さわらいど

さわらいど

ブルベ3年目の大学生→社会人。主に自転車ロングライドが中心。多摩・長野を中心に走っています。

勝田マラソン2016(人生初のフルマラソン!)

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こんにちは。

先週の日曜日、1/31(日)。人生初のフルマラソン、勝田マラソンを走ってきました。現在も歩行困難になるほどの筋肉痛が続いています。金曜日にも関わらず、右足の踵が設置するたび痛みます。先週の今頃、週末に運動して金曜日も筋肉痛が残っている大学の友達を見て「ありえねーだろww」といじっていた自分に反省。うん。今はその友達の気持ちが痛いほどよくわかります。うん、ごめんなさい。
 
というわけで、当日のことについて。
 
■当日までの準備
はじめてのフルマラソンということでしたが、正直準備は行っていませんでした。
ちょうど一週間前から土曜日に2km、日曜日に2km、月曜日に3km、水曜休み、木曜5km、金曜休み、土曜に友達U君と一緒に野川沿いを8km走っただけっていうこの体たらく。それ以外は12月下旬の高尾山トレイルラン以外まっっっったく運動してませんでした。卒論を書いている時なんて一週間ぐらい全然外にも出なかったしね。ほんとひどい状況でした。
 
U「いや~最低でも6時間は切りたいよね」
ぼく「まあそうだねえ、リタイヤとかしたくないよねw まあこの前全く運動しなくて
もハーフ2時間近くでおれ走れたし大丈夫っしょw」(土曜日の会話)
 
とか、言っているくらいのレベルでしたね。正直僕の読みは浅はかでしたが。笑
 
■当日の移動
勝田マラソンのスタートが午前10時半ということで、最低現地には一時間半前くらいには到着しておきたいところ。JRから勝田行きの臨時電車が出ているのですが、特急券が必要ということもあり、予算を抑えたい学生二人組は今回各駅停車で向うことにしました。その結果、調布から電車で3時間。朝5時15分くらいに電車に乗ってとことこと会場まで向かいました。
新宿でU君と合流した時、「おなかがいたい」とU君が言っているのが少し不安ですが・・・。山手線で西日暮里へ移動したら、あとは常磐線で勝田まで。乗り換えなしで行けるおかげでここで暫く寝ることができました。
 
しばし電車でまどろんで、音楽を聞いてテンションを上げる。いつものローテーションをこなします。電車で二時間ほどまた移動すると、勝田駅へ到着。入場規制がかかるほどランナーが大勢。
 
 
■受付~スタート
フィニッシュ地点の広場で開会式とか荷物預かりとか参加賞の受け渡しとかができるみたいなので、そこへ向かいます。前日受付とかがないのがいいね。
 
 
ちなみに、参加賞には水戸地域らしく「完走いも」(乾燥いも)。生徒会長パワーを貰えそうです。実際走っていても干し芋の直売所が幾つもあるのを確認しました。
 
さて、準備も整ったところでレースの前にトイレタイム。
ところが、トイレ待ちの列が自然発生的に増加して、一列が二列、二列が三列に・・・
迫るスタート時間。焦る自分。
あと10分を切ったところでようやく自分の前が空き、急いで済ます。出てみると、まだまだ長蛇の列が形成されている。間に合うのか?
友達はまだ。時間が迫る。あと5分。なんとか無事終わらせ、急いでスタート地点へ。
ここで、「あとでこーへーに追いつくためにがんばるからな」と、グループF組のU君とは別れ、私はE組へ。
だけど所定の位置がわからない。前に進んでもジャガイモ洗い場のように、人の海。ある程度進んだところでスタートを待つこととする。
暫く待つと、歓声とアナウンス、そして打ち上げ花火。勝田マラソンがスタートした。
 
◾︎スタート〜10km
号砲が鳴り、ぞろぞろと前からランナーが動き出す。ピリピリした緊張はまだ感じ取られないし、お祭りムード。僕はその列を抜かさないように、ぞろぞろとついていく。
((U君はスタートの号砲が鳴った時点で歩道から抜いていたみたいで、どうやら僕を抜かしていたらしい!笑))
 
「勝田マラソンへようこそ」と書かれた横断幕が見えたあたりから、集団が走り始めたのが見えた。
その勢いのまま、ローリングスタート。幕の下を通過し、42.195kmが始まった。
 
沿道からは「がんばれー!」「ゴールで待ってるぞー!」と声援が聞こえる。ロングライドでは通行人からしきりに声をかけられるような経験というものがないから、新鮮味を感じる。あと、止まってはいけないんだw、とも。
サイクルロードレースなら、味わえるだろうか。
 
