【BRM920 ええじゃないか伊勢夫婦岩1000】最終話 ラスト60km。
2014年9月23日(火)AM5:30 神奈川県真鶴町 930km地点
残り78km 横浜へのタイムリミットまで、4時間30分
ルートはこちら
突然のハンガーノックから立ち直ることができた。とはいえ、補給したのはブラックサンダー一つ。いつ燃料が切れるか予断が許されない状況であった。頑張らないと、時間内完走ができない。僕は必死になってペダルを回し続けていた。限界を攻め続ける。
10円のフーセンガムのような、丸く赤い太陽が昇ってきた。
最終日にふさわしい。
理想的な空の色。疲れとはなんだったのだろうか。一瞬、時間のことなんてどうでもよくなった。
真鶴半島のあたりの道は、僕がブルベを初めて走ったコースだったりする。
2月のあの時は、右も左もわからない状況で、仲間なんていなかった。
だけど、今は違う。勝手知ったる道だ。今のほうが十分心強く走ることができる。
このあたりの道は好きだ。信号もないし、何より海沿いの道はキレイだ。
この日に走ることができて、幸せだと思う。
残りの距離は60kmぐらいまできた。
ここまでくると、たった60kmだ。
ハンガーノックではない。けれど、もう力が入らない。今度は睡眠不足からくる疲労なのか。25km/h以上のスピードが出なかった。信号を含めると、だいたい15km/hくらい。横浜市街地あたりの信号多発地帯で引っかかることを考えると、10時までのフィニッシュに間に合わない確率のほうが高い。
間に合うか、間に合わないかよくわからない。それでも前に進んでいけば、間に合う確率は高まる。ほんとにあたりまえのこと。間に合うことを信じて進めば、何かが起こるのかもしれない。
小田原の市街に入った。
ここまでくると、ホームのように感じる。道を間違える心配はない。
信号待ちをしていると、後ろからランドヌールがやってくるのが見えた。
主催クラブ、R東京のジャージを着ていた。クラブ員の方だろうか?
「おはようございます!」僕は小さいころから挨拶をしっかりすることを教えてもらったことが染み付いているみたいで、声だけは元気だった。
「おはようございまーす!」と同じくらい元気な声量で返してくれた。
50代くらいの、元気のある方だった。
仲間が欲しかった。最後のひと踏ん張りを一緒に走ることができる人が。
「何時スタートですか?」と僕はいつもの質問をする。
「7時スタートです」だったら一緒に頑張りましょう。といえるのだが。
返ってきた答えはある意味予想通りだった。
「9時スタートです。あなたは?」
ああ、まただ。ペースが違う人だろうなあ。
「7時スタートです。」
そう言って、諦めかけたその時。
「えっ!?7時でしょ。マズイじゃん!うーん、途中まで引っ張ってあげるよ。」
ぼくの方こそ、「えっ」と思った。何かの聞き間違いじゃないのか?
「だって、もう時間ないじゃん。離されないように、ついてきて!オジサンから離れちゃだめだよ!」
なぜか知らないけれど、僕のことを知っているようだった。よくわからないけど、諦めなければチャンスが目の前にあるということだけはわかった。
いけるかいけないではないかわからないけれど。「はい!」と言えば何かが起きる。
「わかった。よし行くぞ!」
信号が青になる。あれ、こんなこと、おとといにあったぞ。デジャブなのかなんなのか。
ぶっ飛ばし始めた。
もう止まらないのか。くそ。
ペースが一気に上がった。
僕は頭の片隅で「これ、離されたらもうだめなやつだ」と感じる。
