じくらいのペースで進んでいる。
「ちょっと心配なので、先にいきます。頂上で合流しましょう」と池田さんは言い残して、先へ進んだ。心配しているのは、先ほどの女性ライダーのことだろう。「頂上で合流しましょう」という言葉には、信頼が含まれている。池田さんのライトはやがて見えなくなった。
すーさんのペースは、先ほどよりも低下しているように見えた。夜に「普段寝なくても大丈夫なんだけど、眠くなると一気にダメになっちゃうんだよ」といつか言っていたのを思い出した。みんな、限界に近づいているんだ。
野生動物が出てきてもおかしくない雰囲気。おとといの蛭川峠の下りで小動物を轢きそうになったからか、なにかそういうものに対しての恐怖を感じていた。脚が止まりそうになる。誰かがいないと、僕は真夜中を一人で走ることができないビビリなのだとこの時はっきりと自覚した。
ついにすーさんの脚が止まった。僕も立ち止まり、すーさんの到着を待つ。自転車が蛇行しているのが、ライトのふらつき具合でわかる。すーさんは僕の脇で止まり、
「僕はここで一旦寝るから、こーへー君、先行って。」と告げた。
ここですーさんが寝てしまったら、タイムアウトの心配がある。ここまで一緒に走ってきた仲間だ。僕は置いていくことなんてできない。
「なんとかなる。先に池田さんと合流してくれ」
すーさんはそう言って、道路脇に倒れこみ、そのまま眠り始めた。
この時点で、僕は制限時間内で間に合うペースよりだいぶ遅れていた。
おおよそ1時間ぐらいといったところか。いまから快調に飛ばしてなんとか間に合うかどうか程度だ。
ここで覚悟を振り絞って、前に行くことができるかどうか。
何も見えない闇の向こうへ突っ込んでいける覚悟をどうか。
僕はペダルを回し始めていた。
カラダは震えるまま。何が飛び出してくるのか。何が見えるのだろうか。
風が吹き上げて、木々のひとつひとつからカサカサといった音が不安を増幅させる。
崖の下を見ても、明かりひとつなにも見えない。携帯の電波も圏外になり、僕が正確に情報を得ることができる方法は、サイコンの速度表示と距離を表す500m刻みの標識だけだ。
それ以外は、驚くほどなにもない。それしか知ることができない。なんてピュアな状態なのだろう。
怖い。帰りたい。逃げたい。
だけれども、心のどこかでこの状況を楽しんでいた自分もいた。
これを乗り切れば、新しい何かを切り開くことができるのかもしれないと考えている僕がいる。自分でも気持ち悪いくらいに。
残り数キロのところで、誰もいないはずの小屋からラジオの音が聞こえてきた。
そこは家が点在しているエリアから、2km以上離れている。廃倉庫のような場所のはずなのに、大音量で聞こえてくる。幻聴なのか、現実なのか。究極の恐怖。動物よりも、自然よりも、人間がやることが一番怖いのかもしれない。あとで聞いた話だと、そこに人が住んでいるらしいのだ。
峠のピークが近づいていた。「頂上まであと1km」の標識を確認する。今僕をここまで頑張らせているものが何なのか、よくわからない。
「幻覚か…」前走者のテールランプが見えた時、僕はそう思った。
前にも同じようなことをブルベで経験したことがあったからだ。だいたい道路工事用の赤色灯だったりするのだけれども、それとの距離が近づくにつれ、「幻覚じゃないな」と初めて思えるようになった。
近づいて声をかけてみると、8時スタートの参加者だった。
「この先に僕と同じジャージを着ていた人はいませんか?」と尋ねてみると
「ああ、いましたよ。今なら多分追いつきます。がんばってください」
そう言って、後方へ沈んでいった。その言葉を信じよう。
一体何度同じようなカーブを曲がったのだろうか。だけど、カーブミラーが見えた時、頂上が近づいていることを確信した。峠のピークには必ずといっていいほどカーブミラーが設置されているからだ。その瞬間、ダンシングでとにかく踏む気持ちが生まれた。グイグイと進める。息が切れる。寒いのに、汗が出る。
頂上が見えた。明かりが見える。力を振り絞る。陸にいるのに、溺れそうな感じだ。
その明かりも、幻覚ではなかった。池田さんその人だった。
「あれ、すーさんはどうしました?」
到着するやいなや、池田さんは心配そうな顔で聞いてきた。
「途中で仮眠するって言って、ピークの数キロ手前で横になりました。」
僕も不安そうな表情をしていた。
「待っててとか言われたの?」
「いや、そういうことはいわれてないです。」
「イケさんはどうするつもりですか?」
「僕はすーさんを待ちます。心配なので。」
そう言われた時、僕はどうすればいいのかわからなかった。
仲間を待っているのが正解なのか、それとも自分だけ先に行ったほうがいいのか。
葛藤していた。
僕は2人より1時間先にスタートをしている。だから、制限時間も一時間ずれる。
僕のリミットは午前10時だけれども、2人は午前11時に横浜に到着すればいい。
それなら先に行った方がいいと思うのが当たり前なのかもしれない。
だけれども、ここまでいったいどのくらいこの2人に助けてもらっただろうか。
そう考えると、なにか裏切るような感じがしてしょうがなかった。
「僕はどうすればいいんでしょうか?」
思わず池田さんにそう聞いてしまった。
「さあ。僕はどうしようもできません。ただ、行ってみてもいいんじゃないですか?確実にこーへー君のほうが私達より余裕ないんですし。」
「だけどそれって、これまで助けてくれたのに申し訳ない気がして…」
池田さんに不安な思いをぶちまけた。一息ついてから、池田さんはこう言った。
「そう思いましたか。そう思ったなら待つのもありですね。でも、それで間に合うんですか?ここまで走ってきたのに、ここで僕達を待っていて間に合わなかったとしても、私たちがそれに対して責任を負うことができませんよ。気持ちはわかります。あとはこーへー君、あなたが決めることです。」
その言葉の本当の意味を知ったのは、2ヶ月後に池田さんと食事をした帰りのことだった。
すーさんがやってくる気配は、ない。
大きく息を吸って、僕は決めた。
「ごめんなさい、行きます。ゴールで会いましょう。」
池田さんは「気をつけて!」の一言以外、何も言わなかった。
空は少し、青みがかってきていた。
心残りではあるものの、必ず横浜で会えるだろうという確信があったからこそ、別れることができた。
頂上の手前でパスした方がやってきて、僕はその人と一緒に降りることになった。
峠の下りはなぜかやたらキツく、斜度は14%以上を記録していた。全然止まらない。ブレーキを掛ける手が痛くなる。しかも、この山の下にはローリング族がいるみたいだ。ドリフトをしているのか、スキール音とエキゾーストノートが聞こえてくる。こんなところで、事故は起こしたくない。
やっぱり、笑うしかない。怒りなのか悲しみなのか、よくわからないけど感情がボロボロ出てくる。雨でも降ってたら転んでいただろうなあ。
峠を2kmほど降りるとMOA美術館があり、そこを左折して前を通るルートになっていた。これが非常にわかりにくく、ミスコース。このまま下まで行っても良かったらしいのだが、律儀にコースを守る。インナーローにしても脚がイカれそうになるほどキツい。乳酸が溜まってパンパンだ。
コースに復帰し、ここまでのお互いの健闘をたたえる。
「また、横浜で会いましょう。」何かの合言葉みたいだ。
僕は先行して、熱海のリゾート街へと降りていく。
夜が明けていく。
リゾートホテルのガラスが反射して、その色を取り戻す。言葉にできない自分の語彙力のなさが勿体無いくらい。
山の上から見ると、ジオラマを目の前にしているようだった。
1/1スケールの世界で、僕は今遊んでいる。
心惜しいが、それを楽しむことがてきるのは一瞬。
一瞬だからこそ、記憶に残るのかもしれない。
自転車のスピードを上げて、下り坂を快調に飛ばしていく。
すぐに麓へと辿り着き、残り僅かとなったこの旅も最終局面へと突入していく。
順調なのは、ここまでだった。
伊豆半島の東端、熱海から神奈川県までの距離は驚くほど近い。わずか数キロで到着してしまうのだから。海沿いの岸壁に作られた道を、僕は走る。犬の散歩をしている人たちに軽く手をふる。挨拶を返してくれる人もいた。
