イコールコンディション
ドイツ陸上競技選手権の男子走り幅跳びで、片方の脚が義足のパラリンピアンがいわゆる「健常者」を破る記録で勝ったことが議論を呼んでいるらしい。
http://spotlight-media.jp/article/42632847579654415
ソースがこれしか見つからなくて、まだきちんと調べられてないし、今の所全く信頼できる情報じゃないのだけど、勝った本人も「周囲は7mぐらいの時は皆喜んでくれたのに8mをこえたら、それはダメだ」と言われたらしい。https://twitter.com/h_nobunaga/status/637981756986003457
そんな時、「車椅子マラソンはあまり批判の対象にならないから、元ツイの人が言っているオリンピックの精神という枠組みの中では、というお話では?」というつぶやきを見て、いろいろ考えてみた。
なんで今回、これほど話題になっているのか。
スポーツは一定のルールの下、競技が行われる。だからズルとかは不正であって、破ったものにはペナルティが与えられる。イコールコンディションを保つために。
車いすの選手がランナーより速いからという理由で車いすに批判が集まらないのはなぜか。たぶん、それは車と脚は「別物」だと捉えられているからだと僕は思っている。
車椅子を動かすには、手でホイールを押して回せばいい。それは脚の障害をもっている人も、健常者も同じ動作をする。だからそこに差はなくて、イコールコンディションで競技をしているという認識を私は持っている。
だけど、今回の走り幅跳びで話題にされている「義足」は、障害者につけているタイプと同じやつをそっくりそのまま健常者に付けることはできない。つまり、イコールコンディションではないという認識だ。
これまで「健常者」という枠組みの相手と競技をやってきた人たちにとってみれば、義足を付けた「障害者」を相手に互角の力で戦うなんてことは想定もしていなかったはずだ。そして、健常者は自分の「脚」を変えることができない。障害者は自分の「脚」を変えることができる。性能がアップすればするほど、健常者の記録を追い抜き、差を広げていく。
これから先、パラリンピアンがオリンピアンの記録を追い抜くなんてことは十分に考えられるだろう。その時、私達はどのようなリアクションを取るのだろうか。
- オリンピックとパラリンピックの選手を完全に分けてしまうこと。
- 義足や義手にレギュレーションをつけて規制することで共存を図ること。
- 「健常」な人にもパラリンピアンと同等の効果を発揮する義足的なテクノロジーを提供して競技を行うこと。
オリンピックの精神ってなんだろうって調べてみると、「「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」という、クーベルタンが提唱したオリンピックのあるべき姿(オリンピズム)」http://www.joc.or.jp/olympism/coubertin/
らしい。