息が上がってあぜあぜしている。脳みそが「動け!走れ!」と命令しているから動くことができるだけだ。さっきまでの”限界”ってなんだったんだ?ペースが2倍位早くなっている。流れ星のように、グイグイと進んでいった。
不思議なことに、先ほどから信号が全て青のままだ。どこも赤にならない。僕らの目の前で、すべて青になる。魔法でも使っているんじゃないかと思った。なにか不思議な力が働いている。たぶん。意志のおかげだ。そういうことにしておこう。
R1に合流した。景色がすべて、流れていく。後何キロ走れば休めるかもわからない。引きずり回されているようだった。吐きそうになるくらいだ。全部の信号が青、青、青。「いつ赤になるんだよ!」って思うくらいだった。ピンチだけど、体力的にも限界が来ているんだな。
蒲鉾屋の横をスルーして、大磯の駅前を最高速でぶっ飛ばす。周りの人たちは通勤をしている。その脇を、2つの反射ベストがスルッと通り抜けていく。非日常と日常の狭間は殆ど無い。長者町の交差点で一旦赤になった。
「大丈夫?」Kさんという牽いてくれたその人は、心配をしてくれた。
ゲホゲホ咳き込みながら「大丈夫です…」と答える。
「飛ばしていくよ!」それだけは聞き取ることができた。
また、加速していく―
「くそう!!」もう一度、加速する。
R134に合流し、茅ヶ崎方面へとひた走る。
相変わらず時速30km、再び息が荒れる。
「おじさんに置いてかれちゃダメだよ!」そう言って、先へ先へと進む。
どうにでもなれ。脳筋になってついていけばいいだけだ。
馬鹿になれ。そう思って走る。
「大丈夫じゃなさそうだね。どこかでちょっと休むかい?」
Kさんがそう言ってきた。救いの言葉だ。
「はひ…。できれば…休み、休ませてください。」
分かった。休もう。そう言って、コンビニへと入っていった。
この1時間で、平均時速はなんと22km/hを記録していた。いかに驚異的なペースだったか。
ヘルメットを脱ぐと、汗でびっしょりになっていた。
茅ヶ崎のコンビニには、通勤客が朝食のパンを買ったりしていて、これから何気ない朝の1日が始まるということをさりげなく告げる。
とにかくここまで引っ張ってくれたお礼の言葉を。
「ありがとうございます…。なんとかこれでギリギリ間に合うところまでやってくることが出来ました。」
「9時フィニッシュだよね?」
「いや、10時フィニッシュなんですよ・・・」
「えっ!9時フィニッシュじゃないんだ!?」
どうやら1時間間違えていたみたいだ。ある意味ラッキー。
Kさんはここで先に行くとのこと。「また横浜で!」を合言葉に去っていった。*1
補給食を買って、簡単に朝食を摂る。
エネルギーがカラダに染みわたる。少しずつ力が入ってくるのがわかる。
救われた。小田原で引っ張ってもらわなければ、タイムアウトだっただろうな。
店の外には、かつてのブルベで一緒に走った仲間がいた。Qさんだった。
まだまだ元気そうだ。
「ここまでよく間に合ったね。最後トラブルなければもう大丈夫だよ。」
その言葉を聞いて、ほっとした。
Qさんは先に行き、再び僕は一人で走ることになった。
茅ヶ崎のコンビニを出て、快調に片道2車線の道を走り抜けていく。
さっきまで恐ろしいペースで走っていたけれど、一人だとあれほどのペースではいけない。それでも先ほどよりはいい感じで走ることができている。いい。
天気もいい。雲ひとつない晴れやかな空模様は、僕達を祝福しているかのようだった。先週の時点では台風がやってくるという話だったのに、しらばっくれたかのように、この4日間天気が悪くなることはなかった。
右側に、ポツンと浮かぶ小さい島が見えた。普段よりも、緑のトーンが明るいように感じた。江ノ島だということに気づいたのは、しばらく走ってから?