それにしても、スピードが先ほどから上がらない。風はそれほど吹いていない。今ちょっと登っているからなのか?登り終えて、空気抵抗を減らすポジションを取って頑張ってペダルを回す。けれども、スピードメーターは24km/hしか出ていないと告げている。
気づいたときにはもう遅かった。風のせいでもない。ましてや、坂のせいでもない。エネルギーをとっていない。ハンガーノックにかかっていた。だけどこの時は睡眠不足だと思っていて、どうしてこんな体調不良になったのか、全然理解できなかった。
時速は20km/hを切り、全身に力が入らない。猿轡で拘束されているみたいで、力を入れようと思っても入れることが出来ない。無常だった。視界も歪む。
くそ。一旦横になろう。そう判断し、道路脇の誰もいないくぼみのようなところに仰向けで倒れこんだ。倒れて目をつむっても、全く回復する気配がない。それどころが、カラダが蝕まれている感じがした。
だれが助けてくれる人がいないのか。たまらず、「力が入らない。助けて欲しい。」とツイートをした。これでわからなかったら、もうここまでだと。
すぐにそのツイートに対して返事がきた。同じ亀太郎のチームメート*2からだった。*3
「ハンガーノックじゃない?」
そう言われてやっと気づいた。
そういえば、背中のポケットに食べかけのブラックサンダーがあった。それを思い出して、急いで寝転んだ状態のまま食べる。カラダが糖を欲している。ものすごく甘く感じた。回復するのに、時間はかかるけど。ひとくち食べただけでも、なんとか動けるくらいにはなった。プラシーボでもなんでもいい。藁をもつかむ気分だ。
ここからもう一度がんばってみよう。
残りの距離は80km。制限時間は5時間を切っていた。
ヨレヨレの幸せを追いかけて、もう一度踏み直しだ。
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】その8 DAY3(後) 760~900km
2014年9月22日(月)PM3:40 静岡県 御前崎市
まるでフレッシュ(fleche)*1みたいに、5人で構成されたこの編隊は東へと進路を進んでいた。メンバーは男性3人、女性2人。淡々とホイールを回転させていった。
先頭を牽いているのが究極のタフマンで、僕の所属している「チーム亀太郎」のメンバーである「すーさん」。爽やかで頼りがいのあるひとだ。2番手、3番手はすーさんの友達の女性ランドヌール2人。ふたりとも経験が豊富で、快適なリズムでペダルを回している。そして4番手には同じ「亀太郎」の池田さんが着く。イケさんもすーさんに負けず劣らずのタフマンで、こちらも頼りがいのある方だ。
そんな集団の最後に、一番頼りがいのない男、僕がついている。「いつかこの2人くらい、頼りがいがあるひとになる」ことを心の中で誓う。
トレインは安心感があって、居心地がよかった。
スピードは、決して巡航速度は速い方ではない。25km/h~28km/h周辺でゆっくりと、しかし確実に前へ進んでいくのだ。それは、信号が多い地域に差し掛かった時にわかった。
僕達の横を33km/hくらいで走る2台の自転車達。しかし、信号が多いため、それほどの巡航速度を出しても引っかかってしまう。青になるタイミングで、僕らは交差点を通過していく。結局彼らはムダに体力を消耗してしまう。それに気がついたのだ。
「すーさん凄いっすね、ペースメイキングが明確で。」とイケダさんに言うと、
「すーさんもきちっとわかっているみたいですね、流石だ」と言う。ふたりとも、わかっていたみたいだ。
集団で走っているときは、危険を回避するために手信号を用いる。「止まります」「この先段差」「車が駐車している、右へ」といったことを、ジェスチャーひとつで指図する。必要以上の会話をしなくても、それだけで伝わることの楽しさを感じる。
1時間半くらい走っただろうか。僕たちはコンビニに寄って水分補給とATMへ、ここで女性陣とは別行動。「またゴールで!」を合言葉にして別れた。
静かな海沿いの倉庫脇を通りぬけ、焼津へ差し掛かる橋を渡っていると、後方から差すオレンジ色がきらびやかに輝いていることに気付き、後ろを見た。
橋を渡りきり、信号待ちをしているとすーさんが「見ろ!これはキレイだぞ。」と言って左を指さした。落ちかけたその眩しい光が赤と青のグラデーションを演出している。空が燃えているとはこういうことをいうのだろうか。ここまで800km走ってきたご褒美をもらっているようだ。
「子供のころ見た空は、こんな感じだったなあ。今ではもう見れないと思っていたけれど、ほんと最高だよ。」こんなことをすーさんは言ったと思う。その言葉が忘れられない。
焼津という港町へ入るころには僕らはライトをつけ始め、再び反射ベストとライトだけが光る物体になった。今年土砂崩れで通れなくなってしまった大崩海岸という海岸沿いのルートを避けて、宇津ノ谷峠という100m程度の小さい峠へと進んでいった。
ちょっと中心街から離れただけであたりは一気に暗くなって寂しさを感じ、自分がどこにいるのかはキューシートでしかわからなくなるけれど、土地勘のあるすーさんとイケさんに支えられながら峠のアプローチへと進んでいった。
峠は中世から交通の要所として重宝されたらしく、国道1号線が通っていた。だけれどもそこは自転車が通れるようなところじゃなくて、そのそばにある昭和初期あたりまで使われていたルートを走るよう指示されていた。高速道路のようなR1の脇を通るその道は暗く、とても一人では走りたくないような道。
ビクビクしながら登る僕はすーさんに「ここ、出そうなところですよね。」と言うと
「え!いいねコーヘー君は見えるのかな?」と言われた。「ブルベって心霊スポットを知らないうちに走っている気がするんですが…」
「山には結構そういうのがいるから、幽霊なんてこわくないよ!」*2
宇津ノ谷峠の下り、神奈川側は国道一号と合流して走るように設計されている。どうしても高速道路なみにスピードが出ている車と同じ道を走らないといけない。道路にある道の駅で休憩をした。
写真はないが、出発する直前に別グループのSさん達とたまたま合流したので集団で一気に降りることにした。
実際に国道1号を降りて行くと、これがなかなかこわい。ディズニーランドに行かなくても十分なくらいのスリルを感じることができる。いつトラックや乗用車に吹っ飛ばされるかわからないドキドキと、反対側に寄せすぎてガードレールにぶつかるかもしれない緊迫感と、ガラス片が大量に落ちているトラップはマリオカートよりも意地悪だ。待ち時間もいらないけれど、もうやりたいとは思わない。
無事下までたどりつくことに成功して妙にテンションが上がっていた。交差点を右折してバイパス沿いによくあるラブホテル街をすり抜けていく。きらびやかすぎて何よりも目立って、もはや僕らを歓迎しているかのように極彩色のネオンが視界に入る。ホテルの中にいる人なんて所詮僕らのことなんて気にしていないはずだけれど、そんな想像も働かないほど頭と身体が疲弊していることだけはわかった。
細い道を抜けると、趣のある宿場街のようなところをすり抜けて、おおよそ6人のトレインは清水へと進んでいく。3日目の夜が始まった。
2014年9月22日(月)PM6:40 静岡県 静岡市 840km地点
集団で走っていると、気持ちがやっぱり楽になる。信頼のある人達といっしょに走ることは、経験の浅い僕のような人がロングライドを完走するには重要なファクターのひとつだと思う。そんな気持ちとうらはらに、僕の身体は少しずつ異変が起きていた。頑張っても、頑張ってもペースが上がらない。みんなに時々離されそうになることが何回かあった。「これだけ速く走ってるように感じてもそれほど進んでない?」と思うと、精神的にこの区間は苦痛だった。
通過チェックポイントのサークルKにたどり着いたのは20;00くらい。
もう身体はへろへろ。胃の調子も微妙。
池田さんのナイト・ショット。ヘルメットライトが眩しい。
