さわらいど

さわらいど

ブルベ6年目の大学生→社会人。主に自転車ロングライドが中心。山形転勤おじさん。酒田の地から。

長野マラソン2016参戦記

先週の日曜日、私的2016年春最大のイベントである長野マラソンを走ってきました。

3月に予定していた春のランニングフェスティバルin松本を引っ越しによりDNSで、その直後に入社式があり、研修があり、再び引っ越しがあり、そして配属先に勤め始めるなどと、ランのことなどすっかり手付かずな状態で、ことイベントがやってきました。

 

思えば、エントリーした昨年の11月なんて学生真っ只中、社会人になって長野マラソンに出る余裕なんてあるのだろうか、いや、ここはいったいどうしたらいいのか・・・うーむー。エントリーしよう!とポチー。

RUNNETのホームページは午前10時30分からずっとパンク状態でアクセスできない状態。ようやく動き出しか!?と思ったら、「ただいまサイトが大変混み合っています。30秒毎に自動更新されるので、しばらくお待ち下さい」とのメッセージ・・・。

30秒で更新。「ただいまサイトが・・・」

30秒で更新。「ただいまサイトが・・・」

30秒で更新。「ただいま・・・・」

うわーーーーーー!!全然つながらない。自宅からちょっと離れたところにいるので、PCからのアクセスは諦め、スマートフォンから何度も何度も頑張る。セブン-イレブンWi-Fiも駆使して、ひとしずくのワンチャンスをただただ狙う。

「確か長野マラソンは2時間でエントリーが締め切りだよな…焦ることはない。ない」

そうして待つこと15分。普段の更新とは妙にページの開き方が違う…

パッ!「エントリーする種目を選んでください。」

きたー!きたー!ついにエントリーできる!よし!と意気込んだ私は、フルマラソンの欄を押し、エントリーが無事済んだことを戻ってはスクリーンショットに収める、という行為を何度も繰り返し、無事長野マラソンのエントリーを済ますことができた。

 

エントリーをすましたことで安堵感を手に入れた私は、再び堕落した生活の予備軍的生活を送っており、卒業論文を書こうと意気込んで再び走ることからすこし足を遠ざけていた。もちろん、全く走らなかったどころではなく、なんと2月には人生初のフルマラソンとして、勝田マラソンを走ってきたのだ。走り終わった時にやってくる多幸感と疲労感。私は最初、その疲労感だけを抜き取ろうと考えて走るのをやめていたのだが、気がついたら多幸感すら忘れ、走ろうとするモチベーションも浮かばないまま、生活を送っていた。

そうして時は流れ、今年の4月。入社式を終えて、研修からの配属でOJT。どこにも走る余裕を心に持たないまま、そろそろ走らないといけないなという気持ちと、再び走り始めた時にあまりにも身体の動かなさを感じる自分が怖くて、なかなか最初の一歩を踏み出せないで、いよいよ長野マラソンまで一週間を切った。

 


研修と勤務の疲れは、精神的なもの。対する身体は怠けきっており、動かないストレスとデスクワークの連続によって、節々が張っていた。もう限界だ。そう思って、事務所務め初日の夜に外へ出た。同僚には、新しくやってきたこの街の周辺に何があるか知りたい、という適当な理由を付けて外に出た。

久しぶりに走ると、身体がよく動くのか動かないのか、それすらよくわからない。1kmほど走って、思いっきり足が上がらなくて張り始めて息が上がった辺りで、「ああ、体力落ちたな」と実感できた。結局、その日は3kmほど走って満身創痍になって、シャワーを浴びて間もなく寝た。

その翌々日くらいに、不安なのでもう一度外を走った。今度は7kmほど、まあ、明日も仕事があるなら上出来か、くらいで切り上げる。

僕が長野マラソンの一ヶ月前に走ったのは、たったこの2回だけだ。それ以外は、ほど運動らしい運動はしていない。厳密に言えば、27日前にサイクリングを40kmほどしたが、四捨五入したら30日、一ヶ月といっていいだろう。

 

 そんなくらいしか走っていないものだから、私は最初から完走することをほぼ、諦めていた。ここは、走りたかったランナーの方には失礼かもしれないが、エントリーしてしまえば、あとは権利のある私が決定することで、落ち度はない。

諦めていたのだが、だからと言ってやる気がないわけではない。ぶっつけ本番、どこまでいけるのか試すことができる機会といってもいいのだから。諦めた、もうだめかもなあなんていいつつ、準備は全く怠ることもなく、ウェアは何を着ようとか、どの組み合わせにしたらダメージが少ないだろうかとか、楽に前に進めるだろうかとか、内心にかかえているスタンスとは別に、外に対するスタンスは完走するつもりの装備・発言とまったく変わっていなかった。

仕事のことを考えてしまったことも、完走を諦めていた理由のひとつだ。典型的な日本的企業に勤め始めた私だが、おそらく入社してまもなくにヘロヘロの状態で会社にやってきて、まったく使い物にならなかったら、それは典型的日本企業だけのみならず、他の国の勤め先でも、「いいことではない」と思われるのだろう。仕事の疲れをプライベートに持ち込まず、その逆も然り、だ。私の走行距離と過去の疲労度から換算して、今度の長野マラソンを全力で、死にものぐるいで走ったら、おそらく一週間は使い物にならないだろう。と判断し、そう至った。

 

諦めた気持ちのくせに、土曜日の午後に家を出て新幹線で大宮から長野駅までのチケットを購入し、そのまま前日受付の会場に行くのだから、変なところで諦めの癖が悪い。

土曜日:エントリー手続き。

長野駅に到着したのは、大宮駅から発車して55分後のことだった。それにしても、速い。私の35km少々に満たない通勤時間よりも、180km離れたところに向うほうが30分ほど速く、驚いた。時折地方都市の駅前だったり、ローカル線の線路で見かける「〇〇市に新幹線駅開通を!」という途方無理のある看板を見ると馬鹿にしてたほうなのだけれども、今では通勤路までに新幹線を開通して欲しいと心の底から思ってしまうので、なんとなく、その方たちの気持ちもわかってしまう気がした。

 

先週転勤で引っ越したばかりなのに、その週の週末にまた実家に戻るのもちょっと滑稽かと躊躇っていたのだが、結局自分から帰ることを報告し、長野駅からローカル線に乗り換え、実家に戻ってきた。待っていた家族との夕飯の時間がありがたい。一人暮らしだと、食事もままならず、炊飯器のコンセントすら指していなかった状態だったから。食事中、祖父からマラソンと仕事に対して激励を飛ばされた。ありがたい。

ごちそうさまと手を合わせ、明日にむけての最終確認をしていると、母が一言。

「やっぱり天気良くないね」。大宮にいる時点から既にこのことは聞いていたのだが、翌日の天気は雨のち晴れ。レーススタートから終盤あたりまでの時間帯、つまり午前中の降水確率はまさかの80%。しかも風も凄いという話を聞いていたこともあり、私はある意味”春めいた”大会になる、なんて陽気な気分でいた。

天気予報を確認し、DNFポイントとなる回収地点の場所もなんとなく把握し、翌日は何があっても問題がないようにする準備のほうも整えた。

布団に入る前に明日一緒に走ることができるように連絡を取り、集合時間を決め、それから12時前に就寝。


今回は、同行者ひとりと一緒に走る。彼女とは以前からハーフマラソンを走っていたりといろいろ繋がりがあるのだが、この大会を走ろうと私に話してくれた提案人でもある。この誘いがなければ、長野マラソンを走ることもなく、適当に週末を不意にしながら過ごしていたはずだ。


 