ざっくりグループ分けされているとはいえ、参加者によって全然ペースが違う。人の海を掻き分けて、ペースの合いそうな人の後ろをひっついて、前の人を抜いていく。
 
大通りに出た。一本道、全ての道路が封鎖され、視界の先にはランナーのカラフルなシャツたちしか見えない。カラーボールのプールのよう。
 
沿道では、地元のお店が私設エイドを出していた。序盤では、大福を出している店があったのだが、一体誰が食べるのだろうか・・・。
 
スタートから5kmが経過した。普段ならここで足を止めたくなるあたりだけど、全然そうはならない。むしろたった5kmしか走っていないという感覚だった。それは沿道からの声援があるからだろうか。「がんばれ!がんばれ!」「また戻ってこいよ!待ってるぞ!」とか言って、僕らを送り出していく。近藤が言っていた、「声援のおかげであっと言う間に過ぎていく感覚」はこのことなのだろうか。
 
大通りから右折し、一気に道が細くなる。集団の密着度が高まり、時折肌と肌が接触して少しもつれそうになる。途中、あんこうジャージを着た方がいたので着いていこうと試み、ペースを少し上げた。後のログを見ると、ここが1番早くて9km地点で5:17だった。普段こんなペースで走ることはないので私は驚いた。
 
再びバイパスに出た。その近くが10km地点近くの給水所だったのだが、集団が密着して足を止めるのが嫌な僕は、そのまま飲まずに走ることにした。案の定、大勢のランナーが入り乱れて水分補給を心がける。「予想通りだ。ここで差をつけることができるだろう」と思ったが、その直後、テレビで見た「水分補給をミスって失速していくランナーの姿」を思い浮かべ、焦った。水分が欲しいのに、自分をごまかしたツケが後で来そうな予感がした。
 
■10~20km地点:進まないのは何のせい
10kmの計測地点を通過。このあたりまではだいたい順調だ。
それにしても、U君はどこにいったのだろうか。この大集団の中で僕を見つけることができるのだろうか。ただでさえ、目立った格好のランナーばかりがいる状況なのに。と、気持ちが少し焦る。
 
11km地点。景色は先程と変わらない。延々と直線に走り続ける。
ふと気付いた。足が上がらない。これ以上ペースを上げることができない。ひとり、また1人と抜かれていく。あんこうジャージの人もあっさり抜いていき、視界からすぐ消え失せてしまった。給水で抜いた人にどんどん抜かれていく。汗をかかない。喉が渇いた。先ほどのツケが来た。給水以前に、走り込み不足が露呈した。全然走っていないのに、普段の練習では出ないようなハイペースのラン。これでは当然足が持つわけなどなかった。
 
もどかしい。「マラソンは走った距離が直に反映される」なんて言葉が脳裏によぎった。その通りだ。15km地点あたりには、1つ大きなアップダウンが存在する。僕は上りが遅い。ブルベと同じで、ゆっくり我慢して、心拍的にイカないように出力を抑えて登る。スタート地点で抜いたはずのヒョウ柄のスパッツを履いた女性にもあっさり抜かれて、心が一本ずつポキポキと折れていく。
 
東海村」と書かれた標識を確認。僕のイメージとしては、東海村というと真っ先に原発のことを思い出す。事実、他の案内標識にも「原子力発電所記念館」とか「原子力センター」という文字が散見され、たった30kmも県庁所在地から離れていないところに原発があるという事実に驚く。
 
しかし、村内を走ると原子力のことはまるで関係のない風景がそこにあった。
 
16km地点から、バイパスを右折し、東海村の村松という地区を通る。
普通の県道、一本道なのだが、地元商店街組合の有志(どこに商店街があるのかまったくわからなかったけれど)が、私設でエイドを設けてくれていた。オフィシャルのエイドステーションがあまり多くないため、正直とても助かる。エイドステーションで最初に見たのはラッピングされたチョコ。さっそく頂く。200Mほど走ると、もうすでに新たな私設エイドが用意されている。お姉さんが抱えている菓子入れから、その長いエイドを手に取ろう・・・としたとたん、それを取ることをやめた。
 
うまい棒 めんたいこ味」だったのだから。笑
喉が渇く、何かネタ要素なのかもしれないと思ったが、流石にびっくりした。笑
 
本当にエイドステーションは充実していた。おおよそ1kmごとに私設エイドが設けられているのはすごいホスピタリティ。フィニッシュまでに貰ったものを書き連ねていくと、
チョコ、いちご(あまおう)、みかん、干し芋、クッキー、プチトマト、りんご、飴、スポーツドリンク黒酢、1番助かった、バナナ(ハーフカットされたやつ)等々・・・。あと食べなかったけど、イタリアンのお店はなんかパスタ出してましたね。パスタ。いっそのこと、食べればよかった。笑 次から次へと私設エイドから食材が提供されるので、途中から口が疲れました。幸せです。
 