すーさんは「清水で寿司か海鮮丼の店へ行こう」と提案してくれたのだけれど、あいにくその店が遠いところにあるらしく、仮眠の時間はおろか次のPCに間に合うかわからない自分は断ることにした。ここでDNF覚悟で海鮮か、そんな状況でなんとか間に合わせることができるか。僕は出来ない。そういうと、すーさんとイケさんがこういった。
「コーヘー君がピンチなら、海鮮は諦めて皆で走ろう。食事は道沿いで探すよ。」
「いやいや、そんなこと申し訳ないですよ・・・」と僕が言うとイケさんはこう返した。
「初めての1000km完走がかかってるのなら、そうしましょうよ。諦めたらもったいないでしょう。」
自分ならまだこんな格好いいことは言えないな。
道沿いの店に入って食事をするということで決まり。ここからさっきまでご一緒させてもらったSさん達と別れ、先へ進むことにした。
清水へ向かうこの道は、やっぱりというか人気がない。
さっきから海の音が聞こえる。真っ暗で見えないけれど、反対側が何も建物の明かりが見えないのはその先が海だから。
波が立つ音しか聞こえない。時々クルマのライトが通り抜けるだけだ。
街に入る手前で浜松餃子を食べることができる店を見つけ*3、そこで食事をしようということになった。外は寒く、歯がガチガチ震える。店内に入るととてもあたたかくて、一気に眠気が襲ってくる。餃子とつけ麺セットを注文するやいなや、僕はテーブルに頭を預け一瞬の夢を見た。
5分から10分くらい眠ったであろうか。
ぱちりと目を開けると、いくらか眠気から回復しているみたいだった。ちょっとした仮眠でも十分効果があるみたいで、仮眠の重要性を改めて感じた。ほどなくすると、目の前に温かいつけ麺と餃子が届いた。
自転車ってこういうものを食べるためにあるんでしょ?w
ここまで800km以上コンビニ飯ばっか食べていたから、ここで初めてのグルメ。嬉しくてしょうがない。大盛りにしてよかった。餃子もうまい。幸せの形をしていた。
ペース計算をすると、次のPCまでは平均15km/hで進まないと間に合わないことがわかった。12km/hで本来は走ればいいんだけれども、これじゃあ普通のブルべと変わらない。
店を出て、店員さんとちょっとお話。ブルベライダー恒例、「どこまでいくんですか?」
という話をした。すーさんが説明してたけれど「ええええ!」とやっぱりビックリしていた。「頑張ってください!」とエールを受けて、リスタートを切った。
また、真っ暗な道が続く。清水の街が見えた。清水エスパルスのホームタウンだからか、いたるところに「エスパルス」の文字が。静岡のサッカー人気って凄いなー、これが街が一体になっているってことかななんて思った。あと、「ちびまる子ちゃん」って清水だよね?考える暇なんてなかったけれど。
観覧車があって、まるでプチみなとみらいだ。翌朝には、これよりはるかに大きい観覧車のある街へと行くのだろう。自転車でみなとみらいに行くんじゃなくて、デートで行けたのなら素敵なのだけれども、そんなことは完走した後に考えよう。*4
どちらにしても、ゴールまで走らないとそんなこともできないのだから。
もう、帰りたいのかなあ。
PM9:30
3本の矢はひたすらに、挫けそうな心と戦いながら矢印通りに突き進んでいく。
そんなつらさの中にも楽しさはある。だからといって、3日も続けていると感覚がマヒするのはふつうのことじゃないか、そんなことをぼんやりと、僕は考えていた。
記憶は時間が経つほどつらいことを忘れるというけれど、昨日のようにリアルな感覚として残っている。
淡々と走っていると、右側のビルに見たことのあるロゴマークとネオンが見えて、それが初日に止まった系列と同じ健康ランドだということは、すーさんに言われるまでは気が付かなかった。思考力が低下しているのかもしれない。
時間の余裕があるライダーなら、ここに寄ってお風呂に入ってつかの間の休息を撮ることができる。僕の場合は時間がないうえに、遅れを取り戻さないといけないからそれを横目に通過するだけだ。
温泉に入りたかったって思っているのは、僕だけじゃないはずだ。
国道1号線、由比のバイパスが見えてきた。
ここのエリアは、自転車が車道通行することができないため*5、道路脇の歩道を走ることを余儀なくされる。普段、自転車は左側をはしるのが一般的だが地理上の関係もあり右側を走らなければならない。自動車たちのライトが僕にめくらましを仕掛けているんじゃないかと思うほどの眩しい光だった。
ついに歩道が途切れ、反対側に渡るための信号へたどり着いた。歩行者用信号が設置されていて、これを押すと通行ができることは全員が知っていることだと思う。
ただここは、日本の大動脈である国道1号だ。幾千の車の流れを、ボタンを押すだけで止めることができる。まるでタイムトラベラーみたいに。
信号を渡り、崖沿いの険しい道をちょっと登ると旧東海道の由比宿にたどり着いた。*6
このあたりはとても静かで、古くからある佇まいの住宅が多く存在する。
幅はそれほどなく、自転車が一台かろうじて通れるような道だ。ビールびん用のケースが玄関先に置いてあったりして生活感が漂っている。すーさんは、「いいとこだろ?」と僕に話しかける。同感だ。人の温かみを感じるところを走ることができるのはいいことだ。明るいうちに走ってみたかった。
この近くの道が崩落したのをニュースで知ったのは、3週間後のことだった。*7
なにもうまいことなんて言う必要なんていうのはない。
あと、140km。今度は沼津まで続く道へと合流した。街灯がぽつりぽつりと見えて明るいし、家もあるのだけれども人の気配を感じなくて、怖さだけがあった。
僕の前を走っている2人― すーさんと池田さんの2人が、先ほどからなにやらゴニョゴニョしゃべっている。僕は気になってしょうがないのだが、あえて聞かないことにした。何やら、楽しそうな話に聞こえる。*8
今度は僕にすーさんが近寄って、話しかけてきた。「こーへーくん、君さ、…」
そのあとは何を言ったか、ここでは書きたくない。すーさんも疲れていたのだろう、突然大声で叫んだりしていた。とにかく、このブルベで一番面白い会話をしていたと思う。*9
ここでは紹介できないのが残念である。ただ、ハンマーで叩かれたように目が覚めたことだけは確かだ。
そんなことばっか話していたからだろうか、この区間をかろうじて乗り越えることができた。くだらないことこそが、なんとも言えないほど楽しいことだったりするのだ。*10
PM10:30
10kmほど進むと、一本の橋が見えてきた。
また別の街へとつながっている。RPGゲームで言えば、ダンジョンのステージチェンジみたいな感じだ。
紙パイプの工場地帯を通り抜ける時、小学生の時に嗅いだような紙の古臭い匂いを感じた。何気なく、人生はリンクしているんだなってことを感じる。
相変わらず道路は暗く、退屈でしょうがない一本道。海沿いに延々と植えてある松が、さらさらと音を立てて揺れる。この松の奥に怪物でもいるかのようだった。
時刻は、午後11時を回った。
突然、それまで順調に先頭を引っ張っていたすーさんのペースが落ち始めた。
全体行進の脚のリズムが少しずつ崩れて、最終的にはバラバラになってしまうあの感覚に似ているものを僕は味わった。それまで等間隔で1mくらいの間隔で走っていた列が、少しずつ崩れはじめていく。「やばい、眠くなってきた」ぽつりとすーさんが言った。
真っ暗な道は、僕らを飲み込もうとしているのだろうか。
なんともいえないくらいの退屈さが襲ってくる。
「大丈夫ですか?」僕はすーさんの横に並び、元気がどうかの確認をとる。
「やばいぞ、これはー…。」とすーさんは言って、フラフラと蛇行気味になりはじめた。
まずい。このままだと落車してもおかしくない。スピードメーターは20km/hを切った。
自転車のカラカラというラチェットの音だけが虚しく響く。
「おし。」すーさんは何か覚悟を決めたのだろうか、一言言うと大きく息を吸った。
「ファイトォー!!!!」声が震えて、ハンドルを持っている手にも響くくらい、ビリビリと声が伝わってきた。叫ぶだけでも、回復するのだろうか。
あまりの突然のことだからか、僕は笑うしかない。こんなこと、普段の生活じゃ絶対に体験できないわけだし、周りが日常なのに自分たちだけが非日常の空間にいることが何よりも面白い。僕自身、もう壊れ始めているのかなと、冷静なアタマの部分で考えた。
叫んだ後のすーさんは、すっきりとした顔をしていた。
2014年9月23日(火曜日)AM0:00 静岡県沼津市 870km地点
横浜へのタイムリミットまであと10時間を切った。
日付が変わった。4日目へと突入した。
次のチェックポイントまでの距離はあと20kmもない。おおよそ40分ほどのマージンを稼いでいることがわかった。どうやら、ここまでの頑張りが報われたらしい。
「そろそろ先頭はゴールしたんじゃないか」なんて会話を2人のどちらかにしたような覚えがある。どちらにしても、もう3ヶ月前の話になるからか、眠気のせいか覚えていない。実際は、「そろそろ」なんかじゃなく、「すでに」僕らが御前崎のコンビニで仮眠を取っていた夕方ごろには到着していたということを知ったのは、僕が帰宅してからのことだった。*11
ロングライドをしていると、すべての物事が楽しいと感じる瞬間と、すべての事象にイライラする瞬間がある。まるでドラッグでも使ったみたいな感じで、それまでひた隠しにされていた感情がふつふつとあらわになる。自分に素直になれる楽しさが、ここにはある。
僕がこの時間帯に感じていたのは、後者だった。
どうにもこうにも、僕自身のペースが上がらない。こういう状態になると、キレイなものには目をくれることもなくなり、ひたすらにイライラと対峙することになる。
「ここ数時間、誰とも会っていない。他のライダーはどこにいったのか?」
「もしかしたら、僕達は別のルートを走っているんじゃないだろうか?」
「そもそも、僕はなぜここにいる?なんで辛いことをしてまで?」
考えてもどうしようもないこと、全く問題ないのに疑いが出てきて、人間のわるいところが滲みだす感じがした。
先程から、スピードメーターは15kmくらいで推移していた。再び、すーさんに眠気が襲ってくる。時間に余裕があるということで、PC(チェックポイント)数キロ前のコンビニで休むことにした。とにかく、間に合えばいいので僕も止まることに賛成した。
到着して、久しぶりに自転車から離れる。一歩歩こうとしたとき、フラッと目眩がした。
視界が歪み、DNAの組織図みたいな螺旋状の幻覚が見えた。もやもやとした糸のようなもの、僕にも眠気が襲ってきていることがよくわかった。「大丈夫?」と池田さんに心配され、僕は親指を立て、返事をした。
コンビニではサンドイッチと暖かい飲み物を購入した。カロリー不足のせいか、身体の震えがでていて危険だった。
「ここまでくれば、このPCはいけるよね」そんなことを話していた。
たしかにその通り。まずはPCに間に合うことが大切。じゃないと、ここまでの890kmとは何だったのだろうかということになってしまう。
クリートをはめて、再出発だ。
沼津からはちょっと南側にそれた、函南(かんなみ)という静かな町までやってきた。
静岡県の東端のほうまでついに来たのかと、ぼんやり考える。
再スタートをしたのだけれども、以前ペースは上がらなかった。眠気は回復したのも一時的で、またすぐにペースが落ち始める。錆びついたホーロー看板のように、だめになってしまう。僕は少しだけペースを上げて、函南の静かな町をひた走った。
ハンガーノックの症状が、再び出始めた。うそだろ、さっき食べていたじゃないか。
ペダルに力が入らない。後2kmぐらいなのに、ひたすらにもどかしい。
ハンドルを思わず叩く。「くそっ!」と悪態をついてしまう。本当は、やってはいけないことだと知っていても。
交差点を左折して、少し登ると、コンビニの派手な明かりを確認した。
そこから到着するまで、一体何処にそんな力があったのだろうかと思うほど、全力で走ったことを覚えている。
到着。ホッと一息をついた。
コンビニの駐車場は、まるで野戦病院のようだった。10台以上の自転車が止まっていて、その下しはアルミホイル製のエマージェンシーシートに包まれたライダーが仮眠をとっていて、みんなボロ雑巾のように疲れた顔を浮かべていた。
ここは現実かどうかもわからなくなる。
30秒ほど遅れですーさんと池田さんがやってきたのを見届けて、僕は店内に入った。おにぎり2つと、カップ麺。あと炭酸飲料とミネラルウォーター、そしてポカリスエットを購入する。レシートをチェックすると、足切りの時間まであと9分といったところだった。
906km地点。最後の中間チェックポイント、PC5の函南セブン-イレブンには01:21に到着した。(クロースタイム01:29)
コンビニの軒先で仮眠を取ることにした。
だいたい、30分ほど寝れればいいか。
「僕、30分ほど寝てから出発しようと思っているんですけれど、どうでしょうか?」
池田さんにそう相談すると、「私もちょっと寝ようと思っていたのでいいですよ。」
と返ってきた。
すーさんも「40分くらい寝たいなあ」ということで、一致した。*12
Iphoneのアプリで気温を確認すると12℃しか無く、9月の中頃にしてはだいぶ低かった。半袖にスパッツではなかなかきつい。サドルバッグから雨用のウェアを引っ張りだし、眠ることにした。コンビニにパンストが売っているのでそれで凌ぐこともできるけど、妙に恥ずかしいのか買うことは出来なかった。*13
ご飯を食べたら、ひたすらに眠る。僕の目の前では、A埼玉のジャージを着ている人に誰かが応援に来ていて、何か会話をしていた。僕と面識のある方だが、僕は疲れて挨拶ぐらいしかできなかった。泥のように眠ろうと横たわっていると、「21歳でブルベやっているなんて…」と声が聞こえてきた。
”年齢なんて、関係ないじゃないか。”やりたいと思った時、それをやろうと思っただけだ。それがたまたま21歳だっただけであっただけのことなんだ。なんて思う。
携帯のアラームが鳴った。反射的に目がさめる。完璧だ。
40分近く眠っただけで、目とアタマがやけに覚めている。火事場の馬鹿力?とでもいえばいいのだろうか。
すーさんを起こしに行って、いけるかどうかの確認をした。どうやら大丈夫みたいだ。
ヘルメットを再び被り、戦闘体制の衣装に着替える。フロントライトの電池交換も。
ひとつだけ反省しないといけないのは、尾灯が弱くなっていたこと。池田さんにこれを指摘され、緊急で貸していただくこととなった。次回から直していかないと。
あたりを見回すと、先程までいたアルミホイル集団もいなくなり、自転車も少なくなっていた。もう先に出発してしまったのだろう。
池田さんから、「ここまで来たんだから、きちっと完走しましょう。」
と優しい声で言われた。励みになる。完走しようと覚悟を決める。
ここから先は、熱海に繋がる峠ひとつを攻略すればいい。
そこを越えれば、勝手知ったる神奈川県。江ノ島や横浜のゴールが現実的なものに変わっていくのだから。
「よし、いきましょう。」
ポツリと、しかし強い意志ですーさんが声をかけた。
自分もその言葉を反芻して、胸の中にしまいこむ。
日付が変わった4日目の午前2時15分。
僕たち3人は頼りないホタルの光のように、峠へと飛んでいった。
*1:fleche.フランス語で「矢」のことを指し、3~5人のグループで24時間以内に360km以上を走破することで認定が貰える。
*2:もっと具体的に言うと、「幽霊には基本的にこわいものだってみんな思い込んでいるけれど、そんなことは実はなくて、怖い、って思い込んでいるからなんだ。僕は岡山1000で……と以下続く…」
*4:2016年3月13日時点ではそのどちらも達成できてません。
*5:この区間はできる。ただし、国道を走る車がとても速く脇を通るので通らない。あとブルベのコースとして直進を走ることは今回認められていない。
*6:「この反対側には薩埵峠がある」ということを、すーさんとイケさんが話していて、その当時はどんな峠だかもまったく想像せず、いくつかある峠の1つぐらいの位置づけでしたが、最近はR東京のサッタ峠シリーズから、1番登ってみたい峠にまで個人的なランキングは上がっています。ちなみに斜度はとてもあります。とても。
*7:
【台風18号】東海道線で土砂崩れ、けが人はなし 由比-興津間 - 産経ニュース
*8:後日談で聞いてみたら、全然ある立場からは楽しくない状況だったり、でっかいターンアラウンドのまさにその真っ只中だったみたいです。(謎)
*9:こういう話はブルベでするのがとてもいいのかもしれません。なぜなら思考能力は連日の走行で衰え、判断基準もあやふやになっていることがだいたいだからです。この話はたぶん10年以上覚えているんだろうな。
*10:本来は日常生活の現実逃避であるブルベ時において、さらに現実逃避をすることも大事です。完走するためには。あと楽しく走るためには。
*11:ちなみにその先頭はhideさんでした。
*12:フレッシュでもそうですが、ある程度全員で睡眠時間の相談をすることで安心して走ることができます。たぶん、1番長く眠る人にできれば合わせられればいいんじゃないかなあ。
*13:時折履いている人います。
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】その7 DAY3(前)600~760km
2014年9月22日(月)AM3:45
僕が目を覚まして感じたのは、いやらしい汗のベットリ感だった。
昨日と同じ場所、そして同じ部屋。変わっているのは、目の前のテーブルに置かれているドリンクバーの飲み物がメロンソーダからホットココアに変わっていることくらい、それ以外は部屋の雰囲気も何もかも変わっていない。
僕が寝ていたリクライニングシートは最初は寝れないものだと思っていたけれど、2日も経験すれば慣れるものだ。慣れないのはカラダの変化だ。昨日より疲労の度合いが大きい。最低の足切り平均速度が緩和されたということに対する張り詰めた気持ちが抜けたということもあるけれど疲れているみたいだった。室内にいるのに寒くて、体が震える。エネルギー補給が追い付いていないことがわかる。急いで昨日寝る前に買った黒酢を飲んで、一時的な処置をとった。*1*2
さっきまで感じていた震えが次第に消えていくのがわかった。自分のカラダの刺激に対して、敏感になっている。
時計を見ると、3時50分。そろそろ出発しないといけない。次のチェックポイントは制限時間が設定されている。ブルベの制限時間は、おおよそ時速15km/hのスピードで設定されていて、600km以降は時速12km/hで換算できる。
現在、僕のいる場所は603km。この12km/hルールが適用される場所に僕はいた。
今後の計画を頭の中で考えた。小学校で出る文章題みたいなもんだ。
おおよそ4時間半前に仮想敵Aは時速12km/hのスピードで進んでいて、現時点で48km先に走っている。それに対して、僕Bは遅くとも2時半にAに追いつくために何キロのスピードで走ればいい?といった具合。
追いついても、休むことを考えるとマージンを稼ぐ必要があるのだ。僕の走力は、だいたい時速19km/hくらい。計算上では午後1時にAに追いつく計画だった。そうすれば、1時間は進むスピード分の貯金を得ることが出来る。
よし、いこう。
眠っていたリクライニングシートから離れようとした。だけれども、脚を動かすと関節が痛むのと、レーパンの衛生状態が悪くてベタついてなかなか離れない。気持ち悪かった。幸い、衛生状況的に走行には支障はないみたいだ。
お会計は、昨日と同じ900円。やっぱ安くていい。でも、ほんとは健康ランドがベストだよね。てか、会計をしている時点でめちゃくちゃな寒さを感じた。外に出たくない。
戸を開けると、猛烈な寒さ。布団で休みたい。
僕以外にも何台か自転車が。池田さんもまだ寝ているみたいだった。寝坊しなれけばいいなあ。自転車にかけた鍵を渋々外して、ライトを点灯させる。少し削れたクリートで、ペダルと一体になる。このお世話になった満喫ともここでおさらばだ。とにかく走って温まろう。
今日も長い一日になりそうだ。
クリートをはめて、寒空へと駆け進む。
走りだすと、真っ暗な道が広がる。
景色はただただ広がる一本道、それをぼんやりと照らす街灯、そして申し訳ない程度にカラフルな世界にしようと務めている信号だけ。時折、トラックと地方独特のちょっとした改造車が後ろから抜いていく。自転車が走っているなんて考えていないだろう。ぼんやりとそんなことを考えていた。
そんな退屈な道を走り続けているわけだからか、強烈に眠気が襲ってくる。あれほど寝たのに、まだ眠くなるなんて。
時折、だれもいないことを確認して歌ったりして気を紛らわす。どこかで聞いたことのある歌、懐かしい歌、・・・。*3歌っていると、気分はいいのだけれども、あまりに眠くて歌詞が思い出せない。1番と2番がごっちゃごちゃになって、もどかしくなる。信号待ちをしている間、頭を自転車のハンドルに乗っけて目をつむることにした。それだけでもほんの少しだけ、その場しのぎの回復を取ることができる。それでも、突発的にマイクロスリープが襲ってくる。ここで事故なんてしても誰も助けてくれない。あとで気づいたけど、あの眠気は寒さからくるものだったのかもしれない。
わかりにくい交差点を、事前にストリートビューを用いて予習したこともあり簡単に通過することが出来た。
立体交差点の下をくぐって、整備されたバイパスへと差し掛かった。
ここまでのペースは自分が予想していたよりも遥かに悪く、1時間で15kmしか進んでいなかった。*4
橋を渡って、いよいよ名古屋市街に入る。標識は見えないけれど、明らかに建物が高くなっていた。
名古屋市街を走って感じたことはいろいろある。
だけどひとことでいえば、「信号が多くてイラつく」で片付く。
名古屋市街の信号は、すべてなぜか感知式ではなく時間通りに切り替わる。そのため、車が全く通ってない状況だとしても信号は赤になったり青になったりする。僕はこれに悩まされることとなった。あたりまえだけど信号にとって、自転車のペースなんて全く考えちゃいない。青信号⇛頑張って走る⇛次の信号で赤 ということをエンドレスで繰り返していた。
頑張っても頑張らなくても赤信号でストップだ。次第にモチベーションが下がっていき、「ふざけんな」という気持ちと「急がないと行けない」気持ちに責め立てられる。こういう時は、ちゃぶ台を投げたくなる。1時間あたりのスピードも下がる一方だった。何度同じ景色を繰り返したのだろうか。さっきと変わったのは、街灯の数が増えただけだ。
ビルの高さが変わって、ようやく市街地の中心に差し掛かっていることに気づいた。そろそろ、ドロップバッグを預けている郵便局に差し掛かるところだ。バッグの中身はジャージ一式。
真っ黒だった街が再び色を取り戻していく。まだ濃い蒼の街は、中央市街を走っているとは思えないくらい交通量が少なかった。
反対側に郵便局が見えた。
夜勤明けの人をすりぬけ、店内に駆け込んだ。シャッターが閉まっていたけれど、「押してください」と書いてあるブザーを押すと、古い映画に出てきそうな赤色のシャッターから局員が出てきた。、府中で送る際に預かった伝票を渡すと、局員はバックヤードへと戻り、服の入ったバッグを渡してくれた。
「ありがとうございました」とお礼を言って店を出て、着替えるためにすぐさま反対側にあるコンビニへ駆け込んだ。
着替えると、柔軟剤のいい匂いが僕を包んでくれる。身体も除菌シートできちんと拭くと更に気持ちいい。
それまで着ていた服はどうすればいいか?それは、コンビニから送ればいいだけだ。自宅の住所を送り先に書いて、ミッションコンプリート。*5ついでに小腹がすいていたから軽食をとることに。ホットドックと補給食のブラックサンダーを買って、店外で簡単に食べることにした。あたりを見るとさっきよりあきらかに明るくなっていた。それでも、まだ車の数は少なく、ジョギングをする女性や、犬の散歩をしている人、ボロい自転車に乗っている、所在不明な方。それぐらいしかいなかった。ブルベライダーは、未だに見ていない。
うんざりするほど再び信号のある交差点を通りぬけると、小さな坂に当たる。このあたりは中京圏の大学が集中しているっぽい。八事という地区で、愛知県南東部に抜けるための街道に合流した。ふと左を見ると、ギリシャ風の建築物。見覚えがある。高校の頃進学候補地だった中京大学だ。しばらく物思いにふけった。
名古屋B級グルメの代表格「喫茶マウンテン」もこの近くにあるらしいのだが、時間的にもちろん営業していない。また今度にしよう。
交通量が増えてきた。トラックや乗用車の量が増えて、真横をトラックが通りぬけて、車輪がゴワンゴワンと音を立てていく。運転手がきちんと見ていることに感謝する。じゃないと今頃撥ねられた猫のようになってしまう。信号の量自体は先ほどと変わらないが、信号に引っかからなくなった。走行風を利用してペースを上げていく。同じ名古屋でも、いいところと悪いところがある。
ビルの数が少なくなってきた。そして朝が来た―
時間を確認すると、朝7時。ぼんやりとした空はいつの間にか明るくなっていた。
交差点を左折すると、いよいよビルが無くなり、市街地を脱出。信号の代わりに増えたのは、同じデザインの自動車。
愛知県豊田市。「トヨタ自動車」お膝元のこの町を、僕は初めて訪れた。時々、工場らしき建物が見える。「豊田市はトヨタの車しかない」そういう都市伝説をどこかで聞いたことがあったが、それは嘘じゃなく、僕の脇をすり抜けていく車はトヨタか、その関連企業の車―ダイハツや日野、だったりする。
僕はそんな企業城下街のようなところに住んでいたわけでもないから、なにか他の国に来たみたいなものだ。
工場の入り口周辺には、まるで街路樹のように、緑色の帽子を被った工場員たちが立っている。何をしているのだろうと一瞬考えるもなく、一昨日に似た光景を見ていたことを思い出した。
CSR活動の一環だろうか、交通安全運動は本当にしっかりとやっていた。トヨタの工場前だけでなく、交差点の至る所に、同じような緑の服を着た男女がきちっと見ていることからもわかる。正門前の人たちは皆、「通勤、通学の皆様…」と。何か標語を唱和していた。そこで、もうひとつ大事なことに気がついた。
「今日平日じゃん!」
もう月曜日に変わってしまったのか。時間は濃密に感じ、いろいろなことがあったことを思い出すけれど、そんな気持ちとうらはらにもう二日間も経ってしまったのか。なんて考えている自分がいる。何か不思議な気持ち。
このころから、自転車に乗ることが楽しくてしょうがなかった。車社会の街でも自転車が生きていけるから?それとも、ペースがいいから?今日が月曜日なのに僕は関係なしに走っているから?たぶん、全部かもしれない。
通勤ラッシュの影響で、車社会のこの街の道路にも渋滞ができていた。その脇はとても広いスペースができていて、一気にパス。「皆が通勤している間も、僕は走っているんだ!」なんて愚かな気持ち。でも、それも優越感。笑顔になっている自分がいた。まだ、走っているライダーは見えていない。
となり町の岡崎には気がついたら入っていて、通学する高校生の集団を尻目に僕はただ東へと進んでいた。幹線道路を走り、ちょっとした丘を幾つか越えていくと、高速道路が見え、その下をくぐり抜けた。
すると、前方に女性ライダーの姿が見えた。ピンクと白のウェアに、白い自転車。僕はその姿に見覚えがある。だけれども、なんでここにいるんだろう?その姿が本当か確かめるために、ダンシングをして、ゴールスプリントで差すかのように僕は脇に入り、横を見た。
やっぱり、間違いじゃなかった。けーこさんだった。
「え!? 今日も走っているんですか!?」と確認を取ると、
「そうだよ~ 昨日は平針の健康ランドに泊まろうと思っていたんだけれど、閉まっていたから別のところに泊まってたの」なんて言ってて、DNFしている人にはまるで見えない。元気だった。
「このままゴールまで走るんですか?」なんて冗談とも本気ともつかないことを聞いてみると、予想通りの答えが帰ってきた。「うん!」
インターを抜けると、さっきまでの工場の街はどこにあったのだろうと思うほど、何もない山沿いの道だった。
再び田んぼの風景に戻る。川を越え、ちょっと登ると通過チェックポイントのコンビニが見えた。ここは制限時間が設定されていない。
通過チェック 670kmには、8:40に到着。コンビニの軒下には、またこれも、どこかで見たことのある姿が。「おつかれ!」と軽やかな声で、初日のコンビニで一緒になったサカイさんだということがわかった。あともうひとりは、名古屋スタッフのいずみさんかな?つかの間のひとときだ。
「よくここまで走ってるねえ~」と褒められ、ちょっと嬉しい。サカイさんはどうやら2日目あたりでリタイヤをしてしまったようだった。ここから、リュウさんたちを待つのだという。
そんなサカイさん達に、現在の状況を話す。「PC4までここから107km。残り5時間40分を毎時19キロで走らないと間に合わなくて。」
そう伝えると、サカイさんとイズミさんはPC間のコースプロフィールを見せて、僕にこう言った。
「ここから先は国道150号だから、信号に引っかかることもあまりないし、たぶん間に合うよ!東海道は追い風気味だし」諦めかけていた闘志にもう一度火を灯す。「ありがとうございます、ここまで来たんだからなんとかしてみます!」と僕は宣言をした。
眠くなりそうなくらい、気持ちがいい。
小気味よい下りと登りを繰り返し、「岡崎ホタルの学校」と書かれた標識が差す道を進んでいく。あたりはもう田舎道。里山みたいなところの間を通り抜けていく。途中で長距離運転をしていたトラックが止まっていた。*6
ここから小さい峠を越えて、再び市街地へと合流する。
まだ峠に入る前の小さな坂道でも、斜度はぜんぜんきつくないのに、脚が回転しない。疲労を感じる。
ちょっとした森を抜けると、一面に広がる畑とその中央にぽつんとある白い建物。
「ホタルの学校」と、おそらく小学校の名前があっただろうパネルに堂々と書いてあった。どうやら去年、廃校になってしまったのだとか。そりゃあそうだろう、周り家が3軒ほどしかないのだから。
里山だ。ほんとうにただ田んぼと畑の世界。このあたりはまだ、セミが鳴いていた。
峠に差し掛かる。広告も電灯もなにもない。息が荒れる。
頂上手前に差し掛かると、それまで10mくらい幅の遭った道が一気に狭くなり、緑のトンネルが現れた。心が洗われる。綺麗な景色は、一瞬で通り抜ける。
上を見上げると、長く伸びた木々が天へと一直線。こんなところを走れるなんて、贅沢だ!
名もなき峠をパスし、集落へと降りていく。
前方に、道に迷っているライダーが一人。ちょっと声をかけて会話をする。8時スタートの方だった。赤い自転車がやたら似合うひとだった。協力して、一緒に街へと下った。僕のほうがペースが速いみたいで、「また次のPCで!」と声をかけて別れた。
姫街道が見えて、左折する。再び交通量の多い道に合流した。
確かに姫街道も信号は多い。だけれども、それほどストレスにはならなかった。
豊川の中央市街も、よくある地方都市みたいなところ。サイゼリヤがあって、ガストがあって、時々ゲオがある。嬉しいのは、片道2車線だということ。さすが車社会。モーターリゼーションバンザイ。
JR飯田線の踏切を渡り、この街の由来であろう豊川沿いを走る。僕は景色を楽しむ余裕なんてどこにもなく、ただ流れていく時間とにらめっこをして、随時頭の中で計算をしていた。そのあたりで”点A”に追いつくのか。この一時間で、8km差を詰めたことはわかる。足切り40分前の場所で追いつく計算ができた。このままだったら。
もちろんそんな順調に行くわけもなく、ミスコース。しかも2kmほど。急いでミスし始めたところから復帰するも、さっきまで稼いでいる時間がムダになってしまった。
手すりが錆びついた鉄橋を越えて、愛知県の東端へと再び向かう。
豊橋市に入る。どうやらこの街では、路面電車が活躍しているようだった。
生まれ育った街に路面電車がないからちょっとワクワクする。電車のデザインも古いやつから新しいやつまで、様々なタイプが走っている。道路の真ん中を堂々と列車が通過していくのは、面白い。
「コーヘー!」
声が聞こえた。
幻聴か、それとも車の音なのだろうか?