日曜日:移動、そして出発

 迎えた日曜日の朝。眠気眼をこすり、車に乗って駅まで行く。無事合流し、会場最寄駅まで電車に揺られる。明らかにランナー的風貌の人しか、この電車には乗っていない。

ランナーでひしめく、しなの鉄道北しなの線の北長野駅を下車し、徒歩でスタート地点の東和田運動公園へ。中学生の時に陸上の大会でここにはかなりの頻度で足を運んだけれども、今回はトラックの中を走るのではなく、その脇を通る県道から、この42.195kmを走る。


着替えをするための待ち合わせ時間を決めて、一旦別れた。服を着替える前に、私は外で返信のためにスマホをいじっていると、その画面に水滴が落ちてきた。雨?きたか。空は起きた時とは異なり、やや重そうな色をした雲が漂うばかりだ。いつ降り始めてもおかしくない。天気予報だと朝から雨だと予報していたのに降っていないから大丈夫、だと思っていたらこれか、と猫の目天気に翻弄されそうだ。これ以上濡れたくなかったので、更衣室に入った。

更衣室、といっても中に入ってみるとそれは体育館にシートが引かれている簡易的なやつで、どこにも仕切りはない。まあ男しかいないわけだから、全然問題ない。のんびりストレッチし、ややトイレで10分ほど並んで待つなどして時間は流れ、荷物を預けて集合場所で合流。さて、スタート位置へと移動しよう。

 

選手のスタート位置は、それぞれのゼッケンに書かれているアルファベット1文字の降順に並んでいくシステムだ。私たちのグループは、L。ほぼ最後尾といってもいいだろう。その脇で簡単にストレッチしていると、応援しに来た方が私達に声をかけてくれた。ウォーミングアップをしながら、ちょっとした雑談をする。その方とは今後会おうとしてあうことはない一期一会であるけれど、そうやってわざわざ足を運んできているというから、市民マラソンのパワーは凄い。

 

あと10分でスタートとアナウンスされ、私達も所定の位置につく。ひしめきあう参加者。勝田マラソンの時と比べると、仮装とか、サブカル的格好をした参加者はあまりいない。痛ジャージの姿ほぼなく、視認できたのは「蒼き鋼のアルペジオ」のキリクマジャージくらいだろうか?*1。あとは、私の前方にいた「変なおじさん」のコスプレくらい。どちらかというと、みんな真面目な格好をしていた。

そんな私が着ているのは、今回も例に漏れず亀太郎ジャージ。ピンクと白を基調にしたジャージは、遠くからの判別性も高いうえにおしゃれだ。更にいえば、マラソンとかランニングの際に自転車ジャージはモノが多数背中のバックポケットに収容できるからやはり使い勝手がいい。今回は背中に幾つも補給食などを仕入れた。あと、右ポケットにはコンビニで購入したレインコートを入れておいた。これで雨天時の太陽をそれなりにできる、と算段したからだ。

 

さて、準備は揃った。とりあえず帽子も持ってきたので、雨天時のトラブルはなんとかできる範疇まで整えた。あとは、スタートを待つだけ。

「ここまで全然走っていないから、けっこう不安なんだよね。」という言葉を聞いて、今回はサポートに徹することを決めた。ちなみに、昨年の長野マラソンが人生初のフルマラソンだが、完走できているらしいので、今回の私は発射台として走ってみよう。それぐらいの発想だったことは、間違いない。

 

陽気なMCがNiceなコールでこのスタート地点を盛り上げようとしている。どうやら、高橋尚子が来ているみたいだ。それに対するランナーのリアクションも、まちまちだったり統一感のある返事をしたりと面白い。さすがにスタート1分前になると、シリアスなムードが漂うようになってきた。

ピストルの音。私たちは後方なので、前列が動き出してから出発する。

 

スタート、嵐の前の静けさ

通勤先で信号待ちをしている車に乗っている時の気持ちとは違う、高揚感の中に不安が混ざり合うことによって生み出される緊張感。一度は私達の前が勢い良く動き出すものだから、ついつられて走ってしまったが、前がすぐ止まってしまったために私も急停止だ。

そんなやりとりを2回ぐらいしたあたりで、止まることがなく、スムーズに流れが動き出した。1万人の大集団は上空から見れば大きなスイミーのように見えるんだろう、そんなことを、今思った。

スタートラインはどこにあるんだろう?と地面を眺めていたらICタグが通過したことを示す音が鳴っている場所で分かった。その音も間もなく音楽にかき消された。このマラソンのために地元のバンドマンが曲を書き下ろしたらしいが、もうメロディーは覚えていない。

 

スタート脇の沿道は応援の人ばかりだ。長野マラソンでよく目に入っていたのは、自分の家族だったり、会社の同僚だったりを応援する姿だ。その人のナンバーカードやメッセージ、イラストだったりが書かれている画用紙や横断幕を持っている。このマラソンは、長野県で走るランナーにとって、いわばツール・ド・フランスのような場所なのだろう。地元を、さらに言えば自分の家の前を走る参加者だっているのだろうし、それが一万人規模の大会で行われていると思えばこれまた凄いことなのだろう。ハイタッチをしてほしい人が結構いるみたいで、手を差し出していたりするのですぐ判る。ハイタッチすればなぜか不思議と活力がほどほどながらも生成されるのが人間の不思議なところで、序盤はやたら自分からハイタッチしに沿道を走っていたのを覚えている。

 

 私たちは、タッグを組んで走っていた。これまでのマラソンなら途中で別ペースで走ることが当然のことだったが、まあ、いろいろ理由ってものがある。私がペースメイクを担当していたが、いかんせんコース幅に対する人の多さから渋滞が起きていた。前の人を抜かすことができず、少々もどかしい思いをする。サイクルロードレースでいえば、プロトンの後方から上がることができないのと同じで、弱小の脚だとそれを振り切ることもできないから結局とどまってしまうそれに似ている。

といっても、ペースは悪いわけではない。6:10あたりのゆるいペースで推移して、ハーフの距離あたりで40分くらい貯金を稼ぎ、後半を苦しみすぎずに走るという計画で進めていた。「後半はどうしてもへたるから、前半頑張らないといけない」というのも本当なのだけれども、持たない気がした。

 

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2km~:「成るように成るよ」と言う

長野市役所の通りを走っていても、ランナーで道路が埋め尽くされている。アンダーパスを通過すると、交通規制がかかっていることを電光掲示板が示していた。その脇には、「関門まであと500m」の文字だ。ほどなく進むと、「第一関門」と書いてある場所を通過した。

 今更ながら、長野マラソンには5時間という制限時間が課されており、その道程の途中には幾つも関門が設定されている。その関門に引っかかれば、タイムオーバーということでレースから脱落し、回収車に乗るシステムだ。

5.0kmの第一関門を通過したところで、持っているマージンは10分程度。スタート前の渋滞も計算に含めてみると、決して悪いペースではない。むしろ体力を使い果たすことないいいペースだ。この辺りで長野大通りにさしかかり、右手にはグランドシネマズのような映画館や、左手にはイトーヨーカドーがひょっこり顔をだす。給水所の近くには関門があり、関門の近くには給水所がある。その給水所では大渋滞が発生しており、その脇をするすると走り抜けていく。その先、視界に入ったのはアンパンマンの格好をしたいかついお兄さん。野太い声で「アンパンマンだよ!」と自己紹介をするその風貌は、正直こわい。ハイタッチを求められたのですると、ゴムの匂いがした。あれ、ゴム手袋だったのか!!


 

大通りを左に曲がり、ちょっと長めの登り。コースの最高地点は、中央通りを左折する手前だということを思い出し、これ以上つらい坂はないことがわかり安堵する。坂で同行者がいい感じで走っているとき、正直置いて行かれるのではないかと思っていた。それなりにパワーをためているみたいだ。

中央通りの白く舗装された道のど真ん中を堂々と走れることが、このマラソンのコースで1番ワクワクしたことかもしれない。長野駅へと伸びるこの通りは、登ってきた分の標高をまっすぐに下ることで、一直線にランナーが進んでいること、そしてその良妻おで応援してくれている人が待っている光景を一望できる。応援も熱狂的で、まるでベルギーの石畳を走る、ロンド・ファン・フランデーレンのような感じだ。*2

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「このあたりにチアリーディングをやっている子たちがいるの!」と事前から話を聞いていたのだが、なるほど、何箇所にもいる。ハイタッチをしていると、やはりペースが勝手に上がってしまう。同行者はハイタッチができたみたいで、喜んでいた。回復度合いが私とは違う。

9km~: あがるしかないようだ

末広町の交差点で中央通りとは別れを告げ、旧国道の通りへと走る。先程はアンダーパスだったが、今度はオーバーパス。跨線橋を通過して左折。長野マラソンは長野県というロケーションのイメージの割に、基本的には善光寺平という盆地を走るため、全体的になだらか。どちらかといえば、橋のような人工物以外はアップダウンのほぼない優しいコースとも言えるだろう。そして、私はその人工物が構成する登りに苦しんでいた。でもいけない範囲ではない。あがるしかないようだ。

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あがりきったら、荒木の交差点を左に曲がる。左手に見えるのは、信州大学工学部だ。このあたりになるとコミュニケーションが減り始めた。給水地点で水分を補給する。給水所にあるものは、スポーツドリンクアミノバイタル)と水だ。先ほどから水分補給を断っているけど、脚の攣りとか大丈夫なのだろうか。それとも、走って寧ろ汗をかくことを心配しているのだろうか?いらないという言葉を素直に受け入れ、私は自分の分だけ補給をした。

前日受付をしたビックハットの傍を通り過ぎ、白馬・木崎湖でR18から駅前方面に向うあの交差点を通り過ぎたあたりで、強風が一気に襲いかかってきた。周囲のランナーの帽子が思い切りどこかに吹き飛び、ちょっと混乱するというハプニングが起きた。これからの天気のことを考えると、まるで不安の前触れのようだ。

 

ここから道路が一気に細くなり、片道1車線へと狭まる。とはいえ、ランナーが少しずつ分散してきたので、渋滞で脚を緩めることもなくなった。ちょっとペースを上げる余裕が生まれた。ここまでの推移は悪く無い。むしろ、想定より順調に進んでいるのだ。

このままもしかして、完走してしまうのではないだろうか・・・。そんなことも思っていた。

 

13km~:春の嵐

13km地点、おそらくはサンマリーンの周辺まできた。サンマリーンとはこのあたりのゴミを燃やす焼却施設のことで、かつてはその熱を利用して無料でプールが開放されていた。子どもの時の記憶を片隅に巡らせていたりしていたのだけど。

そろそろ、風の強さを見過ごすことができなくなってきた。びょうびょうと音を立て、少し進むにも影響を受けるほどになった。幸いにも、まだ雨は降っていないからいくらでも進むことができる。横を見たり他のランナーの服装を見たりする余裕も、まだあった。

 

そう思って油断してたら、河川敷沿いへと登るところで、雨がぽつぽつと降ってきた。それだけじゃ許しませんといわんばかりに、散発的だった強風が、常に吹くようになった。向きは、完全にアゲンスト。きっつー。

隣を見ると、レース序盤で見せていた余裕の表情はどこにもなく、息が上がり、あぜいている。私はエシュロン*3よろしくばかりに、その斜め前につく。これが十分な風よけとして機能するかわからないけど、やってみるしかない。

だけどひとりでは効果がないみたいだ。あぜいていた同行者の息遣いが段々荒くなる。ほとんど声を出しているような状態で、他のランナーが私達のほうを気にするように一瞬チラ見するが、全員先に行く。誰もかれも、自分が前に進もうとすることで精一杯みたいだ。

「大丈夫?」「おちついていこう!」と呼びかけても、こちらに返事をする余裕がないみたいだ。ほどなく、第二関門が見えた。貯金は+16分。先ほどより+6分だけ余裕が生まれた。いいじゃないか。後半が楽しくなりそうなタイムだ。彼女は前に進もうとしているから、やめるつもりはないということがわかった。その意志を尊重しよう。

でも、諦めない意志と比例するかのごとく、天候も荒れていった。17km地点、エムウェーブの補給ポイントをぐるっと回ったあたりでその風が紙コップを吹き飛ばすほど強くなり、雹のような雨が全身に刺さって、前方を見て走ることができなくなった。サングラスが欲しい。持ってくれば良かった。

同行者は、補給地点ごとに脚を止めるようになってしまった。これまで一緒に走ってきた中で1番コンディションが悪そうに見えた。頑張る姿勢とは裏腹に、限界というものと対峙しないといけない時間帯に早くもぶち当たってしまった。私はむしろこの雨を楽しんでいた。普段のマラソン大会では経験できない、まるでブルベのような天候。楽しまないと、心が簡単に折れてしまうということもなんとなくわかっていたからか、テンションを上げるしかなかった。

再びエシュロンを形成して我慢大会。でも限界が来た。

「あっ・・・」と言ったその次には、立ち止まっていた。脚を攣ったみたいだ。水分補給は大事。だけどそれ以上にまず走っていない。でもこんなに早い段階で来るとは思っていなかった。私はとりあえず立ち木と同じ役割を果たしていた。

「いける?」

「ごめん、脚攣った。」

「ゆっくりいこう、とりあえず焦らないで。」

そんなやりとりをして、再び走りだす。だけど、もうけっこうキツいのか、再び脚がつって、立ち止まり、歩く。

「腰押してくれない?お願いします」

「わかった」

と、並走して腰を押す。「ありがとう」と返事が帰ってきた。ひたすらに、しんどそうだ。押しながら走るのは簡単じゃない。腰の位置も走りながら把握していくしかない。たぶんこのあたりだな、という位置を押して、前に送り届ける。今日の私は、ランナーでもあり、アシストだ。でも、寧ろ私は望んでやっていた。

20km~:推進力

五輪大橋の登りに差し掛かる。それなりに高さがあるので、風雨にさらされるポイントだと感じた。更にそこまでの登りが攣った脚を苦しめる。「ここは歩いていこう、ここで無理したら余計に攣る」と話す。抜かされても構わない。安全に走り切る。半袖短パンのアメリカ人男性が私達の横を抜いていく。楽しそうに、笑顔で走っている。それぐらいの気持ちで全然いいんだろうな、マラソンなんて、苦しむだけじゃなくて。

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大橋の料金所で、また応援する人たちの姿が。同行者の応援に来てくれた人がいたらしく、そこから暫くは、息を吹き返したかのように進むことができた。伊勢1000や目指せ日本海の佐久平200でも感じたけど、待ってくれる人がいれば、頑張れる。

結局、走ろうと思えば人間は走れる。だけどなんのためにかわからないくらい、長い距離の場合、疑念を持ちながら走ってしまう。でもその疑念を払拭させることができるのは、同じひとだ。待っている人がいれば、そこまで進むことができる。

その推進力は時として、だれかを動かすための原動力になり、伝播していくと思う。

今回、その推進力に引っ張られたのは私だった。正直、私はここで諦めようと思っていた。けれども彼女が走りたい意志を、言葉を介さなくても私に発信している。そのつもりがなかったとしても、それを走りで体現している。結果、私はそれに揺さぶられた。

「次の関門まで走ろう!」そう言って、私は励ますことにした。

「はい」と返事が帰ってくれば、それで上出来だ。

大塚の交差点が折り返し地点となっており、そこを折り返し、反対側を走るランナーを見る。いいかげんへとへとに疲れ果てているはずなのに、私たちより後ろには大勢の人たちが走っている。関門までの制限時間を通告してくれる車の姿も見えた。もう少しで、キャッチアップされるかもしれない運命だということを、ここで悟った。