幸せな口とは裏腹に、18km地点から本格的に足が動かなくなってきました。エイドステーションを発見する度に、歩いたり、足を止めるようになってしまいました。とりあえずハーフまで頑張ろうと言い聞かせ、いろんな人に抜かれながらよぼよぼ走り続けると、「あと1kmで中間点」の標識が見えてきました。
 
■中間点~30km地点:心が1回折れる区間
 
中間点を通過。「2時間17分ねー」と聞こえてきました。え?中間点でそんな遅いの?と一気に不安になりましたが、これはあくまでグロス値のタイムであって、スタートラインを通過したネット値のタイムではないことに書いていることに気づきました。といっても、2時間5分54秒ということで、普段のハーフよりもタイムが5分ほど遅いことになります。これが練習不足と体重増加のツケか、と感じました。
 
沿道沿いに設置されているトイレには、ちょっとした列が。まだトイレに行くには早い。と判断し、目をコースに戻そうとした時。U君が並んでいるところを発見。
 
え!いつの間に抜いていたの?
 
脚を止めることなく、僕は先を急ぎました。一瞬のスライド。ここに来るまでに僕を抜いたということだから、後で必ず追いついてくるだろう。そう判断した上での決断。
 
笠松運動公園あたりが中間点で、左折して常磐線沿いに南下します。
このあたりから少しずつ脚に辛さが出てきました。疲労で脚が全く上がらない、ペースを上げようにもこれ以上あげたら脚が使い物にならない、というレベルまで追い込まれているみたいです。
 
そして、25km地点で一気に心が折れました。
それは、通りを左折して高場陸橋を登るセクション。7%ぐらいの跨線橋が150Mくらい続くだけ。気分はユイの壁を登るクラシックレーサー。でも、先頭集団ではなく、後方で沈んでいく感じです。実際、いろんな人に抜かれていきましたから…
 
下りで慣性を利用して、一気に駆け下りていきます。「ここで走りのテンポをしっかりとつかめれば…!」と。ここからは1kmごとをしっかりと走り切ることが目標になりました。途中でエイドステーションがあっても脚を止めないで、補給をしつづける。脚が攣らないように、ハンガーノックにならないようにと必死でした。
 
やたらこのあたりは喉が乾きました。水じゃなくて、スポドリが欲しい。
そう思って辿り着いたエイドステーション(26.7km地点くらい?)でプチシューを貰った記憶があります。ありがたいけど、喉が乾いてやばい・・・。
 
28km地点、なにやらゆるキャラみたいなやつを発見しました。喜びでハイタッチ。
元気を貰います。でも、何のゆるキャラなのかは最後までわからないままでした。
 
このあたりから、5時間を切れるかということを急激に意識し始めたことを覚えています。厳密には、24~5km地点から特に焦り始めたのを。多分キロ8分以上にならなければ5時間は切れるとは思っていましたが、ハラハラものです。走っている時なんて、まともに計算も出来ないレベルです。
 
29km地点で、地元の中学か高校の陸上部がいて、「ガンバです!」と声援をもらった。こういう声援を、まさか高校を卒業してから聞けるなんて思わなかった。地味に「ガンバです!」と呼ばれることは夢だったので、嬉しかったりする笑
 
ちょっと気が楽になった。我慢して走り続けていると、右折したところで「30km地点」の標識が見えた。
 
 
■30km~40km地点:「マラソンは30kmから」は本当だった!
 
30km地点に到着。タイムは3時間17分7秒。結果として、5時間切りに光が差し込んできた。しかし、ここまで進んでも思い通りにならないのが世の常。左足、右足と、筋肉がいうことを聞かなくなってきた。30.5km地点。ビクッ!と全身にしびれがきた。瞬間的な痛みを感じ、脚を止める。しかし限界なのか、攣りはじめている。ようやくここで、はじめて身体を伸ばし始めた覚えがある。もっと先からストレッチをしていれば、もっといえば、普段から積み重ねをしていれば・・・と。
 
そうだ!とりあえずスポーツドリンクを飲もう!と、給水地点では水ではなくアミノ酸カリウムを補給することを心がけました。足攣りによって、立ち止まるようなことを繰り返しては5時間を切ることができませんから。積極的にバナナも補給し続けました。
 
35km地点までは、のどかな県道へ。ここから猛烈に1kmが長く感じるように鳴り始めました。事実、キロごとのラップタイムとしては30km地点を境に7分~7分30秒ぐらいで推移していたのだから。(今考えると、あんなよぼよぼ状態でも7分なのかと驚いていますが)
このあたりは20m下ってまたすぐ登る、みたいな、いわゆる広域農道的なセクションだったこともあり、脚へ掛かる負担が高く、狼狽しながら坂を駆け上がったのを覚えています。ロングファストランでも同様のことがいえるが、「できるだけ脚を止めない。前へ!前へ!」という心がけが必要だと感じた。止まってしまうより、遅くとも前へ。棄権以外にはまっすぐ進むしか選択肢がないのですから。
 