歩道にはこれからサーフィンをするのであろう、ダイオウイカみたいなサーフボードを持った人を何人か見た。
東南アジアの国で見るようなタクシーや、キャリーも見た。
やっぱりここだけ時間の流れが違う。
朝日が最高に気持ち良い。期待はずれの気持ちを塗り替えていく術を知った。
茅ヶ崎の海岸通りを途中で曲がり、いよいよ鎌倉へと入る。曲がってすぐ、目の前には激坂が見える。最後の最後にこんなものがあるなんて。キツい坂なんて、もうこりごりだよ。インナーローにギアを下げて、宇宙飛行士が月を歩くように一歩ずつ、確実に登っていく。
頂上にたどり着くと、穏やかな道の端っこに休憩所のようなものが見えた。ドリンク補給をしていなかったのを思い出して、ここで買うことにした。タイムロスだけど、セーフティゾーン圏内だ。ミニサイズのコーラを買って、一気に飲む。気持ちいい。缶をゴミ箱に捨てて、再出発だ。
いったん登ったと思ったら、再び降りる。鎌倉はそういうところばかり。
モノレールはのんきにスイスイと上を通過していく。
きついのだけども、「帰ってきた」感じがして不思議とストレスはかからなかった。登り切ったところで、鎌倉大仏らしきものを遠くに見えたのを確認して、スイスイと下る。
「横浜」の文字が見えた。この73時間、待ち焦がれていた場所。比較的走りやすいところなのだろう。保土ヶ谷と戸塚あたりを走るより、1000倍マシなコースだ。おかげで人は多いけれど、気をつければ問題ない。
一軒家が軒を連ねていたのに、いつの間にかビルに変わっていった。あと10km。
ここまでくれば、パレードランだ。
ゴールまで、あと5km。
信号のストップ・アンド・ゴーに巻き込まれる。
そのおかげで、ちょっとマージンがない。少しだけ焦る。
みなとみらいの港へ下っていく、その途中。左の歩道に手を降っている人が見えた。
止まれない。
「こーへーくーん!!ラスト頑張って!!」
その女性の声ですぐ誰だかわかった。
ユメさんだ。手を振って、「ありがとうございます!」
とだけ声をかけて、僕はゴールへと急いだ。
沿道で応援されると、やっぱり嬉しくてたまらない。
突然のことだったので、ちょっと泣きそうだった。
気づいたら、距離計は1000kmを超えていた。
残り3km。交差点を右に曲がるつもりが左へと曲がり、ミスコース。
復帰するのに手間取って、10分ほどロスをしてしまった。
材木店ジャージの方2人が目の前を走っていたので、ついていくことにした。
「ここまできましたね。もうちょいですよ。」長髪の男性は疲れを感じさせない笑顔だ。
「帰ってきましたね。気をつけていきましょう。」僕はそう言った。
人混みをかき分けながら進んでいった。
思えばいろんなとこを走った。日本は広い。狭くなんてない。
交差点の反対側にコンビニが見えた。あれか。
さっき僕を助けてくれたKさんが外のテラス席にいた。
「急いでレシートを!」と心配してくれた。
そう、最後まで急がないと。
コンビニに入って、おにぎりを買う。レジに並んで、会計を済ます。
店員さんにとって、それはあたりまえのこと。だけど、僕にとっては特別なレシート。
タイムリミットは10:00。打刻されている時間は、どんな数字になっているのか。
09:57。
リミットまで、あと3分しかなかった。
74時間57分。1005km地点。横浜の最終チェックポイントに到着。
僕は、1000kmを認定完走した。
間に合ったのだとわかった瞬間、自然とガッツポーズが出た。
「おめでとう!」
完走した、といっても、ここはゴール受付ではない。
ここからあと3km離れた、みなとみらいの健康ランドに設置されている。
実質的な制限時間はない。あとはそこまで行けばいいだけだ。
コンビニの外にベンチがあるので、そこで休憩することにした。
Kさんとお互いの健闘を讃え合った。先にゴール受付に行くとのこと。
僕はすーさんと池田さんを待つことにした。
2人が来るのを見届けたい。
10分くらい待っただろうか、Kさんがちょうど出発するタイミングで2台の自転車がやってきた。ピンク色のジャージで誰だかわかった。僕は声を上げてその到着を喜んだ。
ハイタッチをして、握手をした。全員間に合った。
携帯を見ると、夫婦岩で別れたフィリップさん達から連絡が来ていた。
「ゴール受付にいるから、速く来て!」
ほんとに来てくれたんだ。冗談とかじゃなかった。
「向かいます」とだけ、メッセージを送信した。
亀太郎の3人で一緒にゴールへ向かうことにした。
本当のゴールは、もう少し先だ。
パレードランのように、少しだけスピードを緩めて走ることにした。どうせなら手を振りたくもなる。もう終わってしまうのが、ちょっとさみしい。
北東へしばらく進んでいくと、道幅が広くなった。並木通りの交通量は少なく、僕らはこの道路を独り占めしたかのようだ。
海が見えた。
港湾沿いに出た。空は青く晴れ、街を彩っていく。