「コーヘー!!!」
ようやく誰かわかった。すーさんだ。
「コーヘー!がんばれー!」
「あざす!!」
僕は止まることができなかったので、それしか言えなかった。
後で知った話だが、すーさんはこのあたりにある実家を訪れていたようだった。
ブルベ中に実家を訪れること、それはロードレースで自分の生まれ育った街を凱旋するような感覚に近いのかもしれない。
風は西から。よし、行ける!という確信を持てた。時速33kmぐらいでだだっ広い道をひたすらに走る。
今、走っている僕に見えるもの、それはビニールハウスだったり雑草の生えまくった田んぼだったりする。信号はめっきり減った。「静岡県」の標識を横目に、ここから平地ボーナス区間のスタートだ。
自転車と僕を邪魔するものがない。時折見える信号は全て青になり、自転車と身体が一体になったような感覚。それにしても、ここまで700km走っていて身体に痛みを感じない。これまでだったら、ここで限界が来ていてリタイヤをしていたのだろう。これまでの準備は、嘘をつかない。前へ、前へ。
だれけども、暑さの対策は想定していなかった。思ったよりも気温が高い。照りつける太陽が容赦なく僕を焦がしていく。イライラするほど暑い。感情が高ぶっていた。些細なことで、喜怒哀楽が激しくなる。
変わらない景色に再びイライラしている。投げやりになりたい。まったく、どうしようもない気持ち。
そんな感情を変えたのは、浜松市にたどりついた時。右に見える青い海。浮かぶ鳥居に見覚えがあった。
浜名湖、弁天島だ。2年前に電車で見た覚えがある景色。2回めの景色は、自転車から。自分が今いる場所が明確になったことで気持ちに落ち着きが生まれた。
それでも、相変わらず僕は、時間を気にしている。なにもかも流れていく景色。僕は前しか見ていない。スピードメーターを見て、前方に信号があるのかないのか確認を繰り返す。走行風と追い風を利用して、ひたすらに前の”点A”を追いかける。僕はレーサーにでもなったような気分で、逃げ切りを図ろうとしている”点A”を追いかけている。信号が赤になるたび、現実へ引き戻されるけれど、信号が青になれば再び追いかけっこは始まる。交通ルールはもちろん守って。
点Aまで20㎞の差まで追いついた。おおよそ1時間ほどの差。死んでも追い抜いてやる。なんて。PCまであと30km。
自分との対話はつらい。間に合うのか間に合わないのかもわからない。いいかげんにしてくれ。自分だけしか周りにいない。静岡県は広い。それだけだ。
写真を撮る暇なんてどこにもない。どうにかなりそうだった。ついに信号も建物もなくなり、登っているのか下っているのかよくわからない。似たような看板が連続して、幻覚でも見ているようだった。
暑さと空腹からエネルギーが切れて、ふらふらしてきた。
「どこかに自動販売機はないか…。」朦朧とした意識の中で走っていると、目の前にダイドーの自販機があるのを見つけた。炭酸ゼリー飲料を飲んだときの美味しさは今でも忘れない。
PC4(第四チェックポイント)のコンビニが見えた。ランドヌールが大勢いる。
「まだ間に合うぞ!!」と誰かが言っているのが聞こえた。シンさんの声だと思ったけれど、誰だったのだろう。昨日と同じように、再び店内に駆け込む。
大丈夫だろう。とりあえずおにぎりも掴んでレジへむかった。打刻されている数字を見てホッとした。クローズ(足切り)7分前。またギリギリ隊だ。
それにしても、店の正面で休むにも太陽の直射日光が眩しい。店の裏が広そうなのでそちらへ向かってみた。見ると、十数人くらいのライダーが横にくたばっている。
うなだれている人たち。ここは戦場なのか・・・。
僕はその横に座り込み、ご飯を食べることにした。食べていたけれど、僕も次第にうつろうつろになっている。なにやら目眩もしてきて、身体が熱を帯びている。熱中症に陥っているかもしれない。食べ終えて力を抜いた瞬間、パタリと横に倒れこんだ。
もう精神も限界に近づいているのかもしれない。地面が冷えていて気持ちいい・・・。
…1時間ほどして目が覚めただろうか。
身体はさっきよりも熱を帯びていない。熱中症の症状だろうか、ややだるさが残る。
筋肉は、ほとんど回復していない。そろそろリカバリーできないところまできたということだろう。
今まで、こんな距離を連続して走ったことがないから、わからないことばかりだ。
よれよれの身体を地面から引き剥がし、表へ出ると、池田さんとすーさんの姿が。どうやら、ふたりとも僕と同じようにクローズ数分前にたどり着いたみたいだった。「もうだめだって思ってたら牽いてくれた方がいたんですよ。R東京のジャージを着た方だったかな?」と僕に話しかけた。イケダさんも、あのあと漫画喫茶で寝過ごしてしまったのだという。そしてすーさんときちんと話すのは、初日のスタート前に会った時以来だ。「コーヘー君、元気してた?」と疲れ知らずの顔をして、すーさんは僕に声をかけた。
「いつごろ再スタートしますか?僕も一緒に走りたいです」と言うと、
「他にも女性2人と一緒に行くけど、大丈夫?」とすーさんは言った。
「それでもいいです」と僕は言い、このトレインに乗ることにした。
イケダさんも同じくトレインに乗ることになった。
PC到着から1時間半は経っただろうか。こうやって寝ている間にも、”点A”は相変わらず時速12km/hで、走っている。18㎞前を走っているのだ。
これから再び追いかけっこが始まるのだと思うと、ちょっとわくわくする。追われる方より、追う方が僕は楽しいのだ。今度は静岡県の東端、函南を目指して走る。
【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】 その6 DAY2前編 伊勢→愛知
伊勢の街を抜け出し、北へ北へとペダルを回す。
宮川を越えたあたりで、小学校の次の交差点を曲るはずが、それに気づかず僕はミスコースをした。
「おーい、そっちじゃないよー!」
後ろから声がして振り向くと、#nikonikoBのがんちょさんだということに気がついた。おかげで復帰することができた。先ほどフィリップさんががんちょさんに僕の状況を話してくれたらしい。
「牽いていただいて助かります」「いやいや、そんな大げさなことないよ。それより、今は追い風になっているみたいだね。これ、神風かもね!」
太陽がついに沈み、2日目の夜を迎えた。昨日の夜より気楽だ。フロントライトを付けようとしたら、光量が弱い。電池を買わないとだめだということだ。これでは夜中は走れそうにないので、ここまで牽いてくれたがんちょさんにお礼をしてコンビニへと向かった。
電車で一緒になったOさんがぐったりとしている。眠いのだという。エールを送り、僕は先を急ぐ。
そして、旧伊勢街道を走っていた時、アクシデントは起きた。
小さな路地にさしかかり、ゆるやかに左折しようとした。その時、進路上に段差。時速10kmぐらいまで落として、ゆるやかに小さく飛んで転んだ。*1
ぐは、痛え。
自分のケガより、「自転車は大丈夫だろうか?」と考えてしまうのは自転車乗りの習性なのかもしれない。幸い僕自身ケガはないので、すぐさま時点スアの下へ。ホイールがフレたとか、パンクが発生していないだろうかとチェックをした。幸い、特にそういうことはないみたいだった。
だけれども、STIの左シフトワイヤーが完全に内側に傾いて曲がってしまった。ディレイラーとワイヤー自体には特に問題はないようだ。すぐさま、力を入れて元の形に戻ろうとするけれど、なかなか戻らない。
そうしていると、後ろから「大丈夫?」と声をかけられた。穏やかなその声は、たったさっきコンビニであったOさんだった。どうやら転ぶ前から僕の動きを見ていたようで、焦りきっている僕にOさんはこう言った。*2
「焦ってばかりいるとゴールに辿り着く前に命を落としかねないよ!さっきから君のペースを見ているけれど、きちんと走れば大丈夫!一旦深呼吸していこう。」
僕はハッとなった。確かに焦っても、信号一つ止まれゆっくりでも同じだ。
深呼吸をして、もう一度ペダルを回す。ようやく冷静になることができて、こころにちょっとだけ余裕が生まれた。
その方と、ちょっとだけ一緒に走った。名前を知りたい。
先ほどのアクシデントで冷静になれた。「家に帰るまでがロングライド」だ。
「もう間に合わなくてもいいや、とにかく走ろう…」
信号待ちをしていると、後ろから眩しい光。後ろを振り返ると、何台ものの自転車の隊列だ。
奇跡なのかもしれない。
Oさんが、先頭を引っ張っている男性に何か話している。僕はその男性に見覚えがあった。確か、5月一緒に走ったことがあるけど、誰だろう。そう考えていると、その男性が通りすぎていく時、僕にこういった。
「おう、若いのだったか!時間やばいんだって?いいよー。ついてきなー」
僕はかつてリュウさんのトレインに着いていこうとして、最終的にちぎれてしまいリタイヤしてしまったことがあった。それが、5月の山陰北陸1000だった。
「とにかくこのトレインに乗らないといけない。」
駆け込み乗車をするように、僕はトレインに合流した。
そしてメンバーをよく見ると、よく知っている顔が。
なんと、イケさんだった。どうやらリュウさん達とばったり会ったらしく、そのまま一緒なのだとか。とにかく、久々の再会だ。
走っていると、改めて感じる。そのペースの速さと、このトレインの凄さが。
信号が青になって、リュウさんを先頭とするトレインはジェットエンジンのように加速していく。僕は前から4人目、つまり4両目を走っている。集団=トレインになる理由はシンプルで、縦一列になると先頭は風よけとなり、後ろを楽にしてくれるのだ。リュウさんはその空気を全身に受け止めて、後方が楽になるようにハイペースで走っている。
リュウさんが先頭を引っ張っている理由として、オダックス埼玉の女性メンバーをフォローしているということもある。できるだけ女性陣の負荷を抑えるため、リュウさんはそれを引き受けている。カッコイイ。全身がしびれるのを感じた。
不思議なことに、このトレインに乗っていると目の前の信号がすべて青になる。30分ほど走って、ようやく信号が赤になり止まった。
一息ついてリュウさんが、「若いの、今日はついてきてるじゃないか」と言う。僕は息を荒らげていて、笑うくらいしか返事ができなかった。
スピードメーターを見ると、常時33km/hぐらいを前後している。脚に乳酸がたまり、体の自由が少しづつ効かなくなる。心臓のバクバクという音がやたら響き、キューシートの上に汗が滴る。時折めまいと吐き気を催して、視界がゆがむ。それでも、それでもこのトレインから脱落したらもう終わりなんだということを自分に言い聞かせる。諦めたら、前に進めない。ここで終わりなんて嫌だ!
僕は意地でも超えたかった。できるだけ前へ。スタート前に走り切ると決めたのだから。
そんなA埼玉トレインは、ささやかに街灯が光る静かな町を快速で通過していった。
田舎道をしばらく走り、交通量の多い三重バイパスに再びさしかかり、再び高速道路のような道へ戻る。途中、左手にミニストップが見えた。リュウさんたちは休憩をとると言い、店内へ。僕もハンガーノック気味で辛かったので自分も休憩に入ることにした。
イートインのスペースに10分ほど座る。まだ息が荒れていて、ウエッと胃からこみ上げてくるのをこらえて、エネルギー摂取だ。
座り込んでいたいけど、やっぱり急がないといけない。僕はリュウさんたちより先に出発することにした。「気をつけて!」というリュウさんの言葉が背中を押してくれる。
なにもない、畑だけが広がる三重の田舎町。そのど真ん中に作られた、真新しい幹線道路。照らしてくれるのは、自転車ライトと街灯と、車のライトだけ。黒と赤と黄色の世界が覆い尽くしている。
ふたたび、鈴鹿サーキットまでやってきた。
ほんとに午前中に通ったのか?そう感じるくらい、濃密な時間が流れていた。エンジンの音ひとつもしない静かな場所だった。
えっちらおっちら登っていると、埼玉女性トレインの姿が。
牽いて走るミドリさんをパスするとき、「みんな早すぎるよ~!笑」と言われてしまった。*5
鈴鹿市街を抜けるとき、久しぶりにチームメートのけーこさんに会った。
なんでここにいるのだろう?聞くと、昨日のシークレットPCでリタイヤしたのだという。が、走りたいので輪行をして伊勢を拝み、復帰して走っているとのこと。ただただビックリだ!自転車の楽しみ方はブルベだけじゃないっていることを改めて実感する。
僕の事情を説明すると、けーこさんは「前に速い人がいるから、その人に引っ張ってもらうように言うよ!」と助けてくれた。ありがたい。支えられている。*6
けーこさんについていくと、前方にAJ群馬ジャージの方が。ジャージには「AJ群馬」と書いてあって、小さくぐんまちゃんの絵が。火山峠で一緒に走ったあの方だ。その方に、「大丈夫だ、きちんと走ろうね!」と言われ、ちょっとホッとした。一緒に目指すことにした。
けーこさんとはここで別れ、ただ先へと急ぐ。
▼ 迷子の兵隊
川を渡り、朝走った道をたどる。たったそれだけのことなのに、眠気が襲ってきてミスコースをしてしまう。自分に苛ついていた。
あいにく、ぐんまちゃんジャージの方もGPSを持っていないため、2人でキューシートを照らし右往左往、アタフタしながら少しづつ攻略していく。
それでもミスコースは続き、クローズの時間は着々と迫っていた。
うまくいかなくて、更にイライラしていた。一度とりもどした時間が、再び借金になっていく。「どうするんすか~!」なんて口走っていた。今思うと申し訳ない。*7
▼「乗るぞ!!」
そうこう悪戦苦闘して、ようやく夜明け前に走ったみちまで辿り着いた。
残り1時間の時点で19km。これが平坦なら、次のPCまでなんとか間にあうが、このあたりから登りが始まる。一人では絶対無理だと悟った。
マイナス思考に陥り、「もうだめだ」とポツリと呟いていた。
僕はなんとも言えない気持ちになっていた。申し訳ない。
登りは続き、残り時間は40分。残り11km。クローズタイムより+6分くらいのギャップ。ここから一番キツイのに・・・。諦めそうな気持ち。
そうやって、信号にまたひっかかる。星川の交差点は長い。
速く青になれ、そう思っていると、僕らの後ろから声。そしてライト。先程より人が多い。リュウさんトレインが追い付いてきた。ふたりにとって、救世主がやってきた。
「乗るぞ!」とぐんまちゃんジャージの方に言われ、すかさず乗った。
先ほどより人数が増えている。12~14台の自転車が、ライトで自分の居場所を主張している。さながらロードレースくらいの数。PIPIさんの姿も見えた。*8
登りがキツイ。歯を食いしばって登る。「ここで諦めたら終わり。そんなのいやだ!」必死でしがみついた。
登りの終わりが見える。30分近くは登っただろうか。2灯のライトと反射ベストたちが、真っ暗なバイパスをホタルのように駆け抜けていく。
夜明け前に通った県境にかかる橋に差し掛かり、18時間ぶりに愛知県。見覚えのある景色へ。やけくそで、最後は全力のロングアタック。
PC3が見えた。昨日泊まった満喫隣のコンビニ。クローズは23:21。急いで店内に駆け込み、目の前にあったブラックサンダーを取り、レジへ駆け込む。並んでいて、焦る。「お待ちのお客様どうぞー」と店員さんが声をかけ、いよいよ僕の番。
会計を済まし、レシートをおそるおそる見る。
よし!!!間に合った。クローズ7分前、首の皮1枚つなぐことができた。
どこに泊まろうか。30km先に健康ランドがあるみたいだけれどもう身体が動かない。オールアウト状態。イケさんと話しているうちに「ここで泊まりますか?」という流れになり、目の前にあるこの建物に。*9
昨日と同じ宿、同じ天井。
24:00ちょうどに満喫へ入り、昨日と同じリクライニングシート席を確保する。外は寒く体が冷えてしまったので飲み放題のドリンクサービスでホットココアを2杯すすってから一息つく。
ここからチェックポイントの制限時間が緩和されて、15km/hから12km/hに換算できる。というのも、ここは600km地点。とりあえず、3時間寝よう。隣の客はなにか音を立てている。気にしない。外的要因も、このシートに座った時からシャットアウトされた。
明日のことを考えてるうちにうつらうつらとしてきた。やがて騒がしい外の声が聞こえなくなり、つかの間の夢を見た。
つづく。