35km地点。先程まで僕の前を走行しているランナーが、ひとり、また1人と歩き、脱落していく様子を目の当たりにしました。ベタですが、僕だけが辛いわけではないことを再認識します。
 
ここで1番の支えになったのは、私設エイドステーションの存在。
高校野球さながら、宇宙戦艦ヤマトの曲に合わせて太鼓を叩きながら大声でランナーを送り出す地元のおじさんや、車いすに乗ったお婆さんを含め、家族総出で沿道沿いに出て応援してくれるその存在自体がありがたい。ハイタッチを求められればこちらもそれに応じる。元気を貰うとはこういうことなのか。と。支えられました。
 
35km地点。なにやら警官がアナウンスをしている。聴くと、交通規制が終了したので、ランナーは歩道を走るようにとのこと。確か2時半までがこの道の交通規制時間でした。
市民マラソン大会「らしい」感じがこの交通規制から感じ取れることができます。これまでどちらかというと、トラックとか、公園内のコースとか、クローズドな空間を走り続けていた私にとっては驚きでした。
 
この30km~という区間から、筋肉が硬直をおこし、疲労からレースを棄権したくなった。「マラソンは30kmから」という言葉はマラソン中継でもよく聞くセリフだけど、まさにその通り。一部のトップランナーのみならず、僕のようなよぼよぼランナーにも振りかかることなのだと実感。
 
■35~40km地点:歩道区間のジレンマ。
歩道を走るようになってから一気にペースが落ちてきた。歩道特有の段差や、その狭さ。つまずいて転倒しないよう、接触しないよう意識する。
 
交差点を右折すると、レース序盤で走った大通りが見えてきた。あと5km。
1kmあたりのラップタイムをStravaで確認する。キロ8分ぐらい。先程よりも落ちている。また脚が攣るようなことがあれば、5時間切りが難しい。十分なマージンを確保できていないと感じた。
 
僕の周りには大勢のランナーがいる。5時間切りを目指している人もいるのだろう。と思うと、脚を止めずにはいられない。誰かと走るほうが、やはりいい。
 
交通規制の解除により、信号で止められる。でも絶好のショートレスト区間。それを利用しながら進み続けた。
 
40km地点を通過。自分がイメージしていたより、興奮するようなことはなかった。むしろ41km地点を通過したほうがテンションが高くなった。あと1km。
 
■41km~ゴール:さながら、アンデルセン
ラスト1kmは脚を止めることなく走ろう、と自分の中にルールを立てて走る。
「あと300m!」という声援。
荷物預かりとかをした場所―フィニッシュ地点の広場へと誘導されていく。
 
走りながら「フィニッシュ手前あたりで、「ああ、ここで終わるのか」とか、レースを惜しんだりするのかな?」と、僕はぼんやりと考えていた。
 
実際のところ、惜しむようなことはほとんどなかった。この長く辛い苦行のような42.195kmを終わらせることができることに喜びを感じていたといってもいいくらい。
でも、最後の最後だけはそんなことが無かったと思う。
 
フィニッシュラインのゲートが見えた。
脚のいたるところが突然攣り、僕はまともに進むことができなくなった。大勢のランナーが僕の横を抜いていく。どこにそんなパワーがあるのかというくらいのスピードで。
さながらアンデルセンのように、僕はよぼよぼと脚を動かす。
 
 ゴールで待っていた人がランナーみんなを出迎えてくれているからか、「ああ、やめたくないな。気持ちいい。」と感じる。この感覚が、「もう終わりなのか」というものなのかもしれない。
 
両手を上げてフィニッシュラインを通過。
ついに、フルマラソンを完走することができた。タイムは4時間46分50秒。
目標の5時間切りは達成。もうひとつの目標、Kさんの4時間46分切りは達成できなかった。
 
完走証を頂き、預けていた荷物を頂き、着替えを行おうとしても、全然座ることができない。ボロボロだった。
着替えてゴール前でU君のゴールを待った。しばらくすると、Uくんがやってきた。
タイムは5時間20分くらい。ハーフ区間までは僕より全然速かったのだが、後半からお腹が痛くなり、何度もトイレに駆け込むようなことがあったのだという。ノートラブルだったら、全然U君のほうが速いはず。恐るべし、元サッカー部。そして僕のぶよぶよなボディーにも問題があると思った。
 
帰りも各駅で常磐線。もちろん爆睡。下高井戸の焼肉屋で食べ放題を満喫し、帰宅は11時半ごろとなりましたとさ。*1
 
当日のログ 

 

*1:勝田でスタミナ冷やしという選択肢があったことを後で知った…スタミナ冷やしは水戸だけのものだと思ってた。