先ほどから、彼女は脚を引きずるように走っている。コース途中に設置されたランナーのサポートセンターに自ら入り、水とコールドスプレーを求めた。限界に近づいているのがわかる。練習は、最低限やる・やらないの次元では、本当に嘘をつかない。

ホワイトリンク前の関門を通過した。マージンは約6分ほど。

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給水所で、いよいよ私の脚も攣りはじめた。内太腿のあたりだ。といっても、軽微なものなので、スポーツドリンクを摂取したら回復するくらいのものだった。でも普通のペースで走るのは並大抵な感じではもうなくなってきた。

脚攣りの頻度が、先ほどよりも短くなっていることに気付いた。ふらふらになって歩いている。急いで私は置かれているコールドスプレーを取り、冷やす。微塵なことだけれども、先へ、前へ進みたい意志があるのなら、尚更私は手を取り合う。

25km~:総天然色

その後、何度も足攣りをしては走るということを繰り返し、再び千曲川の河川敷へと進んだ。河川敷までの登りは、もう歩いて行こう。登り切ったら、橋までは走ろう。そう伝えて、推進力になるかならないかわからない言葉を伝える。まさにそのあたりで、空が、おもいっきり晴れた。

 

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先ほどまでの風雨はいったいなんだったんだろうか。まるで台風一過後のような情景だ。どんなに頑張っても、自然と付き合いながら走っていることをまざまざと見せつけられたかのようだった。でも、予想より、予報よりも早く、しかもこんなにもいい天気に回復したことが嬉しい。

後ろから、ひとり、またひとりと抜かれていく。ある集団が私たちを抜きにかかる。なぜだか、そこだけが大集団でひとりのランナーを中心に囲んでいるではないか。どういうことなのだろう、と覗いてみると、ゼッケンには、「5時間 ペースメーカー」の文字が。つまり、この選手が制限時間である5時間で走り切るように基準がセットされていて、それより後ろに走っているランナーは、関門で捕まってしまうことがほぼ確定してしまう、ということだ。

その文字を見かけたのは私だけではなく、同行者も同じだ。先ほどまで攣っていた脚をこらえ、なんとか喰らいつくように、頑張ってついていく。さっきまで立ち止まっていたのに、一切そんなことがなくなった。1km近く走って、橋を登るために小さな登りに差し掛かった。そこでついに我慢がきかなくなり、脚が攣って、そのペースメーカー集団からは離された。


橋を渡ると、先ほどまでのように後ろから好調に抜いていくランナーの姿はなかった。ほとんどが歩いていて、まずで敗走兵のように頭を垂らし、ぐったりしていた。まだ諦めていないのは、彼女だった。次の関門まで間に合うように、サポートをして走る。応援でこの河川敷に来ている方たちが、心配そうにこちらに声をかける。私は笑顔で声を出して返事をする。カラ元気と言われればあながちそうなのかもしれないが、それでも声が出ているほうが、楽なのだ。

いよいよ関門まで500mまでのいう看板が見える。そのあたりでアナウンスが流れた。

「あと3分で関門封鎖です!」

まじか。でもこれまで通り走れれば、この関門は、突破することができる。いける。「よし、走ろう!」と先陣を切っていたのは、むしろ彼女だった。関門が見える。まだ目の前に大勢人はいる。時折、脚が止まるものの、そこは待つ。腰を押す。間に合うように。


クローズ1分30秒前、なんとか関門を突破することができた。後続を振り向く余裕がようやくできた。見ると、先ほどまで歩いていた人たちが全力を振り絞っている。一秒ずつ、クローズまでの時間が読み上げられていく。ゼロになって縄が引かれる。ひとり、目の前で間に合わなかった人をみた。足切りの光景は、箱根駅伝以来だった。でも箱根とちがうのは、ここでその人の名前はゴールまで引き継がれないということ。ここで終了だ。

そして、それはその方だけではなく、私達もほぼ同様だった。同行者はもうほぼ立てないくらいにやられていた。ほぼ、ここから間に合う算段はない。

「ここで間に合わない、無理だと判断した方は、回収バスに乗車してください」と繰り返しアナウンスされる。事実上のリタイア推奨宣告。それでもやめないのは、同行者だった。確実に間に合わないと思っているのは私だけなのだろうか?他の参加者も、歩き始めている。そして、また走り始めている。ブルベの借金返済とは違って、ランニングの借金返済は容易ではない、というか、盛り返すことはほぼない。でも走る。時計を見ながら走っているということは、そういうことなんだろう。

 

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30km地点:それぞれのゴール、とは?

松代インターの周辺を歩いている。

「よくがんばったよ!」と過去形になってしまった応援を聴きながら、歩いて、走ってを交互に繰り返す。飴も貰った。日差しはジリジリと照りつける。暫く歩いて、再び河川敷に差し掛かるところで、こう言われた。

「あと10kmまできた。あと1時間だから、ここからキロ6分で走れば間に合う…」と。最初聴いたときに、ちょっとおどけてしまったのだが、あれは本気で諦めたくないからそう言ったのだろう。私は失礼なことをしてしまった。

でも、もう残念なことにもう間に合わない。リタイアの宣告はしなくても、もう通じるだろう。走っている人もどこにもいない。河川敷を、とぼとぼと歩いた。

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歩いていると、土手沿いの畑から砂塵がこちらにまとまって向かってきたのが見えた。目をつむる余裕はある。本当に、目の前がなにも見えないくらいの砂塵だった。こんな天候のなか、みんな走っていたのかと思うと脚力があるな、と感じる。

音楽が聞こえてきた。スタートの時にも話した、この大会のために曲を製作してくれた地元のバンドマンが、移動式トレーラーから演奏していた。私たちはその真横を通る。

「それぞれのゴールへ行こう」なんていう歌詞を近くにいた誰かがつぶやいていたのだけは、強烈に記憶に残っている。

そこから数百メートル歩いたところで、回収バスに乗車した。今年の私たちによる長野マラソンは、ここで終了となった。


 バスから降りて、着替えをそれぞれ済まし、しばし会話をした後、

「また走ろう!来年のこれはリベンジで!」ということで、解散した。

自宅へ。そして次の月曜日へ。

南長野運動公園で同行者とは別れ、私は家路へと向かった。とはいえ、最寄り駅までのバスは出ていない。電車も接続が悪いので、それまで駅近くの友人の家へお邪魔していた。簡単にレースの報告と、大変申し訳無いのだが充電をお借りした。

その後、家族が車で迎えに来てくれたので、そこに乗車し、帰宅。すぐシャワーを浴び、しばし休憩をした後、5時30分長野発の新幹線に間に合うためにしばしの実家生活を堪能したあと、再び長野駅へと向かった。やはり1時間しないで埼玉まで行けるのはおかしい。ずるい。と新幹線売店のNEWDAYSでアルクマがラベルされているクラフトビールを飲みながら移動した。

翌日から仕事だという事実は、つらい。あー、お布団最高…と夜の8時から横になり、寝た。月曜日の仕事は、まあまあしんどかったことには代わりはない。

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相当悔しがっていたが、私はそれとは対象的に、楽しんでいたし、この時間がいい時間だった。

幾つか理由はある。自分が思っているより走れてしまったこと。天気に翻弄されたけど最後は晴れたこと。思ったより疲れていないこと。それを遥かに上回る理由は…。

やっぱり、ひとりではなく、共に走ったことではないだろうか。確実に、ひとりなら途中で止めていた。

*1:来年は凛ちゃんジャージを購入するか、あみまこさんが着ている、継続高校のミカジャージでも購入しようかしら?

*2:ロードレースでは春先に「クラシック」と呼ばれるワンデーレース(1日のみの大会)。ロンド・ファン・フランデーレンもその「クラシック」と呼ばれる大会のひとつ。

*3:ロードレースでよくある、横向きの風に対して斜め前から走ることで後ろへの空気抵抗を減らす方法