恋人たちで賑わっている赤レンガ倉庫を脇目に、僕たちは交差点を走り抜けていく。
ジェットコースターから聞こえる叫び声。
清水で見た観覧車よりもはるかに大きい、時刻付きの観覧車が見えた。横浜のランドマーク。
ようやく、辿り着いたんだという実感が湧いてきた。
ゴール受付の健康ランドが見えた。
交差点を横断して、信号が青になるのを待つ。
信号が青になる。僕は歩行者を気にしながら反対側へ渡った。そこまでは冷静でいれた。
反対側で手を振っている人たちがいる。誰だかわかったその瞬間、それまでの感情が爆発した。本当に待ってくれたんだ。
吠えた。ありったけの力で吠えまくった。ハイタッチをするその手にも力が入る。
「ホントよくやったな!!」なんて声が聞こえた。細胞から喜んでいる。興奮で震えが止まらなかった。こんなに感情を爆発させたのはいつぶりだろうか。
待ってくれた2人―フィリップさんとチャリモさんに握手をする。
「もうだめだと思っていたよ。」なんてことを言われた。僕もそう思っていたのだから。
夫婦岩で交わした約束を破らなかった。それでよかった。
ゴール受付に向かうと、同じ亀太郎のしほさんとナオキさんがスタッフとして待ってくれた。レシートも、全部ある。問題ない。
しほさんの一言でようやく終わったということを実感した。
「お疲れ様でした!おめでとう!」
「完走おつかれさまでした!かんぱーい!!!」
完走から3時間後、ゴール受付の健康ランドに用意された打ち上げ会場では、ここまで一緒に走った仲間同士の健闘を讃え合うべく懇親会が催された。
大勢の人が集まった。窓ガラス越しにみなとみらいの街を上から望める。ビールがうまい。こんなにビールって美味しいものだっけ。
参加者用に用意されたオードブルは、ものの数分で無くなった。
急いでスタッフがケンタッキーからチキンを調達してくるほど大盛況だった。
ここまで話したこともない人と、握手をしたり、お礼の言葉を伝える。なにか戦友のような気持ちだった。
懇親会は1時間半くらい開かれていたらしいのだが、僕自身はものの30分で寝落ちをしてしまい、周りのみんなにイタズラをされてしまった。笑*2
目を覚ますとみんなに爆笑されていた。
最後は人間アーチを作って、完走者なひともそうでないひとも、その間をくぐった。
その後はR東京のスタッフについていき、デザートとピザの店へ。
皆さんと別れたのは、夕方のころ。
観覧車を眺め、名残惜しいのか、軽くお辞儀をした。
「終わったんだ…。」ぽつりとつぶやいて、僕は横浜駅へと向かった。
結果をまとめると、フィニッシュタイムは74時間57分。制限時間は75時間だから、結局足切りの3分前にゴールしたということになる。全完走者中、最も遅いタイムだった。*3
だけど、ブルベは速さを競うスポーツではない。その制限時間のなかで完走することを目指して頑張る。そのなかでグルメをしたり、協力したり、観光をしたりするものだから別に遅くても構わない。それよりも、完走を目指すための過程でなにをしたかのほうが大切だと僕は感じてる。事前に建てた計画をトレースしつつ、修正するようなことがあれば臨機応変に対応したりする能力があれば、最低限の脚力は必要だけど走ることはできる。この1年間、ひたすらにブルベに出てみてわかったことだ。
今回の1000kmは、たくさんの失敗があってこそ完走ができたのだと思う。低体温症になったことでウェアに関して気をつけるようになったし、”擦れ”が問題になった時はシャモアクリームを買うことによって対策を取ることができた。失敗があってこそ気づくことができたことばかりだ。
でも、僕が完走出来た本当の理由はそれじゃない。改めて、いろんな人からの支えがあったからこそ、僕は走ることができたことを実感した。
例えば、物理的な距離の支えとして、1日目の蛭川峠ではシン3さんと一緒に走ることが出来たから暗闇を超えることができたわけだし、それから鈴鹿まではPIPIさんや池田さん、その帰りはリュウさん達がいなければ無理だった。すーさんにも助けてもらったし、最後はKさんに牽いてもらったからこそ間に合った。PCで声をかけてくれた人や峠の登りで話しながら一緒に登ってくれた方にも。
それだけじゃなく、ツイッターの「頑張れ」といった一連のメンションにも。この場を借りて御礼を申し上げます。
やっぱり走って良かった。怖気づいて何もしなかったら何も得ることができなかったのだから。楽しい1000kmでした。
稚拙な文章ながら、ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
*1:後にかカッチンさんだということが判明。というか後日参加者のブログを見ていたら、僕の記述がされていたことで知ることができたのです。直近ではAJたまがわの足尾300で再会することができました。
*3: